第2話

 如何、如何。如何、如何。

 鎮魂師たるもの、己の過去に心を乱しては仕事にならぬ。


 自身に言い聞かせた言葉はしかし、鎮魂師などという家柄によって、不本意ながら課せられた職業に置かれている現実を突き付けられ、余計に気を滅入らせるばかりであった。

 とはいえ、鎮魂師が誉れ高き職であることは十分に承知していた。

 人並み以上の才能がなければ務まらない。先祖代々鎮魂師であったからとて、必ずしも子孫たちがその才を天より授かるわけでもない。現に、ソライの兄は鎮魂師となるにはあまりにも微弱な霊力しか持ち合わせていなかった。

 霊力とはすなわち、命を落としたにもかかわらず、未だ成仏できない魂たちを具現化させ視る力。また鹿神の涙とも例えられし『鎮魂石』に祈りを込めて霊たちの成仏を促す力。

 残念ながら、ソライは若干十五にして、まさに天賦の才とも表現すべき霊力が兼ね備えられていた。

 才能が満ち溢れていたが故、こうして一人、数百の民が暮らす街が瓦解し、同じくらいの数を誇る獣の群れが君臨していた森が一夜にして焼き払われてしまうほど激戦を繰り広げた戦場痕へ赴くことになったのだ。

「だが、かかる依頼を僕に寄こしてくる緑鹿の長は、よもや正気の沙汰ではあるまい」

 ソライはつい心の内を吐露してしまう。慌てて口をつぐむ。

 幸い、鹿車を引く鹿たちの足音に掻き消されたため、彼の言葉を耳にする存在は周囲にはなかったのだが。


 やがて、霧の中に薄く黒ずんだほこりがちらちらと混じるようになってきた。

 湿気た空気にも、徐々にいぶした香りが強まる。

 

 いよいよか。


 ソライは高まる鼓動に嘔吐きそうになりながらも、視線だけは灰色の世界からそらせずにいた。さらに目を凝らすと、生体などとうの昔に絶命したはずの領域で異様に明るい白光が霧の流れに合わせてフラフラと浮遊していた。

「ここで十分です。止まってください」

 コンコンとノックされたのは鹿車の窓ガラスに反応し、四頭の鹿を従えし御者は手網を引き、静かに鹿車を停車させる。

無言のまま振り返りもせぬ彼にソライは軽く会釈すると、錆びた扉を開いて硬い座席から、泥炭土と灰が入り混じった柔らかい地にヒラリと降り立った。

「やあ、どうもありがとう」

ソライは再度礼を述べた。御者は真っ黒なハットを目深に被っているため、表情は読み取れない。

「僕の仕事が片付くまでここで……」

言いかけたが、徐に御者が空を仰いだため、それ以上の言葉は出てこなかった。

「そうか、あなたはもう逝くのですね」

ソライがそう言うと、御者は小さく頷く。呼応するように前方にいた鹿の一匹が音を立てずに、前足で地を蹴った。

生ける魂から、自由を奪うことはできない。死した体から抜きでた霊魂であれば尚更だ。

「さようなら。これは、僕からの餞です」

 ソライは首に下げていた、気泡が混じる半透明の、藍の鎮魂石を御者にかざした。石は持ち主の念に反応して、コォと低くうなりながら真っ青な光を発した。同時に鹿車や鹿たち、御者にも同様の光を帯び始め、たちまち辺りには幻想的な藍の世界が生まれた。

それでも御者はやはり何も言わぬまま、鹿に前進するよう手綱で合図を送る。

聞こえるのは鹿車の車輪が回る音のみ。それも霧と灰が入り交じる不可思議な空間に存在が飲まれると消えてなくなり、ソライを取り巻く環境は呆気ないほどの静寂となった。

 鹿車が無くなると、鎮魂石の光も収まり、再び視界はどんよりと灰色に包まれた。

行く先は愚か、次に踏み出すべき足元すらおぼつかない中、ソライは安堵のため息をもらして俯いた。

「自ら旅立つ意思のある魂たちで良かった」

 ソライは次の霊魂を察知する方向へ一歩を踏み出す。

歩みに合わせて湿気た灰がソライの革製のブーツにまとわりつく。が、しかし反発してすぐハラハラと落ちてしまう。

魂を扱う鎮魂師を死せるものは受付けない。

 かくして死した灰たちは、どうやらソライのことを拒絶しているようだった。

「さて、それでは仕事に取り掛かりましょうか」

 徐に、ソライは首に下がっている鎮魂石を片手で握りしめた。

 使用直後でまだ温かい石は、先ほどよりもさらに白濁していた。

「もうすぐ取り換えなければなりませんね。といっても、新市街地に、石が取れそうな洞窟などあるのでしょうか」

 とはいえ、かような大仕事を任されているのだ。むろん未使用の石はいくつか腰袋に携えていた。

 一歩踏み入れた先は、さらに灰が降り積もっている。

「まあ、無事生きて帰れたら、その時に考えましょう」

 ソライは誰に向けるわけでもなく微笑み、さらに奥地へと進んでいった。

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