7 好奇心は人間を殺すか
「ええと、ちょっと待って」
僕はメモ帳をぱらぱらとめくった。話を聞き終わってからメモしたから、抜けている部分があるかもしれないけれど。
「まず――マックス・アンドリューズは、哲学部の三年生。クラブの所属は無し。ルームメイトはジョナサン・ジュール。神学部の三年生。ラグビークラブ所属。二人が所属する寮はエイト・ブリッジっていう、この大学で最古の寮だ。哲学と神学系の生徒が集まる男子寮。
……なんだけど、防犯カメラが表門にしか付いていないっていうのもあって、裏門から女の子を連れ込むやつはそこそこの人数いるらしい。あ、これオフレコね。寮監も知らないトップシークレット。ばれたらヤバいらしくって、絶対に先生には言うなって脅された。
で、アンドリューズもそれをやってた一人。週に三回か四回は連れ込んでるって有名だったよ。彼女の名前は……そうそう、フィービー・クームズだ。学部とかは分からなかった。もしかしたら同じ大学のやつじゃないかもしれない。グラマーで派手、金髪、すごく気が強そうな感じだったって」
紙袋を軽く叩く。
「服を返すって名目で訪ねたんだ。ほら、この間アンドリューズが来た時、そのままシャワー室に置いてっちゃったからさ。本当はジョナサン・ジュールに会いたかったんだけど、警察に呼ばれたらしくっていなくてね。残念ながら会えなかった。とりあえず、こんな感じ」
「それを調べてきたんですか」
「そう。午後の講義丸々サボっちゃった」
ウルフは眉根を寄せた。小さな呟き。どうして、そこまで。その言葉に続きがあったかは分からない。彼はそれ以上言わなかったから。
どうして、そこまで。
僕は首をひねった。
「うーん……そりゃ確かに、警察に任せておいても平気だとは思うよ。絶対に犯人は見つかるだろう。たぶん。それまで黙って大人しくしてる、っていうのは賢明な判断だと思う。でもさ、なんていうか……」
君が犯人扱いされているのが気に食わない、なんて言えるほど親しんではいない。そんなことを言えるほど、僕は彼を理解していない。もしかしたら本当は彼が、っていう考えも捨てきったわけじゃない。
真っ直ぐ僕を見る宇宙の瞳。暗くて深くて広い。やっぱり怖い。怖いけど、でも、人間っていうのは恐怖を抱いたまま宇宙へ飛び出せる愚かな生き物だ。だからホラー映画なんてものを作り出す。結局誰だって、恐怖の向こう側にあるものを求めてやまないのだろう。
僕だってそう。好奇心には勝てない。
それに、知ってしまえばもう怖くない。
「単純に、気にならない? 誰がアンドリューズを突き落としたのか」
「……正直に言っていいなら――」
重苦しい感じで言い始めたウルフが、ふいにニヤリとした。瞳の中が煌めくのが見えた、ような気がした。魔法じゃなくて、もっと誰もが普遍的に持っている何かで。
「――気になります、とても」
「だよね! 良かった」
ほっと息を吐いた。ここで断られていたら詰みだった。背もたれに顎を乗せて手足を投げ出す。
「僕、調べることは好きなんだけど、推理ってなると苦手でさ。とりあえず何か思ったことはある? この辺もうちょい調べてほしい、とかさ」
「そうですね……アンドリューズが一番最近フィービー・クームズを連れ込んだのはいつのことか、分かりますか?」
「えーと、ちょっと待って――あった。先週の金曜日だって」
「ふむ」
ウルフは顎先を爪でこするようにした。
「仮にここまでの情報と仮説がすべて正しいとしたら。ジョナサン・ジュールがマックス・アンドリューズに呪いと称した嫌がらせをした。その上ですべての罪を私になすりつけるために、赤い服を着てアンドリューズを階段から突き落とした。動機はフィービー・クームズを巡って。そういうことになりますね」
「なんだ、簡単じゃないか。じゃあ事件はすぐに解決だね。ジョナサン・ジュールは警察に尋問されているわけだし」
「ですが素直に口を割るかどうか。アリバイを作ってあるかもしれないし、証拠も出てくるかどうか分かりません。女性を連れ込んでいたことは寮ぐるみのトップシークレットなんでしょう? 警察だからと言って、すべての人間が協力的になるとは限りませんよ」
「そっか……確かに、僕でも黙るな。たとえ自分が連れ込んでなくても、僕のせいで寮則違反がばれたなんて知られたら、絶対にリンチされるもんね」
「ええ。それに、まだ疑問がいくつか残ります」
「疑問?」
長い人差し指がピッと天井を指した。
「エイト・ブリッジは元々修道僧のための宿舎でした。歴史的にも女人禁制の場所です」
「そうなんだ。詳しいね」
「本で読みました。そのような場所に、しかも実際に呪いが効力を発揮している最中にも平気で女性を連れ込める人間が、果たして呪いを恐れるでしょうか」
「確かに。それはちょっとおかしいかも」
「そしてそういう場所は」
中指が立ってピースサインになる。
「霊的な守護が強く、妖精程度では入り込めないはずです」
「え? それじゃあ」
「ですが妖精の鱗粉は確かに付いていました。問題は、どこでそれが付いたか、ということです。どこか外部で、あるいは別の人間に付いていたものが移ったのかもしれません」
女性の気に引きずられて結界が壊れた可能性も大いにありますが、とウルフ。僕はふぅんと頷いた。
「そしてやはり」
薬指が伸びる。くすんだ銀色のリングが嵌まっている。
「なぜアンドリューズがルームメイトの名前を聞かれて自分の名前を答えたか。それが一番気になりますね」
うんうん、それは本当に気になる。呪ってくるような恋敵を庇うなんて意味が分からない。しかも自分の名前を使って。僕だったらむしろ積極的にルームメイトの名前を言って、なんならコイツを呪ってくれって頼んじゃうかもしれない。
「ジョナサン・ジュールの方は警察がどうにかするでしょう。私たちに出来ることは――アンドリューズにもう一度会いたいですね。少なくともそれで、転落の原因が人為的なものか妖精の悪戯かははっきりするはずです。意識が戻っていればなおいいのですが……彼の入院先って分かりますか?」
「うん、それは聞いてきた。ええとね……あ、ごめん、病室までは分からないや」
「病院が分かれば充分です。部屋の場所は直接聞きましょう」
「オーケー。いつ行く?」
「明日。講義が終わってから、空いていますか?」
「もちろん!」
その夜はここ最近で一番よく眠れた。やっぱり、心配事はさくさく解決に乗り出すに限るね。
翌日、講義が終わって寮に戻ってくると、見知らぬ人が部屋にいた。ニット帽をかぶった背の高い男性。平凡なグレーのダッフルコートに最近流行りの安っぽいブーツ。誰だコイツは。思わずドアノブを握りしめたまま立ち尽くしてしまう。
「えーと……どちら様で……」
「良かった、うまく機能しているようですね」
その人はにっこりと笑って、黒縁の眼鏡をかけた。途端に霧が晴れたみたいに、脳内の顔認証システムが再起動する。
「あ、ウルフ?!」
「はい」
帽子を取ると、収納されていた長い髪の毛が出てきた。これでほとんど元通り。
でも、うん。
「コートが違うとまるで別人だね」
「それが狙いですから。印象は魔法なんか使わなくても、ちょっとした工夫でどうとでも操作できます」
「……君の手にかかったら、完全犯罪も容易そうだな」
うっかり呟いてしまった。だがウルフは気にした様子もなく、「そうですね。やるとなったら徹底的にやりますよ。やりませんけど」なんて頷いてみせた。僕は乾いた笑いを返すしかない。
全部コイツのミスリードで、犯人が彼だったらどうしよう。なんてね。
病院までは歩いて二十分ほどだ。十一月の半ばにしては暖かな日で、風も穏やかだった。初等学校くらいの子どもたちが、ころころと転がるように脇を駆け抜けていった。元気で良いことだ。
その時ふと、僕はもう一つ気になることがあったのを思い出した。
「魔法使いってさ、突然なることもあるんだろ?」
「え?」
「不思議だったんだ。ティンカーベルの鱗粉の話。ほら、一般的なのと魔法界のとで解釈が違う、ってやつ」
あの時頭によぎった疑問を思い出して、魔法使いについて検索してみたのだ。
いろいろと怪しげなページが出てくる中に、魔法庁の公式ホームページがあった。魔法使いはいかにして魔法使いとなるのか。慣れない人が作ったらしいページはものすごく読みにくかったけれど。
それによれば、魔法使いの素質というものは十歳から十一歳までに発現し、たいていの場合遺伝する。けれど、両親ともに魔法使いであっても子どもに素質が無いケース。両親とも一般人だったのに、突然子どもが素質を持つケース。そういう場合もあるのだという。
「生まれた時から魔法使いで、魔法使いの家で育ったなら、魔法界の解釈を聞いて育つはず。それなら、初めて聞いた時に驚くことはないよね。驚いたってことは、正しいと思っていたことと違った、ってことかなって。それなら、魔法使いになるまでは一般の家庭で育ったのかなぁと思ってさ」
「……推理、できるじゃないですか」
「合ってた?」
「少々無理やりですが、合ってますよ」
コートが違うからだろうか。彼の微笑はいつもより頼りない感じだった。
「十一歳までは一般人でした。両親はもちろん、祖父母や親類にも魔法使いはいなかったので、素質が見つかった時はちょっとした騒ぎになりましたね」
「そうなんだ」
「特に父は――」
突然、ふつりと言葉が切れた。まるでその瞬間に絶命したみたいだった。彼の方をそっと窺う。表情をなくした顔。フリーズしたパソコンよりもっとひどい。なんだかまずいところに触れたようだった。
僕は咄嗟に腕時計を見た。
「あ、急がないと面会時間終わっちゃう! 走ろう!」
本当は余裕たっぷりだったんだけど。パッと走り出した僕に、数メートル遅れたはずのウルフはあっさり追い付いてきて、そして追い越していった。
赤くない彼の背中はひどく軽そうだった。
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