第6話

 ゆらゆらと映像が揺れている。様々な色が交錯し、やがて再び何かの像を結び始める。

「おお、」

そのゆらぎが確かな形を作る前に、入道が何かに気付いてため息のような声を漏らした。

「懐かしや、あれは儂の最初の妻じゃ」

その声に、またも大きく波紋が流れ、映像には美しい女性が現れた。嫋やかで、何とも上品な顔立ちをしていた。着ている着物も美しく、煌びやかではないが、落ち着いた品の良さを醸し出していた。焚き染めた香の香りすら感じられるようだった。

 すると、傍に寄り添う男が現れた。先の映像よりは幾分年を取っているように見えるが、それでもまだ若い入道の姿だった。

 まだぎこちなく、それでも精一杯の心遣いで女性に接していた。武骨な手から差し出される花を、女性は頬を赤らめて受け取っていた。その白い手を、不器用に、それでいて大切に包み込む大きく浅黒い手が、入道の気持ちを表していた。

「良い女子であった。共に在った時はそれほど長くはないが、儂にとっての初めての妻。勿体ないほどの良い女子に巡り合えた」

入道の顔がさも嬉しそうに、しかしどこか気恥ずかしそうに綻ぶ。

 しかし、一転、映像は切り替わり、今度は気の強そうな別の女性が現れた。入道は更に照れた様子で、しかし、何故か心忙しないといった様子でそれを見た。映像の中の入道は先ほどとさほど年が変わらないように見える。その中で、何故か女性に対し、よそよそしく、決まりが悪そうにしている。すると、女性は入道に詰め寄り、その両頬を掴んで引っ張った。

「……あれは、儂の二度目の妻よ。気の強い女子であった」

居心地が悪そうに入道は頭を掻いた。しかし、映像の中の入道も、今の入道も、同じような顔で女性を見ている。

 確かに最初の妻に比べて気が強く、余りに違う型の女性ではあったが、入道は悪い気はしていないようだった。その気の強さ、生命力の強さが、入道の支えにもなっていたのだ。

「あの妻は、本当によく働いてくれた。ある意味、誰よりも儂の出世を手助けしてくれた者であるやもしれぬ。あれは、上の者との繋がりが強く、その縁を以って、儂を引き上げてくれた。あれがおらねば、儂はあそこまで高みには行けなかったやもしれぬ」

「上に行くべき方は、何を失おうと上に行きまする」

しばらく黙っていた烏が静かに口を開いた。

「しかし、力添えに感謝する気持ちは尊いものにござりまするな」

烏は嬉しそうな声を出した。何故か親や師に褒められている様な気分になり、入道はついと視線を外した。

「何よりも、妻はかの姫を生んでくれた」

入道が言うと、またも波紋が起き、一人の赤子を映し出した。

「おお、姫よ」

入道は目を細めて微笑んだ。そこに映る赤子を抱きしめようとするように両手を差し出す。すると、映像の中で、当時の入道が赤子を抱き上げた。愛しそうにその小さな手に自分の指を握らせている。寄り添う彼の妻は少しばかりすまなそうにしていた。武家であるならば、男児が望まれる。女児を生んだ後ろめたさだろうか。そんな妻を入道は労い、心から笑っていた。

「儂にとっては、女児もまた宝よ」

「使える、ということですか」

烏が言った。その言葉に入道は目を見開いた。だが、その目はふっと伏せられた。

「そう、としか思えぬのも、また、寂しいがな。当時の儂はそう思っていた。今、こうして人の世の柵から抜けてみれば、ただただ愛しい。素直にこの小さな、儂の血を受く赤子が可愛くてならぬ」

入道は一つ、呼吸を置いた。

「あの頃は、己の娘を上流に嫁すことが、権力を手に入れるための常道。それが、皇命であれば更に良し。そして、儂はそれを望める場所にいた。まるで、全ての繋がりがそうせよと言うような環境であったのよ」

「そうであれば、そうなのでしょう」

烏もまた、一呼吸置いた。

「全ては成るべくして成りましょう。それが可能であったのならば、誤りはありますまい」

入道はまたも、心に安堵が広がるのを感じた。

(こやつ、何者……)

幾度となく訪れるその疑問に答えは今だ与えられない。そして、思いつきもしない。だが、烏が認めるような口を利くと、無礼どころか胸をなでおろしてしまう。人生の一つ一つを見直し、見定め、自分自身で評価していくようだった。その中で、その基準を作っているのがあたかも烏であるかのように、その一言一言を意識してしまう。入道の中の無意識が、烏の中に何かを感じているようだった。

(どの道、ただ者ではあるまい)

入道は小さく息を吐いた。

 すると、映像の中の赤子が少女の姿になった。可愛らしい姿で雀の入った籠を眺めている。かと思えば、入道の背に揺られて眠り、かと思えば、琴を弾く母親の傍でじっとそれを見つめていたりもした。

 幼い心は、目新しいものを次々と吸収し、己の栄養にしていく。どんな些細な事も、まだ見ぬ世界を彩る、鮮やかな色の欠片になっていくのだ。

 そして、それらを吸収し、姫は美しく育っていった。

 入道はその娘との時間をさも愛しそうに見ていた。先刻口にしたように、今は純粋に娘が可愛いのだろう。今は政も駆け引きも関係ない。ただの父親だった。だからこそ、己が生前、何をしたかが胸に刺さる。

「……姫は国母よ」

少し苦しそうに入道は言った。すると、画面が変わり、今度は姫が煌びやかな衣装を着けて、立派な若者と並んでいる場面が映った。そして、場面は変わり、姫は一人の赤子を産んでいた。

「主上の元へ入内し、男御子を授かった。その事で、儂の権力は天井知らずとなった」

「世の習い、そのものですね」

烏の言葉に入道は静かに頷いた。思えば、様々な障害があった中で、この姫だけが自分の思い通りになってくれたと言えるのかもしれない。

(女子に助けられた)

入道は思った。

 自らを産み落としてくれた母も然り、最初の妻も、二人目の妻も、映像として見られなくても、他の数多の女が自分の心と体と人生を支えてくれた。自分一人でも、また、男だけでもできなかったことが、彼女達の力添えで可能な事になっていったのだ。

 そして、血を分けた娘が、最後の一押しをしてくれた。映像の中でも、既に僧形となった入道が、女御、国母となった姫の手を取り涙を浮かべて喜んでいた。

「この時ほど、胸が熱くなったことは無かった。女子は強い。その強さに儂はいつも救われた」

入道は目を細めてその光景を見ている。

 と、場面が急に暗転した。真っ暗な中に一人の女性が映し出された。着崩れた旅姿。乱れた髪。隙間から見える肌には白粉すら乗せていない。女の胸には赤子が抱かれていた。そして、傍らにも二人の男児を連れている。

「これは……」

入道の顔が俄かに曇った。

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