第38話 笑顔のババア

「本当に行くっていうのね......」

「ああ、もう後戻りは出来ないんだ......」


 試験が無事終わった土曜日の朝。俺は玄関口で、扉を背にしながら鈴音にそう言った。鈴音は今にも泣きそうな顔でこちらを見つめている。


「耳掃除だって頑張るから! 掃除とか、料理とかも、が、頑張るから! だからあたしを置いていかないで......!」

「もうこれは......決めたことなんだ......!」


 流れる涙を拭いながら、俺は玄関扉を大きく開いた。


 道は完全に覚えている。数十年通っている場所だ。なんなら目隠しでも行ける自信しかない。


 家からだいたい徒歩10分ぐらいで着くんだけど......。


「なんで着いてきてんの?」

「わざわざ、ほかの女に耳かきさせるわけないじゃない。」

「は、はぁ?」


 何やらよく分からないことを呟いてはいる気がするが、鈴音はとても真剣な顔だ。というか着いてくんな。


 鈴音の居候も1ヶ月?2ヶ月? そこらへんの長さになる。となれば、耳かきを鈴音がしてくれる事も多い。というかこの間の沢渡の一件以外は、鈴音がやってくれる。


 なので俺が耳鼻科に行くこともなくなり、その件で今日呼び出されたのだ。


 正直くそ怖い。



「ここがあの女のハウスね」

「何言ってんだお前」


 寂れた建物の前へとたどり着いてから、俺達は大きく深呼吸した。はぁ、絶対おばちゃんカンカンだろうなぁ......。


 病気で来れない時も何回かあったし、その都度怒られたしなぁ。


 パンと大きく頬を叩いてから、俺達は自動扉を通る。


「あら、綺麗なのね。」


 外の外観からは考えられないであろう白を基調とした病院チックな内装。清潔感の権化のようなこの空間はいつ来ても慣れない。


 俺たちと同じように、子どもやお年寄りの姿もチラホラと見られる。受付の女性に予約した事を話して数分ほど待つ。


 数人が出入りしてから、俺の名前が呼ばれてから席を立つと、当然のように鈴音も着いてきた。


 いや、お前は保護者かい。


「鈴音、待ってろって」

「保護者枠で行くわ」

「本当にそのつもりかよ!」


 えらく沈んだように歩く俺と、堂々と歩く鈴音。もうほんとどうにでもなってくれ......。


 全てを諦めて扉を開くとそこには―。


「久々に顔見せたと思ったら嫁さん捕まえてきたんだねぇ」


 祭りの法被に身を包んだ妙齢のババアが、どかっと座って待っていた。


「よ、よ、よ、嫁って!? 」


 先に反応したのは鈴音の方。顔を真っ赤に染めあげて、可愛らしく地団駄を踏むようにしてから拳を握りしめてる。


 うん、可愛い。


「あ、あんたからもなにか言いなさいよ!」

「だめだめ、反応したらからかわれるだけだぞ」

「そんな事言われたって!」

「カッカッカッ! 面白い娘じゃないか。それで......」


 陽気に笑っていた表情がストンと落ちてたから、言葉に重みが増す。まるで空気が重力を伴い俺たちへと降り注いでいるようだ。


 横の鈴音も先程の恥じらいはどこへやら、険しい顔をしながら耳鼻科のババアへと鋭い視線を向ける。


「く、なんてオーラなの!? 」

「お前何言ってんの!? 」

「カッカッカッ、この歳でわたしゃのオーラに耐えるとは骨があるねぇ」

「あんたも何乗ってんの!? 」


 バトル漫画さながらの謎の風が二人を覆うように渦巻く。そんな中で死んだ魚のような目をする俺は果たして少数派として認知されるのだろうか?


 まじでなんなん、この空間。


 そうして数秒してから風が止み、ふっとババアの顔に笑みが戻る。


「まぁ冗談はさておいて、どうだいあんたの耳。だいぶ見てないけど?」


 ようやく本題か。俺は包み隠さず、鈴音にしてもらっていることや、日常生活での何不自由のない状態を伝える。


 耳垢が溜まるだけでそこまで言わなくてもと思うだろうが、日常生活が曇ったように聞こえたり、車の走行音が聞こえなくなったりすることは純粋に危ないしストレスも溜まる。


 なので施術の他にもこうして情報交換することは、意外に重要だったりするのだ。


「へぇ、彼女にしてもらう耳かきはさぞ天国だろうねぇ」

「か、か、か、彼女!?」

「当たり前だろ。ババアの施術と比べたら極楽浄土だ」

「ちょ、遥斗!?」

「カッカッカッ! 言うねぇ。まぁとりあえず耳、見せてみな。」


 慣れた手つきで椅子に座り、耳を見せる。ババアも慣れたように器具で俺の耳を除く。この時当たる金属の冷たさが気持ちいいということは墓場まで持って行こうと思う。


「ほう、見事なもんだね。」

「でしょ〜」


 何やらご満悦な鈴音さん。


「皮膚を大事にしてるし、耳垢も綺麗になってる。もう、ではじめている耳垢取って今日は終わりねぇ」


 ピンセットで丁寧に耳垢を取って、もう片方の耳垢も取るのだけど、まじで声がデケェ。


「はいよぉぉ! いやさっさぁぁぁ!」


 阿波踊りかよ。おい鈴音、目を輝かせるんじゃねぇ。絶対に真似するなよ。絶対だ!


 早めに診察が終わり、俺が礼を言ってから帰ろうとすると鈴音がババアの方に向いて不思議そうに首を傾げた。


「そういえばなんで、祭り法被?」

「あーそれはね―」


 耳鼻科でも子どもにとっては辛い症状で来るトラウマ的な場所だ。何度も病院に行ってる子も好きで言ってるわけじゃないし、いい思いをしていないことが多いだろ。


 注射はされるし、何より大人の嫌な雰囲気が子どもを不安にさせる。それは小さい頃の俺も例外ではなかったし。


 それで子どもが喜びそうな法被と、掛け声で誤魔化す。馬鹿みたいに見えるだろうが、小さな街の耳鼻科ではこれでも子どもの評判はすこぶるいい。


 人をからかうようなババアだけども、子どもたちの笑顔を見る度にそれこそ笑顔を顔に見せるのだ。


「あたしゃにすれば、ここに来る子どもは誰でも孫みたいに可愛いもんよ。少しでも笑顔になって欲しい。ただそれだけのババアさね」

「そう、素敵ね」


 和やかな雰囲気が部屋に訪れる。最初にあったバトル漫画的な空気とは真逆だ。


 俺は口元に笑みを携えながら、その場を後に―。


「所でお嬢ちゃん。そこのシャイボーイの子どもの頃の写真見るかい?」

「な!? 」

「見るわ!見る見る! 遥斗、私この素敵な女性とお話があるから先に帰ってなさい!」

「馬鹿野郎!!! なんでババアが持ってるんだよ!」


 こうして俺の黒歴史がまた鈴音に刻まれることになる。


 もう二度とこんな場所に来ねぇからな!!!バカヤロー!!!





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