第5話 男の悶える声ほど要らぬもの無し

「ぐ......はぁ......」

「ふふふ、声を我慢しなくても〜バカにしないわよ......?」


 少し高めの声でいて、それでいて静かに、ゆっくりとそんなことを言われる。これは、本当にまずい。


 いかなる屈強な兵士や、アマゾネスであろうともこの快楽にはおそらく喜んで仲間の居場所を吐いてしまうだろう。


 新手の拷問かとも考えたかが、今行われているのは、ただの耳かきだ。


 最初はゆっくりと耳の浅い所を責められ、もとい耳あかを取られながら、自然と身がよじれてしまう。


 こんな体験は初めてだ。耳垢を取る為だけの行為ではない、その行為事態に。


 軽く、優しく浅瀬の耳垢を取り除いたあとも、痒くなっているであろう耳の内側をかいていく。内側をなぞるその感覚に、耳が喜んでいることを理解するには容易い。


 だが、俺とて男子だ。見ず知らぬ美少女を前にして、自信が悶えるのを最大まで我慢している。間違っても自身が悶える声など聞かせてなるものかと必死に、その快楽に抗っていた。


 これは耳鼻科のおばちゃん、これは耳鼻科のおばちゃん、耳鼻科のおばちゃん......!


 脳裏に浮かぶ祭の服に身を包み、神輿を担ぐおばちゃん。その神輿はもちろん耳かきだ。そんな地獄みたいな風景でも脳裏に浮かべないと、情けない声が出てしまう。


「ねぇ名前......教えてよ」

「え?」


 そんな俺を知ってか知らずか、この美少女はそんなことを口にした。そして自然と止まる手。動揺して少し体が動いてしまったからだろうか。


 名前。そういえば言ってなかった気がするけど。


「だから名前っ。気付け、バカ......」


 そう言いながら、再び手を動かされる。耳にまたあの快楽が押し寄せて脳がとろけてしまいそう。もうタオルにでも脳が蕩けた、シミでも出来てるんじゃないか?


 掠れるように俺は自身の名前を言うことしか出来なかった。若干惚けたような声色が出てしまうが、それは大目に見てくれ。


「あぁ。篠塚...う......遥斗。」


 それを聞いた瞬間、少女は小さく名前を反芻する。大切なものを忘れないように本当に小さく。耳垢が詰まっているから聞き取りずらかったけど、確かに俺はそれを聞いたんだ。


 だがしかし、当面の目標はこれ以上情けない声を出さないように、このまま我慢し続けることを続け―


「遥斗♡」

「ふぁっ!?」


 脆い我慢であった。思わず声が出てしまうが、そんなこと関係ないように続ける。くそう、プライドが耳垢とともに削り取られていく。


「声我慢しなくたって...いいんだよ?」

「いや......」

「だって分かるし......私サキュバスだから。」

「?」

「遥斗の〜幸せな気持ちがぁ......流れ込んでくるもの。あ、そろそろ奥やってもいい?」

「え、あ、う、うん......。」


 辛うじてそれしか出せないそんなセリフ。そして俺は後悔した。安易に名前を教えたばっかりに、彼女に攻め手を与えてしまったことを。


 しかし彼女の猛攻は止まらない。耳かきにおいて、浅い所や耳の後ろもかなりの性感帯ではあるが、耳の奥に行けば行くほど気持ちの良さが変わってくる。


 そして俺も例に漏れずに奥を攻められるのに弱かったらしい。


「あぁ...うぅ...」

「ふふ、声出てる。あ、少し......大きいのがあるわね。」


 耳の奥に刺激を与え続けるそれの音が少し変わる。カリカリとしていた音や感覚が、ガサッと何かを引っ掛けるような音と感覚に変化した。


「カリカリ......カリカリ」

「わ、わざと......はぁ......だろ......?」

「でも好きなんじゃないの?遥斗からすっごい幸せ〜って感じがしてるわよ?」


 甘い声でカリカリと言われ、反論した後さらに甘い声でそんなことを言われてはもう限界だった。


 もうこれで終わってもいいかもしれない.......。


 そんなジャンプの主人公みたいな思考がぐるぐると回ってしまう。あの時の漫画の主人公もこんな感情だったのか?


 いやごめん絶対違うわ。


 惚けてしまう顔で、口に溜まる涎を飲み込む。だらしなく半開きに開閉機能が仕事をしない口に、完全に閉じてしまった瞳。


 そのままゆっくりと、同じところを優しく、時には痛くない程度に強くされていく。そして身もよじれるほどの快楽が遠のくと、耳に届く金属音。


「へ?」


 ん、金属音?


「ピンセットで......取るわね」

「え、怖っ」

「大丈夫〜大丈夫〜」


 何かを閉じたり開いたりする音に、あそこまで力が抜けていたからだに力が入る。そしてゆっくりと金属の冷たい感覚が耳に触れた。


 思わず女の子みたいな声出るとこだった。本当に危ない。


「ひゃい......」


 うん、出たわ。自分にキレそう。しかもこんなだらしない台詞、必ず彼女は新しい攻めとしてからかってくるだろう。からかい上手のサキュバスさんかい。


「ふふ、怖くない怖くない」

「く、くそう......」


 だが、想像と反して子どもをあやす様に言われる。その言葉に少しだけムッとするが、あまり強く言えない俺、篠塚遥斗。哀れなり。


 そして何かを掴んだ音と、次第にパリパリと剥がれる音。握っている拳に汗がじんわりと滲む。


「.......」

「もう少〜し。もう少〜し」


 優しくゆっくりとなにか自分のものが剥がされていく感覚。そしてついに。


「取れたわ!」

「ぷはぁ......」


 取れた感覚に息が吹き出す。上を見ると、獲物を取った彼女は宝物でも眺めるように、うっとりとした表情でそれを眺めている。


 いや勘弁してつかーさい。というか何だこの空間。誰しもそう言うだろう。無関係なら、俺もそう言う。


「ご、ごめん......あの......」

「ああ。ごめんごめん、痒かったのね?」


 そう言いながら、恥ずかしさで耳が真っ赤になるのを感じる。カサブタ剥がした後って無性に痒いじゃん?あんな感じ。


 優しい笑みが聞こえた後、耳かきが再開された。彼女は、大きな耳垢が張り付いていたその場を掻き始める。


 ああ、気持ちいい。


「あぁ......気持ちいい」

「ふふ」


 思っていた事がそのまま口に出るのって本当にあるんだな、なんて考えた。本当に意識が吹き飛びそうなほど気持ちがいい。


 世の耳鼻科のおばちゃんは彼女を見習え。というか、一人でもいいから確実に見習え。


 祭りの服着てるあんただぞ、おい聞いてんのか?


 そんな何処へ向けたかも分からない俺の考えなんて、気にも止めず、俺の喘ぎ声にも似た声と彼女の耳かきのオノマトペは続いていく。


 そうして死にたくなる思いと、死にたくないほどの幸せな時間が重なり続け、彼女は何かを持ってきた。


「綺麗になったわよ?仕上げ、ふわふわ〜」

「あっ......」


 俺の耳に天使のはねのような気持ちよさが伝わる。綺麗に何度も耳から離しながら、回したり、高速で仕上げに入っていく。


 梵天。それはタンポポもその柔軟剤どこ使ってんの?とクラスの女子並に聞いてしまいたくなるほどの極上な触り心地。


 仕上げと称されたそれと、耳との距離が近くなった彼女の声を聞きながら、俺はいつしか瞼にしっかりとした重みを感じていた。


 もういっそ意識を手放してしまおうかという快楽に、負けそうになっていた時。


「ふぅ」

「ああ!え、え、え?」


 寝耳に水とは言ったものだが、完全に息である。それも優しく耳の中をなぞるような。


 意識が現実へと戻り、耳を抑えながら訴えた。


「び、びっくりしただろぉ......」

「ふふ、はいおしまい。さ、左側―」


 そう言いかけた彼女の声が止まり、俺は顔を真上に向ける。


 すると、そこには可愛らしく小さな角が頭から生えた彼女が、わなわなと震えながら歓喜に顔を染めていた。


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