第7話


 俯いていた女が顔を上げた。美しい女だった。白粉など要らないほどの肌の白さ。大きな目を縁取るまつ毛は長く、唇は紅を挿さずとも艶めいていた。その唇が何かの言葉を紡ぎ、目から涙が零れ落ちた。それに対し、当時の入道は静かに首を横に振った。女性が身を乗り出し、何かを嘆願する。しかし、またも入道は聞き入れない。女は泣き崩れ、それに子らが寄り添う。子らは泣かなかった。目に涙を溜め、きっと入道を見据えていた。入道がそれを咎めると、女性は子らを庇い、何度も首を横に振った。そして、また嘆願を繰り返す。入道は手で顔を隠すようにして、暫し黙した。

「……迷った。しかし……」

今の入道が苦虫を嚙み潰したような顔をする。すると、映像の中の入道は手を顔から退けると、静かに頷いた。それを見た女性の顔がぱっと華やいだ。そして、親子共々地べたに顔を擦るようにして平伏した。

 その場面を、入道は複雑な顔をして見ている。そして、すっと一点を指さした。

「あの、赤子……」

その指先は、女性の腕に抱かれた赤子を示していた。

「我らの徒となりそうじゃ」

「殺しておけば良かったと」

「そうさな。親子共々滅ぼしておけばよかったのやもしれぬ」

入道は低く唸った。

「否、この時滅ぼせるものならば、滅ぼせる全てを滅ぼしてしまうべきであったのやもしれぬ」

入道の顔が歪む。それまでの静けさが消えうせ、激しい感情が渦巻き始めた。

「入道」

烏が呼んだ。その声は変わらず穏やかである。入道もつられるように感情を収めた。

「この世に起こりうる全ての事は、神の天秤の上にござりまする。それは僅かな事で均衡を失いますれば、貴方様の行い一つで、出来事も、その意味合いも変わりましょう」

そういうと、烏はパチンと指を鳴らした。すると、映像が揺らぎ、入道は近くにいる男に何かを命じていた。すると、命じられた相手は驚き、目を見開いた。そして、何度も首を横に振った。震えながら、平伏し、何かを願い出ている。しかし、入道はそれを入れず、恫喝した。男は、震えながら女性の傍にいる武士に何かを命じた。武士もまた、男と同じように怯えた目をした。しかし、ぐっと拳を握りしめると、腰の刀を抜いた。

 そして、目の前の親子を次々と切り捨てた。女は、最期の息で子らの名を呼び、ごぼりと、血と共に呪いの言葉を吐いて息絶えた。切り捨てた武士は、崩れ落ち、涙を流すと、その場で命を絶った。

 その場に居た誰もが、入道の冷徹さに恐れ慄き、そして、怒りを覚えた。

「されば、我が一族に徒成すものは居なくなろう」

そう言いながらも、今の入道も青ざめていた。自分が何故その道を取れなかったのか、今なら分かる気がした。

「では、この道の先を見てみましょう」

烏がそう言ってパチンと指を鳴らすと、場面がまた変わった。すると、そこでは入道が幾人かの武士に囲まれていた。手に手に武器を持ち、明らかに入道に敵意を向けている。今の入道が一番驚いたのは、彼らが全て、己が見知った顔だったからだ。

「何故じゃ!あれらは我が一門の者ではないか!それが何故!」

入道の叫びも空しく、目の前で自分自身が同門の男たちの手にかかって切り伏せられた。映像の中の入道は大量の血を吐き、あの時の女と同じように呪いの言葉を吐いて息絶える。その骸は汚れた布に包まれ、人知れず打ち捨てられた。

「何故……」

今の入道は言葉も出ない。同じ時期に死ぬのだとしても意味が違う。そのままであれば、入道は一門の者達に囲まれ、惜しまれつつ絶命した。恐らくはその葬儀も丁寧に執り行われるであろう。今見たもののように、疎まれつつ死ぬのとはわけが違う。

「一つの決断が変われば、未来も変わりまする。人の心も、その意味合いも」

「烏」

入道が掠れた声を出した。

「この先……この選択の上に我が一門はどうなる」

「滅びまする」

「何!」

「貴方様が生きておられた時と、状況はさほど変わりませぬ。あるいは、御一門は貴方様に罪の全てを負わせて、命乞いをされたの矢も知れませぬ」

「それは、聞き入れられなかったという事か」

「貴方様が聞き入れなかったのと同じでござりましょう」

「因果応報、か」

入道は言葉を失った。暫し黙して思考を巡らせた。あるいは、己を裏切り、命を奪った一門など、滅んでしまった方が良いのかもしれない。しかし、その裏切りの種を蒔いたのは、他ならぬ自分自身なのだ。抑もその種を蒔かなければ、自分が殺されることも無く、そして、

「烏」

震える声で呼んだ。

「は、」

「されば、我は正しい選択をしたのじゃな?あの時情けをかけたことが、我が一門を助ける事になるのじゃな?」

「……ご覧になりまするか?」

烏は沈痛な声を出した。入道の喉がごくりと鳴る。

「見せよ」

「御意」

烏はパチンと指を鳴らした。

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