第4話

 ぱっと、一瞬にして消え失せる負の力。

 霧に飲まれてしまいそうな繊細な声に身震いして、ソライは再び目を見開いた。

 立っていたのは、柔らかい光に包まれた、銀髪金目のまだ年端もゆかぬ少年だった。

 人型の『彼ら』をソライは刮目したことがなかったものの、あの戦で対峙した獣たちと風貌がおぞましいほどに酷似していた。

 少年とソライの周囲には相変わらず灰色の世界が広がっていた。

 まるで少年と二人、世界から切り離されたような空間であったが、先ほどまで漂っていた負の気配はどこかへと消えていた。

 むしろ、あちこち破れたり煤で汚れた着物を身に纏い、病的なほど痩せこけた白銀の少年に、神秘すら感じていた。

「そう言うあなたは、白狼ですか」

 しばしの間を置いた後、コクリと小さくうなずく少年。

 虚ろな瞳は現世のどこを映しているわけでもなさそうで、よもや幻聴に対して独り言をつぶやいているともとれるほどだった。

「こんなところで、何をしている」

 ソライの問いかけに少年は首をかしげながら、またしても少しの間を置きつつ、ポツリと言葉をもらす。

「……家族を、待っている」

「家族を?」

 十頭前後の群れを成して狩りを行う白狼にとって、仲間や家族とはぐれるということは生死を分けるほどの一大事である。少年が家族とはぐれてから、一体どれほどの時が経過していたのだろう。

 だが、それよりも、ソライは少年の憔悴した彼の眼差しにどこか既視感を覚えていた。

 白狼の少年はぼんやりと、地に着かぬ半透明と化した自身の足元に視線を落としながら、軽いため息を一つついた。

「いや、来ないことは分かっている。だって、これからボクは統領様のもとに行くのだからな」

「統領? サッシュのことですか?」

 白狼は、基本的には群れのみで行動するのだが、白狼全体をまとめる、その名の通り統領となる立場の狼が存在した。その歴代最後となったのが、サッシュ。

気性が荒く、猪突猛進。武力至上主義の白狼たちの間では圧倒的な力を誇り、絶対王者ともなりあがったものの、頭を使うことには長けておらず、勢いだけで緑鹿に突撃して破滅に追い込まされた。

 一言で表現するならば、おおよそ政治には向いていない統領である。

 ソライは風の噂でしか彼の存在を知らないが、彼のもとで働くことすなわち死を意味するところは想像できた。

 けれども、目前の少年にとって、サッシュは己の種族の統領である。

 統領を敬称略で呼んだことが気に入らなかったのか、少年はグルルと反射的にうなった。

「そうだ。ボクは統領のもとでこれから森の盾として、最前で戦う。統領のお付きともなれば話は別だけど、あんたらで言うところの、兵隊となる奴らは大体ボクみたいに、何らかの理由で群れからあぶれて行き場がなくなったから、死に場所としてここに来るんだ。

 ボクだって、家族の――父さんの命令でここに連れてこられた。だからもちろん家族の迎えが来るわけないんだけど、それでもこの城の狭い檻に押し込まれている間は、どうしても期待してしまうよね。もしかしたら、何かの間違いだったって、誰か来ないかなってさ」

 斜に構えたような口ぶりではあるが、見た目通り、少年の実年齢はまだ幼いのだろう。

 切実な願いは、冷淡であろうとするソライの胸を締め付けんばかりに切ないものであった。だが、残念ながら鎮魂師である以上、少年には現実を教えなければならない。

「ひとつ、あなたに告げねばならない……」

「ああ、そうだった。緑鹿とはもう、同盟を結んでいないのだった。むしろ君たちはもう敵なんだっけ? とすれば、わざわざこんなところに出向くなんて、さてはボクと決闘するというのか?」

 言葉をかぶせながら、思い出したように手を打つ少年。余計に真実を告げることを憚られた。

 冷たい空気を吸い込んで、少年の姿を見据えてみる。

 少年の口元に自嘲的な笑みが浮かび上がっていた。

 ソライは肩にのしかかっていた重みがふっと外に逃げた気がした。

「僕は、決闘なんか申し込まない。戦からはとうの昔に足を洗ったもので」

 少年が意外そうに顔を上げる。

「なら、どうして森に入った。緑鹿がこの森に足を踏み入れた」

「それに答える必要はありません。それより、ここは、本当にあなたの言う城だと思いますか?」

「それは……!」

少年はハッとして息を飲む。

さしずめ幻惑からソライの一言により抜け出したといったところだろう。三足分も離れていないソライの姿すら曖昧な霧の世界に狼狽えながら、しきりに辺りを見回していた。

暫くして、少年が少しずつ状況を飲み込み、落ち着きを取り戻したように見受けられたので、ソライは平常を装いながら滔々と現実を述べた。

「今は皇西暦一四〇年。おそらくあなたが予想している時から三年の月日が流れている。そして、戦はとうの昔に終わっている」

「そうなんだ……」

少年のあまりの理解の速さに、ソライは感心する。

 一方で、少年が先ほどの困惑した様子から一転して、あまりに落ち着きを払っているため、不自然にすら思えた。もはや、本当に頭に状況が入っているのか、疑いたくなるほどであった。

 しかし、そのまま死を受け入れてくれれば、少年を浄化することができる。そうすれば、第一の関門を突破できることになる。

「驚かないのですか?」

 ソライは言葉を選ぶように訊ねた。

 少年は顔色一つ変えずに言った。

「別に。だって、今君が言ったじゃないか。『ここは本当に城だと思うか?』って。確かにボクは城の檻で一時幽閉されていたと思っていた。けれど、よく考えてみれば、城に亀裂が入り、崩壊してゆく様をボクは見ていたはずだ。そのあとは――。とにかく、ずっと悪夢を見ていたと思い込んでいたけれど、あれは現実に起こったことと言われてもたいして驚きはしない。それくらいに鮮明な記憶だったんだ」

「そうですか」

 ソライは思わず苦笑する。少年はあからさまにムッとした表情を浮かべた。

「いや、すまない。あなたがあまりにも、敵であるはずの僕に詳しく教えてくれるものでつい……」

 ソライは慌てて弁明しようとしたが、少年の顔は変わらぬままだった。

 けれど、照れ隠しなのは一目瞭然で、頬は微かに赤く染まっていた。

「……そういえば、そうだった。どうしてこんなに話してしまったのだろう」

「別に、話してくれて構いませんよ。戦争が終わった今はもう、敵味方は関係ありません」

「じゃあ、もう一度聞くけど、君はどうして再び白狼の森に入ってきたの? 教えてよ」

「それは……」

 見つめてくる少年の瞳は、健気なほどに真っすぐソライのことをとらえていた。

 ソライは耐えきれなくなって、天を仰いだ。

 これまで、彼が幾人もの霊を送ってきた方角だ。

 相変わらず混沌としていて、何を映すわけでも、また灰以外に降ってくるものがあるわけでもなかった。

 これから行うことを告げる緊張感が少しは和らぐかとも思ったが、そういうわけでもなかった。

 とはいえ、何もせぬまま、いつまでもこうしているわけにもいかない。

 もうじき、ソライは少年の魂を浄化せねばならぬのだ。

 ソライは意を決して、無垢な少年の瞳と向き合った。

「僕は、鎮魂師です。体から抜け出してなお、現世にとどまる魂を浄化する仕事をしています」

 少年は何も言わずうなずいている。

 考えてみれば、齢十をようやくすぎたくらいの外見にして、自分の死をすんなりと受け入れることができたのだから、ソライが森を訪れた理由くらいで狼狽えることはなかったのだろう。ソライは先ほどまでの言葉の詰まりが嘘のようにすらすらと口が動いた。

「魂となったあなたは、恐らく自分が死したことすら気づかなかったため、今この場に残っているのだと思います。だから……」

「ボクを払おうということだね」

 今度はソライが深くうなずく。

 少年はため息を一つつき、ゆっくりとかぶりを振った。

「結局、ボクは何もできないままだったね」

 人々が浄化される前、後悔の念を述べることがよくある。口達者ではないソライは、毎度何を返したらいいのか迷うのだ。

 だから、ソライは鎮魂師になど向いていないと自覚しているのだ。

 いっそのこと、荒れ狂い、人智を捨てたような魂の方が、鎮魂石に傷がつくものの、力ずくで浄化できるから気は楽だった。

 だが、今回は年ごろ以上に大人びた子ども相手。

 気の利いた返事ができればよいが、できない以上は仕方がない。ソライは苦し紛れに言葉を適当に並べ立てた。

「……君は賢い。魂は輪廻転生するもの。次の人生ではやりたいことを、たくさんすることができるでしょう」

「そうか、そうかもしれないね」

 少年はさも分かったかのように再びうなずいたものの、その実やはり納得はできていないようだった。

 心苦しいところもあるが、これ以上ソライが少年のことを助けることはできない。

「では、そろそろ、あなたの魂を浄化してもよろしいですか」

「うん……。もういいよ」

 ソライはすっかり白く濁った鎮魂石を少年にかざした。

 コォと、弱弱しい光が石に灯る。

 これでもう、この少年ともお別れだ。

 次こそは、まっとうな人生を歩んでほしいものだ。

 ソライが念じる力が強まる。

 刹那、彼の脳内に、熱く燃える視界が流れ込む。

 魂の、現世に対する執着が強かった場合、こうして鎮魂石の持ち主に相手の記憶が伝わることがある。

 普段であれば構うことはないのだが、その日は驚きを隠せず、念じる力を途中で止めてしまった。

「あなたは、あの時の……!」

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