「その瓶はなんだ?」


 ごく当たり前のように声を荒げていたが、この声がどこまで響いているか分からない。そう考えて音量をやや落とした。もはや今さらなのかもしれない。


「食酢だ。料理のさしすせそで言うところの酢だよ。私に支給された物資らしいがね」


 答えたのは壮年のスーツのほうだった。金髪のショルダーバックの中に、どうして壮年のスーツの物資が入っているのか。そこで壮年のスーツのほうがショルダーバックを持っていないことに気づく。


「――そちらのショルダーバックはどうした?」


 壮年のスーツに問うと、その視線が死角のほうへと向けられる。もう少しだけ身を乗り出して確認すると、黒く燃えてしまった燃えカスのようなものが転がっているのが見えた。煙の出所はそこだったらしい。


「ご覧の通り、ここの玄関に仕掛けられていた罠にかかってね。まぁ、人間が黒焦げにならなかっただけマシだと思っているんだが」


 この街には罠が仕掛けられている。しかも、自分のスタート地点から外に出るところに罠が仕掛けられているなんて、灯台下暗しなんてどころの話ではない。ルールにて街のいたるところに罠が仕掛けられていることは知っていたが、思っていたよりも近場に仕掛けられていたらしい。本能的に背筋に寒気が走った。


「とにかく、警戒したい気持ちは分からなくないが、今の私達にできることは、携行食料を酢漬けにすることくらいなんだよ。そいつを下ろしてもらえないだろうか?」


 酢漬けというワードに、思わず吹き出しそうになってしまった。物凄く真面目そうな男が、物凄く真面目に言い出すのだから、笑うなというほうが無理である。


「念のためにボディーチェックをしたい。中に入れ――」


 二人が初対面同士であることなどを考えると、結託して襲ってくるような真似はまずしないと思われる。武器を持っている気配もない。しかしながら、どうにもまだ警戒心というものが解けなかった。ボディーチェックをして、ようやくまともに話ができるといった感じになるだろう。


 二人に指示を出すと、辺りに【トラッペ君】がないかを確認しながら急で狭い階段を降りた。階段を降りるとちょうど玄関脇に出るらしく、まさに公民館の中に入ってきた金髪の男達と鉢合わせになった。内心では心臓が口から飛び出すほど驚いたが、平静を装ってライフル銃を構え直す。


「そこで止まれ――」


 金髪の男と壮年のスーツ男は、互いに顔を見合わせ、どちらともなく溜め息を漏らした。


「そんなに私達は信用ならない面構えをしているのだろうか――」


 壮年のスーツが呟き、同意するかのごとく金髪の男が頷いた。


「いいからボディーチェックを行う!」


 必要以上に近い距離で銃口を突きつけた。


「ま、まぁ――そんなに怖い顔をするなって。俺、水落悠斗。どこにでもいるような大学生でさぁ、周りからは人畜無害って言われてんだよね」


 機嫌を伺うかのように作り笑いをする金髪――いや、水落であるが、しかしそれは苦笑いにしかなっていなかった。


「わ、私は春日士郎という。こう見えて学者の端くれをしていてね、自分で言うのもなんだが、それなりに社会的な地位もあるんだ。さて、ここで私のような人間が、君に危害を加えるメリットがどこにあるだろうか? 良く考えてみて欲しい」


 壮年のスーツは春日というらしく、確かになんとなく喋り方も賢いような印象を受けた。二人が良識を持った一般人であることは明白だったが、けれどもボディーチェックを行わずにはいられなかった。


「こちらの名乗りはボディーチェックが終わってからだ。生憎、こちらには人手がない。水落氏は春日氏を、春日氏は水落氏を互いにボディーチェックしていただきたい。もし、これで物騒なものが出てこなければ、二人を信用してもいい」


 銃口を改めて突きつけると、どちらかの深い溜め息が聞こえた後、水落と春日は互いのボディーチェックを始めた。


「まったく――何が楽しくて学者の先生のボディーチェックなんて……」


「それに関しては私も同じ意見を返させてもらおう。生物学上、私も男性だ。男性である以上、同性よりも異性である女性のボディーチェックを行いたいと思うのは当然のことだからな」


 春日のボディーチェックを終えた水落が、今度は春日からボディーチェックを受けながら口を開く。


「春日さん、真面目な顔で自分がムッツリだって発言しないでくれない?」


「ムッツリではない。得てして男性はスケベでなければならないのだ。これまでの人類は男性がスケベだったからこそ繁栄してきたんだよ。ゆえに私と君はスケベであることを恥じる必要はない。むろん、ムッツリスケベも迎合されるべきだ」


 そのやり取りにたまらず吹き出してしまった。水落にボディーチェックを受けつつも、真面目な顔で言う春日の姿がおかしかったのだ。両者のボディーチェックを見ていた限り、危険なものは持っていないらしい。なによりも、二人のやり取りを見ている限り、きっと両者も知り合ったばかりなのであろうが、悪い人達ではなさそうだ。二人のボディーチェックが終わると同時にゆっくりと銃口を下ろした。


 かかとを揃え、姿勢を正し、これまで幾度となくやってきた敬礼をする。このゲームにおいて、確かに他者を犠牲にするという手段も用意されてはいるが、しかしながら表向きのコンセプトに沿って行動するのもまた、正当な手段である。そして、少なくともこの二人に関しては、きっと表向きのコンセプトに従っているはずだ。ならば、それを迎合すべきである。


「所属やら駐屯地を言ったところで、この場では不要のものだろうから、簡潔に名乗ろう。私は陸上自衛隊所属の池田翼陸士長であります!」


 普通に名乗れば良いようなものなのだが、しかし自衛隊式に名乗る。すると、水落が「固いって――」と苦笑いを浮かべ、春日が手を差し出してくる。


「私は可能な限り平和的にこのゲームを終わらせたいと思っている。ただ、誰もがそうとは限らない。君も警戒している通り、正攻法ではない手段を用いる者も出てくるかもしれない。そのような時、君のように武器を有し、またその扱いに慣れている職種の人間がいてくれると心強い。こちらとしては同行を願いたい。いかがだろうか? 陸士長――」


 やはり思った通り。この二人に関しては安全で常識的だといえよう。常軌を逸脱した考え方をしているわけでもないようだし、目指すべくところは同じらしい。簡単に人を信じるなというが、このような場面で人を疑ってばかりいたら前に進めない。池田陸士長は笑みを携えると、春日の差し出した手を握り返した。陸士長と呼ばれて嫌な気はしない。


「その考え方に関してはまったくの同意見だ。平和的にやれるのであれば、平和的にやるべきだと思う。まぁ、こいつの出番はないだろうな――」


 握手を交わした後、陸士長は同日の降ろしたライフル銃の銃身をげんこつで軽く叩いてやった。実に安っぽい音が出る。


「なんせ、偽物だからね」


 春日がそれを見て鼻で笑い「個別に与えられる物資がそれなら大当たりだな」と漏らし、水落が「春日さんの物資は食酢だしな」と茶々を入れる。では水落の物資は何なのかと問うと、どうやら腕時計のようだった。腕時計、食酢、レプリカのライフル銃。まったくもって物資に一貫性がない。


「さて、早速で申しわけないが陸士長――私達と【固有ヒント】の共有をしておこう。今はとにかく情報が欲しい」


 春日がSGTを取り出し、同じように水落もSGTを取り出した。このSGTはスマートフォンを雛形にして作られているらしく、その形状もコンパクトだ。ショルダーバックに入れて持ち運んでもいいし、ポケットに突っ込むこともできる。二人と同じようにSGTを取り出そうとしてショルダーバックの中を漁った後、トイレで触った後にズボンのポケットにねじ込んでいたことを思い出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る