【午後12時10分 池田翼 公民館内二階】


 調子が悪い。突然意味の分からないゲームに巻き込まれてしまった池田翼は、差し込むような下腹部の痛みにトイレへと駆け込んだ。その後で【トラッペ君】とやらがある場所には罠が仕掛けられていることを知ってゾッとした。とりあえず、ここのトイレには罠が仕掛けられていなかったらしい。案内のアナウンスらしきものをトイレで聞くことになるとは、これいかに。


 SGTと呼ばれる端末を一通り触ってみた後、ようやくズボンを上げて溜め息をひとつ


 憧れていた自衛隊へと入隊し、とにかくがむしゃらになって働いた。幼くして亡くした父が自衛隊員だったということが、きっと人生を決めてしまったのであろう。


 昔から大好きだった父。家にいる時は母から叱られっぱなしだし、どことなくだらしない。でも、父のことが大好きだった。その父を病気で亡くしてしまった高校時代の終盤。母親をはじめとして方々から反対意見もあったのだが、それを振り切って自衛官を志望した。父がどんな仕事をしていたのか、父はどんな信念を持って働いていたのか、自衛隊に入隊することで、少しでも父に近づけたらと思った。そして、気がつけば今は陸士長だ。この呼ばれ方は実に響きが良かった。


 少しばかり下腹部の差し込みが弱まったような気がした。それはきっと気のせいなのであろうが、ずっとトイレにこもっているわけにもいかない。まだ方針は定まっていないが、動かないというわけにもいかないであろう。


 トイレの壁に立てかけてあったライフル銃を手に取る。これ――良くできているが、実のところレプリカらしい。ぱっと見た感じでは本物と見分けがつかないが、引き金を絞っても弾は出ない。それどころか、まず安全装置が固定されていて解除できなかった。それは、まず真っ先に試してみたことだから間違いなかった。どうやらこれが支給された物資らしい。個々に異なるとのことだが、これだけおあつらえ向きの物資が支給された人間は珍しいだろう。


 日本国において、自衛隊はいかなる時も強くあらねばならない。それは――今のような状況でも同じであると言えるだろうか。ここは言わば戦場のようなもので、ちょっとした気の緩みが命を落とすきっかけにさえなり得る。すなわち、自分の他にゲームへと参加させられている19人。これらを要救助者として見なすか、それとも敵と見なすかだ。ざっとルールを頭の中で整理してみると、その割合はおおよそ五分五分だろう。他人と協力することをコンセプトとしているようだが、コンセプト通りにルールが整備されていないというべきか。


 このゲームは一見すると多くの参加者が力を合わせることこそ重要に見えてくる。それぞれのSGTに異なる【固有ヒント】なんてものが与えられているのも、それを助長するきっかけになるだろう。


 すでに確認していたが、もちろんSGTの中に【固有ヒント】も入っていた。


 ――ヒント【R】 ブービートラップに与えられた【固有ヒント】は本物である。


 この【固有ヒント】を集めて【ブービートラップ】の正体を暴くことが、恐らくは王道パターン。あらかじめ用意された正攻法と言えよう。しかしながら、もうひとつだけゲームを終了させる簡単な手段があるのだ。それは、王道パターンをたどるよりはるかに簡単で手っ取り早いだろう。もちろん、倫理的な問題はあるのだが、それを気にしないのであれば、これほど簡単な手段はない。


 注目すべきは【ルール8】だ。これは、万が一にも【ブービートラップ】が死亡してしまった場合、その場でゲームが強制的に終了してしまうというもの。しかも、参加者は無条件で解放となっている。


 ――ならば【ブービートラップ】を殺してしまおうと考える人間が出てくるのではないか。それぞれの【固有ヒント】を集めるために、罠の仕掛けられた危険な街を駆け回るより、いっそのこと【ブービートラップ】を殺してしまったほうが手取り早いと考える人がいるのは想像に足る。別に誰が【ブービートラップ】なのか分からなくてもいい。出会った人間を片っ端から殺してゆけば、その本人が【ブービートラップ】であるという薄い可能性を除いて、必ず【ブービートラップ】を殺害する結果となる。


 簡単に言ってしまえば、手当たり次第に会った人間を殺して回っていれば、いずれ【ブービートラップ】を殺害することになり、そうなれば【ルール8】に則ってゲームから解放されるのだ。それを狙う人間がいないとは限らない。あえて【ルール6】で暴力を禁止していない辺り、悪意すら感じる。


 レプリカではあるがライフル銃を構えながらトイレを出た。名前通り肩からかけたショルダーバッグには、あらかじめ用意されていた携行食糧と水が入っている。ここに来る直前までやっていたはずの演習と変わらないスタイルだが、しかし膝が震えている自分に気づく。これは武者震いだと自分に言い聞かせると、ふと鼻をついた焦げ臭さに、すぐ近くにあった窓へと歩み寄った。身を低くして、こちらの気配を消す。このような動作は、もはや癖のようなものだった。焦げ臭さは、窓の外から漂ってくるような気がする。


 窓枠の下から舐めるように、ほんの少しだけ顔を覗かせると、まず真っ先に玄関先に男の姿を見つけた。壮年そうねんくらいのスーツの男だった。


 死角になってしまっているが、なにかが燃えたのだろうか、白い煙のようなものが二階の高さまで上ってくる。壮年くらいのスーツの男はなにをやっているのだろうか。


 しばらくすると遠くのほうから声がして、壮年のスーツの男のところに金髪のいかにもといった若者が駆け寄った。ゲーム開始からわずか。もう徒党を組んだ者がいるのかと思ったが、それにしたって早すぎる。窓ガラス越しに聞こえるくぐもった彼らの会話に聞き耳を立てると、二人が初対面同士であることが分かった。それにしては、金髪のほうが妙に馴れ馴れしいような印象があったのだが。


 そっと窓の鍵に手を伸ばしたのは、さらにそれからしばらくして、金髪の男が玄関先へと歩み寄り、それに続いて壮年のスーツの男も玄関先へとやって来た時のことだった。中に入ろうとしているのは明確だった。いくら精巧に作られているライフル銃とはいえ、距離が近くなると偽物だとばれてしまう可能性が高まる。はったりをかますのであれば、このタイミングしかなかった。鍵を外すと勢い良く窓を開け、そして半身を外に出す。そのままレプリカのライフル銃を構えて声を荒げた。


「――動くなっ!」


 このような時は最初が肝心。見たところ二人は武器らしきものを持っておらず、さすがは自衛官かな――池田陸士長がアドバンテージを握るような形になる。


「両手を挙げて、そのまま頭の上にっ!」


 レプリカとはいえ銃口を向けている効果は絶大のようで、金髪と壮年のスーツは指示通りに両手を頭の上へ乗せた。突然の出来事に何か言葉を交わしたのであろう。金髪の男と壮年のスーツの男の口元が動いた。


「――見てもらえば分かるがこちらは丸腰だ! ゆえに、そちらに危害を加えようにも加えるのは不可能だ。その物騒なものをしまってはくれないだろうか?」


 両手を頭の上に乗せながらも、落ち着いた様子の口調で返してきたのは壮年のスーツのほうだった。


「駄目だ! まず、そっちの金髪の男のショルダーバックを開けて、中がこちらに見えるように向けろ!」


 やる時は中途半端ではなく、徹底的にやるべき。彼らが確実に安全だと分かるまで、その警戒心を解くべきではない。まず目についた金髪の男のショルダーバックを開けさせる。


「もう少し上だ。上に掲げるんだ!」


 目視で確認するには距離があったため、金髪の男にバックを掲げさせる。金髪の男のショルダーバックの中には、おそらく食糧であろう紙袋と、大瓶が入っていた。

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