優しい峠の怪異

マルルン

第1話 優しい峠の怪異




 T字路には魔が潜むとよく言われるが、そこは人工的に出来上がってしまっただった。場所は私の地元の近くの峠道、交通量はお世辞にも多いとは言えない山道だ。

 ただし、地元の人は隣町への近道として割と良く使用する。もう1つのルートの県道は広くて安全だが、一度海側へと降りて国道に合流するので、隣町へは少しだけ遠回りなのだ。

 自分も同じく、その狭い峠道を通勤に利用していた。


 そして今も利用している……離合りごうが怖い場所が幾つも存在するし、どう考えてもカーブミラーの数と、先の不確かな曲がり路の数が合っていない山道だけど。

 そもそも、先にも述べたけれど車の走行量が少ないのだ。そして何年にも渡って走り込んで来た経験値、信号機に遮られる事無い快適な時間。

 ――そう、何年も利用していた山道で、私は一度だけその怪異と遭遇したのだ。




 そんなド田舎の峠道だが、ここ数年で幾つかの変化があった。まずは私の地元から頂上付近にある焼却施設までの、山道の拡張工事である。

 これには私を含め、地元の人々も大喜び。もっとも、幾らかの田畑や山の樹々は埋め立てられ、伐採されてしまったけれど。利便性は格段に上がるし、離合での事故も格段に減る。

 ただし、これは飽くまで施設の利便性向上の為だったのだろうけれど。


 頂上付近の土地と施設は、実は隣町に所属している。だからゴミ収集車の走行ルートも、自然とあの不便で狭い峠道が使われていて。

 その広い道が完成するまで、私も何度かゴミ収集車とすれ違う事態を経験した。谷側は何故かガードレールの無い場所も存在して、離合のミスはそれはもう怖い。

 実際、数年に1度は谷に落ちたゴミ収集車を見掛けたりもして。


 幸いと言うか、谷の斜面に沿って生えている木立のお陰で、谷の底まで落ちる事は無かったようだけれど。それでも完全にひっくり返っている車の底面を見ると言う体験は、それなりに心臓に悪い。

 そんな事態が続いたせいだろう、ルート変更は自然の流れだったように思う。そんな訳で私の地元から道路の拡張工事がなされ、ゴミ収集車とのすれ違いもすっかり無くなった。

 新道は、とにかく広くてほぼ真っ直ぐに山頂まで伸びる事となったのだ。


 とは言え、片道一車線の長閑のどかな田舎道には違いないのだけど。ただ、この工事が後の怪異の出現に繋がったのではないかと、私は秘かに想像を巡らせている。

 まぁ、飽くまでも想像に過ぎないのだけれど。


 残りの2つの変化だが、工事の結果や怪異とは全く関係ないと思われるが、まぁ一応記しておこう。まずは1つ、某『峠でドリフト』的なアニメのせいで、その峠道に深夜に走り屋集団が湧くようになったのだ。

 思いっ切りマイナーな峠道なのも、彼らに目を付けられたポイントなのだろうか。唯一車を数台停められる峠の空き地は、ある時期本当に酷かった。

 走り屋仕様の車が、深夜に何台もひしめき合っていたのだ。


 まぁそれも、ブームが去ると共に終焉を迎えたけれども。それに代わって、次の変化は実は現在進行形で、峠の山道を賑わせるようになった。

 ゴミ収集車に代わって、ロードバイクが走るようになったのだ。


 この変化は実は、地元の者なら誰でも簡単に解明出来る。地元で年に1回開催されるようになった、トライアスロンの自転車コースに認定されたのがその理由なのだ。

 そのせいで、ロードバイクが週末どころか、平日も走るようになってしまった。皆、本当に練習熱心である……勤務ルートに使っている自分的には、すれ違いの際は少し怖くもあるが。

 ただこの変化も、私の遭遇した怪異とは恐らく関係ない。




 直接的に関係あるのは、やはり峠道の拡張工事にあったように思う。峠道と言うのは、道の狭さもそうだけれど、とにかく山に沿って曲がりくねっている。

 それを私の地元から、強引にほぼ直線の道を引く工事をしたのだ。簡単に言うと、ドルの記号を思い浮かべて欲しい。エスの部分が以前のルート、の部分が新ルートである。

 あんな感じだ、山を削って谷を埋める工事はそれなりに時間が掛かった。


 それはまぁ良い……実際に私は、この区間の工事中もこの道を毎日利用していた。その拡張工事は、途中に謎の中断もあったものの、取り敢えずは無事に終了した。

 問題は、実はその後だった。先ほどのドルのマークを、皆さんもう一度思い起こして欲しいのだけれど。エスの一番上の部分と、真ん中の棒線の重なるテッペン。

 T字路になる部分があるのを、お分かり頂けるだろうか?


 昔に使っていた古い道路は、全て通行止めの柵が取り付けられて、今は侵入は不可となっている。だから実際は、片方のルートは通れないので90度のカーブが出来上がった塩梅あんばいだ。

 ところが新しく造られた道路からは、その終焉の合流分岐の曲がり角は途轍もなく見え辛くなっている。緩い下りの真っ直ぐな道から、急な10メートル程度の登りとなって。

 それがブラインドになっていて、初見の人は道を見失う可能性が大なのだ。


 悪意で成したとしか思えない工事の結果だが、それに伴うサポートは全く無かった。例えばカーブミラーとか標識の設置、反射板の取り付けだとか。

 こちらは通い慣れた地元民である、それほど戸惑いは無かったのだが。よしんば直線の道路がそのT字路の直前まで出来てしまったため、スピードを出す車両が増えた感は否めない。

 そして当然の如く、事故はおきたのだった。



 私が確認出来たのは2件、しかも道が出来て1年以内の出来事である。1つは冬になって薄く雪が積もった日の出来事、見事にランドクルーザー型の車が道の横の柵を潰してひっくり返っていた。

 どんな運転をしてそうなったかは不明だが、恐らくは歩道区分けの縁石に乗り上がったのだろう。雪が積もっていたのに、スピードも相当出していたに違いない。

 とにかくそれが、私が目撃した1つ目の事故だった。


 もう1つに関しては、正直良く分かっていないのだが。仕事の帰りにその道を通ったら、まさにその場に車のフロントガラスらしきモノが散乱していたのだ。

 それが一人相撲なのか、二台による衝突事故だったのかは判然としないけれど。とにかく事故はあったらしい……その証拠にそれから数日後、その突き当り場所に丸い反射板が2個、設置されたのだ。

 遅きに失した感はあるが、まぁ無いよりはマシなのだろう。





 さて、長々とした前振りご容赦を……断っておくが、これは実際に私が遭遇した怪異である。その正体が何だったのかは未だに分からないし、余り怖くもない話ではあるのだが。

 ここまで読んで貰ったのだ、最後までお付き合い願いたい。


 と遭遇したのは、太陽が頭上に輝くお昼時だった。季節は確か、梅雨が明けた夏前頃だったと記憶している。

 その頃の私は、昼勤の仕事に就いていた。お昼から仕事を始めて、終わるのは夜の10時頃……そんなシフトで、だから午前中は割と気楽に過ごしていた。

 その日も同じく、お昼過ぎに呑気に愛車で出勤して。


 いつもと同じく、何事も無くその峠の新しく出来た道路を通り過ぎ。最後の直線からの旧道の入り口に差し掛かった時に、その異変は訪れた。

 それはもう唐突に、最初見た時は本当に何事かと目を疑った。


 いや、別段に目にした自体は何も珍しいモノでは無かったのだけれど。お昼時に勝手に動くを目にすると、自然と我が目を疑ってしまう。

 それは横に真っ直ぐ長細い、電柱みたいな形状のだった。


 その影が、ゆっくりと私の車の前を移動している……自転車がゆっくりと走る程度のスピードで、私の進行方向であるT字路に向かって、まるで意思を持っているかのように。

 その時に私は初めて、不意を突かれた人間の思考の過程を知る事が出来た。人は未知の出来事と遭遇すると、類似した過去の出来事を脳の棚から引っ張り出して較べるらしい。

 自分だけかも知れないが、少なくとも私の脳はそう作動した。


 いつの間にか、私は車を停めていたようだ。そうしながら、私は車から乗り出すように空中と目の前の移動する影を交互に眺めていた。

 思考だけは忙しく、この異変の正体について推測を巡らせていた。異変と言えど、所詮は影である……どこかにその影を落とす、正体があるに違いない。

 私の脳内に、過去の類似する出来事が咄嗟に幾つか去来した。


 まず最初に、私が探したのは上空を飛ぶだった。以前一度、この道を通っていた際に、トンビの飛行している影がアスファルトに映っていたのだ。

 今回もそれかな、それに違いないと思いつつ……もちろん影の形状も全く違うし、幾ら上空を探しても鳥の姿は欠片も見つからない。

 思考はねじれて、もっと過去の出来事に思い至った。


 小学生の頃、天気雨に遭遇したことがあったのだが。その時に雲の切れ間と言うか、雨雲の境目が目の前を横切る瞬間を体験したのだ。

 それはとても奇妙で、物凄くエキサイティングな経験だった。何しろ雨の降っている場所と降っていないエリア、両方を目の前にする事が出来たのだ。

 そんな自然現象を、私の脳は思い浮かべたのだが。


 もちろん太陽の周囲に多少の雲はかかっているが、どう頑張ってもそんな細長い影を創り出す自然現象は存在しない。ましてや道路に沿って、一定の速度を保って進む影など論外だ。

 要するにこれは怪異だ、私は停めた車からその影を目で追っていた。


 得体の知れない“影”は、ゆっくりな速度で10メートルの急な登り坂に差し掛かった。そして死角に到達すると、すうっと消えて……今度は最初の出現地帯の、半分程度の場所から再びゆっくりと進み始めたのだった。

 その意味が全く分からず、何故だか私は急に冷めた。こんなのずっと付き合っていられないと、停めていた車を発進させて。

 影を追い抜いて、峠道を再び進み始めてしまったのだ。


 それが良かったのか、それとも悪い行為だったのか……その時は、判断は出来なかったのだけれど。その正体不明の“影”を見たのは、後にも先にもそれが最初で最後だった。

 今でも普通に、私はその峠道を使用して車で通勤をしている。時間は朝方に変わったけど、これと言って変わった事は発生していない。

 いや、正確にはその1週間後に異変は起きたのだけれど。


 これをオチと取るか、罰と取るか……それとも偶然と取るかは、難しい所ではある。でも実際に私の車は故障したし、そのせいでひと夏物凄く苦労した。

 つまりは車のクーラーが、つまみを回した途端に壊れたのだ。


 その時は酷く貧乏で、修理に回すお金が無かったので。お陰でクーラー無しでの夏を過ごす破目になり、私はその引き金となったについて色々と妄想せずにはいられなかった。

 そもそも、何故なにゆえにあのは私の前に姿を現した???




 そもそも、何故に私はあの影を車で轢いたのだろう? それはあの影のスピードの遅さにも一因があったと、随分後になって私は分析結果を導き出した。

 そう……あの影のスピードは酷くゆっくりと、まるでこれ以上の速度を出したら危ないよと、私に警告を発しているようだった。

 だから頂上まで到達しても、もう一度半分の位置に出現して見せたのだ。


 それを私が無視したものだから、向こうも腹を立てたのだろう……私は霊感的なモノは全く強く無いが、今までにも何度かそんな不思議体験をした事があって。

 自分の愛車に悪戯いたずらされた経験も、何と3度もあったりする。自慢ではない、その度に死ぬ思いや修繕費がかさんで酷い目に遭って来たのだ。

 そしてようやくタイトルの回収だ、あのは優しさで出来ていたのだ。


 それは勿論、完全に私の勝手な推論でしか無いのだけれど。後になって色々と考えた挙句、そんな結論に至った次第である。

 それが間違っているか、的を射た推論なのか……確かめるすべは無いのが残念ではあるけれど。一つだけここに書ける事実として、あれ以来にその場所で事故の報告は無い。

 少なくとも、私が目撃出来た範囲にいてではあるが。





 さて、最後にこの事を書くかどうかを随分と迷ったのだが……この“怪異”の発生した地名だが、実は広島のとある峠道である。

 こうなると、だいぶ地域が絞られてしまうのだが、どうか執拗な探索は控えて欲しい。ここで敢えて地名を晒したのは、自分の記憶に昔のおぼろげな映像が残っているからだ。

 それも広島の高原の、不可解な“怪異”だったのだ。


 有名で何度かTV放映された映像なので、怪奇特集系の番組が好きな人なら、ひょっとしたら見た事があるかも知れない。

 私もそれで知ったが、かなり昔なので記憶は曖昧あいまいである。


 それは高原の沢を埋め立てする、ショベルカーの映像だったように思う。詳細は合っていないかも知れないが、とにかく浅い水際で大型のアームを持つ作業車が稼働していて。

 ふとした弾みに、何故かその作業車が突然バランスを崩したと思ったら。沢に向かって傾いて行き、あっという間に(その間10秒程度)全体が呑み込まれて行ったのだ。

 巨大な作業車が消えるさまは、まるで魔法を見ているようだった。


 ひょっとしたら、ユーチューブ的な場所にその映像は転がっているかも知れないけれど。私もその高原が、広島のどの地域なのかはまるで見当がつかない。

 ちなみに運転手は、這う這うの体で水没からは逃れられていた。そして肝心の作業車だが、後日泥の中から発見されたそうである。

 もう一度言うが、そこは本当に浅い沢だったらしい。


 あまりにもショッキングな映像だったのと同時に、住んでいる地名が出て来たので、今でもその内容を覚えている訳なのだが。広島と言う地が決して、怪異の出現率の高い土地と言う訳では無いと思う。

 とは言え、出遭う時には出遭うのが怪異。こちらにそれを拒む選択権など、全くありはしないのが困りモノである。

 ただ自分的には、優しい峠の怪異に出逢であえて良かったと思っている。


 例え愛車に悪戯されて、修繕費を出す破目になったとしてもだ。そして“怪異”の示す優しさを無視した事を、今では申し訳なく思っている。

 そしてこのお話の教訓は、まさにそこにある。





 ――皆さんがもし“怪異”に出逢ったら、その真意を汲み取って欲しい、と。





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