第43話 夫婦みたいですね
「くそう、前が見えねぇ」
ボコボコに殴られたあとの顔で俺はじゃがいもの下処理をしている。やっぱし鈴音ってゴリラの生まれ変わりなのではないかと、本気で疑う。
「説明してなかったんでしょ、遥斗くんが悪いんじゃない?」
「まぁそりゃそうだけどさ......」
その横で慣れた手つきで人参を切っている雅。なぜ雅がここに居るかというと。
「いいのか、そろそろ時間じゃないか?」
「あ、うんそれもそうだね。夜には合流できそうだから、またね」
この時期、雅の店は父と母以外、つまりは雅と雅の姉ちゃんは親戚の店の手伝いで各地へと行く。
料理の修行的な意味もあるが、純粋にこのシーズンは人手が足りないらしい。んでもって雅の親戚の店が、この近くなんだ。
そういうこともあって、昼前はこっち、夜まではそこで働いている。とんでもない体力だと思う。前に1度俺も手伝ったが、あまりの忙しさにダウンしたほどだ。
「先輩......?」
「ん? ああ、沢渡か、どうした?」
ひょこっと可愛らしい顔が調理室を覗く。白いワンピースが良く似合う可愛い後輩、沢渡美々。
生徒会役員は原則この合宿でも、様々なサポートをしに来ているのだ。
「沢渡は海に行かないのか? 安心院と鈴音なんてすっ飛んでったぞ?」
鈴音はまぁいいとして、生徒会会長のあいつがいの一番に海へと走っていったからなぁ。しかも浮き輪を持って。
「生徒会の先輩たちや会長なら、近くの島まで泳いでみせるって、すぐ沖の方に」
「はは、ぽいなぁ」
「美々はその......」
「海苦手なのか?」
「え、あ、はい、そうです。苦手なんです」
随分と歯切れの悪い回答が帰ってきた。なんだろう、泳げないとかか? まぁこの歳になっても泳げないのは、さすがに恥ずかしいか。
別に深く追求することでもないので、俺は下処理を進めていく。
「先輩は何をしてるんですか?」
「夜のカレーの仕込み。量が量だし、今からじゃないと間に合わないからな」
合宿といえばカレーだろう。誰がそう呼んだかは分からんが。次の日は適当に地元の人から貰うもので、その日のメニューとかを考えたりする。
もちろんスーパーでの買い出しもするが、その際はバスでも使わないと材料が乗らない。
「えっと、先輩一人でですか?」
「うん。まぁ後で地元の人とか来るけどな。今居る人は、部活のマネージャーとかに洗濯の仕方とか説明してるよ。」
料理長とか大層な名前が付いているが、さすがに一人でこの大所帯の飯を作るのは無理がある。
一人でやることも無いし、かと言って海に遊びに行けるほどの時間も無いからな。今のうちにやっておけることはやらないと。
というかカレーは煮込めば煮込むほど旨い。
「美々も手伝います!」
「いや、沢渡は遊んでこいよ。これから生徒会も忙しいし、遊べる時に遊んだ方が―」
「み、美々じゃ力不足でしょうか......?」
「うぐっ!」
上目遣いと涙で濡れたような瞳。なんとうまい使い手なんだ。俺じゃなきゃ見逃しちゃうね。
てこでも動きそうのない沢渡に俺は手伝ってもらうことにして、簡単な野菜の下処理を頼んだ。
初めは包丁を持たすのも怖かったが、それは杞憂だった。丁寧に包丁や道具を使いながら下処理を慣れた手つきで行っている。
「沢渡、料理出来るのか?」
「少しですけどね。家では家事とか手伝っていますし」
涙が出そう。なんて健気で可愛いのだ。あのゴリラサキュバスに爪でも煎じて飲んで欲しい。
俺は下処理を任せて、安くて馬鹿太い肉を焼き始める。これをするのとしないのとじゃ、出来上がったカレーに月とスッポン程の違いが出ると去年学んだ。
「なんだか......」
「うん?」
「なんだかこうしていると......夫婦みたい......ですね。なんて」
「ガハァ!!!」
「え、先輩!?」
あ...ありのまま今起こったことを話すぜ!
『後輩の横で料理をしていたと思ったら
いつのまにか料理をされていた』
な...何を言っているのかわからねーと思うが俺も何をされたのかわからなかった...。
胸がどうにかなりそうだった...。
胸キュンだとか可愛すぎるだとか、そんなチャチなもんじゃあ断じてねぇ。
もっと可愛いものの片鱗を味わったぜ...。
「え、先輩大丈夫ですか!? 」
急に胸を抑えてしゃがみこむ先輩がいたら、俺だってそんな対応するだろう。違うんだ、沢渡。俺は必死に弁解をすると、沢渡はホッとしたように胸を撫で下ろした。
「沢渡ー!!!」
「?」
大きな声とビシャビシャとした音ともに颯爽と水着姿の安心院が現れた。
黒のビキニとポニーテールにした姿の破壊力は凄まじく、俺は弾け飛ぶのを防ぐのでやっとだ。
「はは、膝が笑ってらァ」
「? それより沢渡、向こうでかっこいい木の棒が落ちていたんだ。あれでビーチフラッグをしよう! 」
「いや小学生かお前!」
なんでこんなやつが会長やってるんだと思っていたら、今度は窓がガラリと大きく開いた。
「遥斗! 向こうで超デカイ木の棒があったわ! あれでビーチフラッグやりましょうよ! 」
「いやお前もか!」
窓から身を乗り出しながら、早く早くとでも言っているように手を振る。
胸元フリルの可愛らしい水着が、海の蝶のように揺れる。
「はは、ここが桃源郷かぁ」
俺が馬鹿なことを口走っている間に、双方木の棒を見つけたもの同士の視線がバチリとぶつかる。
「ほほう、私が見つけたものよりいいものと言うか、鈴音さん」
「あら、会長。そこら辺の木の棒で満足すなんて子どもね?」
「なに!? 」
「なによ!? 」
稲妻でも巻き起こりそうな視線のぶつかりの後、二人に引きづられるように沢渡が引っ張られる。
「ビーチフラッグでどちらが優れているか、勝負しようじゃないか」
「ええ、もちろんよ。そこの可愛い子、沢渡って言ったわね。私たちの勝負の審判をさせてあげるわ、光栄に思いなさい」
「あああーーーー! 先輩ぃぃぃぃぃ!」
「達者でなぁ!」
涙を流しながら手を振る俺と、涙を流しながら引きづられる沢渡。あの二人に関わると、生きては帰れないだろう。
沢渡の生還を祈って、俺は黙々とカレーを作り始めたのだった。
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