#09 まさか

 いくら化けもんの晴夜でもケミカルFXの毒と大ダメージで、もう動けないわさ。


 しかしッ! ここであり得ない事が起こる!!


 彼女の瞳が大きく見開かれる。


 再び、額に汗の玉が噴き出す。


 そんな馬鹿なッ。


「実に愉快です。愉快で爽快。まさか、これほどの力を得られるとはね。いや、むしろ、あれほどの力で、わたくしを追い詰めたのです。これくらいは当然ですか」


 なんと晴夜が無傷なばかりか、余裕の表情で、晴れた土埃の中から現れたのだッ!


 ケミカルFXの効果など体中を巡る前に中和したとでも言わぬばかりな所作でだ。


 軽く右手をブラっとさせるているのが小憎らしい。そののち首を左右に傾げてコキコキと音を立てる。右手で自分の前髪をかきあげる。髪に付いた埃を払う。と、左目の下に見覚えのあるマークが見える。またイタコの瞳が大きく見開かれる。


 そうのなのだッ!


 あり得ない事に左目の下にカーンと読む梵字が刻まれていたのだ。


 なんと晴夜は仏すらも口寄せして魅せたのだ。


 もはや人間業ではないとすら戦慄するイタコ。


 ともかく、カーンが指し示す仏はアチャラナータと呼ばれる不動明王。大日如来の化身とも見なされる揺るぎない守護者の明王だ。起源がヒンドゥー教のシヴァ神とも言われる仏で、最も救い難い衆生をも力ずくで救う為、忿怒の姿をしている。


 ゆえに武力に関しては地蔵菩薩の比ではない。


「あんた、仏を口寄せしたの? なんの対価もなしにさ。それどころか今の一瞬で口寄せしたって事は敬意も払ってないんじゃないの? それ、本当にヤバイよ……」


 イタコの目が更に大きく見開かれ体が固まる。


 彼女の額から流れ出る汗がヤバさを加速する。


 もう、どうしようもないわさ。


 打つ手が、ない。


「フフフ。対価ですか? 敬意ですか? 必要ないですね。わたくしは神霊ですら己の力で強制的に口寄せできるんですよ。しかも、こんな事さえもできるんですよ」


 …――オン、バザラ、ダラマキリク、ソワカ。


 と微笑んだ途端、晴夜の右目の下にも更に新しい梵字が刻まれる。


 キーリクと読む梵字だ。この梵字を持つ仏はサハスラブジャと呼ばれる千手観音。


 サハスラブジャとは千の手を持つものという意味を持ち、その千本の手は、どのような衆生をも漏らさず救済すべく在るのだという。つまり武力の不動明王と全てを受け入れる千手観音で攻防両側を補った事になる。もはや地蔵菩薩だけでは敵わない。


 いや、初めの始めから一体の仏と二体の仏では、お話にならない。


 もちろんイタコも他の仏を口寄せすればいい。


 そうすれば、条件はイーブン。


 しかしながら地蔵菩薩だけでも、あのスタミナ消費量なのだ。更に口寄せを重ねれば体がもたない。もちろん晴夜とてスタミナに関しての条件は同じなのだが、応用にも長ける彼は、どうやらスタミナの消費量を最小限に抑える術も考え出したようだ。


 そう考えなければ二体の仏を口寄せするなどとは自殺行為だとしか考えられない。


「フフフ。多分、三つまでは口寄せは可能ですが、そこまでしてしまえば単なるイジメになってしまいます。だからこのままいかせてもらいますよ。よろしいですか?」


 と晴夜が冷たい笑みで言った。

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