第5話 この世界 1


 翌朝、私は教わった通りに服……着物を着る。

 これがとても難しい。

 普段着がこんなに難しいなんて驚きだ。

「左前、右前で意味が異なるから気をつけなさい」とか「帯の結び方はこう」とか「これを巻いてからこちらの帯を巻く」とか……一時間かかってようやく形になった。

 ジェーンさんに教わりながらでも、これだけ時間がかかるのだ。

 しかも私が教わったのは着物の着方の中でも簡単な方。

 びっくりして心が折れそう。

 これから毎日、これを着ると思うと億劫。


「こういうものは慣れどす。毎日着てれば、きになりまへん。さ、殿下がお待ちどす。参りますぇ」

「は、はい」


 昨日一日中寝てしまったけれど、おかげでかなり体が軽い。

 なので今日はミゲル様と面会して、これからどうしたいのかを相談することにした。

 どうしてミゲル様が私を『招き人の恩人』にしたのか、この国に連れて来て保護してくれたのか……聞かなければならないと思う。

 だって私はかつて敵対していた人間の国の、『人間』なのだ。


「こちらのお部屋どす。わっちは壁の方に立ってるから、なにかありましたらこっちを見ておくんなまし」

「あ、ありがとうございます」


 ジェーンさんのつぶらな瞳につい、笑みが溢れる。

 不思議とどんどんジェーンさんがかわいらしく見えてくるのだ。

 潰れたお顔、かわいいっ。

 って、それどころではなかったのを、襖の前に正座したジェーンさんを見て思い出した。

 ジェーンさんに偉い人の部屋の前に入る時は一度座って、お声がけするのがマナーだと教わったのよ。


「ミゲル様、コニッシュはんをお連れいたしました」

「入れ」


 ジェーンさんが私を見て一度頷く。

 私も、それに頷き返す。

 肉球のおててが襖の端に爪を引っかけ、五センチほど開けて一度止める。

 これもマナーなのだそうだ。

 こうして一度少しだけ開いて止めることで、相手に「今から入りますね」と心の準備をさせるのだという。

 細かい気配りすぎてびっくりしてしまうわ。

 でも、私も普段誰も部屋にこないから、たまにセリックがノックだけで入ってくるとびっくりしていたのを思い出す。

 コンコン、とノックの音がしてビクッと肩を震わしたのは、一度や二度ではない。

 この国のように扉の前で一度声をかけ、それから扉を少し開ける……それだけでもかなり違う気がするわ。

 突然声をかけられたらびっくりしそうだけど、襖だと足音や気配が感じられる。

 誰かが近づいてくるのもわかるから、心の準備がしやすい。

 いいなぁ、と思う。


「失礼いたします」


 そうして部屋に入る。

 一度頭を下げ、顔を上げて別な意味でびっくりした。

 絢爛豪華、という言葉が浮かぶ。

 とても広い部屋。

 左側面は素晴らしい絵画のような天井。

 お部屋の構造やその名称はすべて教わったわけではないから、わからないのだけど……カラフルですごい!

 これは、今度絶対全部教えてもらわないと……す、す、素晴らしい!

 あれは鳥かしら? 獅子? 赤い色がすごく素敵。

 壁にかけてある紙と、それに書いてある文字のなんと特徴的で前衛的なのかしら。

 とてもかっこいいわ!

 部屋全体が外から光を取り入れていて、明るく爽やかで清潔感がある。

 木造りって、こんなにも優しく包まれた感覚になるものなのね。

 部屋なのに、部屋なのに……包容力がすごい!


「体調は?」

「あ! ……は、は、はい。大丈夫です」


 そして——真正面、奥の間に座るミゲル様が……優美すぎてまたびっくりした。

 初めて会った時はフードもかぶっていたから、よくわからなかったけれど。


「あ、あの、た、助けていただき、ありがとうございました……っ」


 び、美人! 美人すぎる!

 女の人でもこんなに綺麗な人、見たことない!

 青銀に輝く長髪。艶やかな青の着物。

 この国の服装をしている! すごい! とても似合っている!

 袖から覗く腕がとても色っぽくて直視できない。

 ので、思わず思い切り頭を下げて畳におでこをぶつけてしまった。


「そんなに頭をこすりつけるように下げる必要はないよ。こちらとしても招き人を無事に手に入れることができた」

「コニッシュさん、俺は上坂心かみさかしんといいます。助けてくれてありがとうございました」

「!」


 頭を上げると、ミゲル様の隣に招き人が座っていた。

 緑色の着物を着た、すごく落ち着いた印象。

 あのあどけなさが消えた……!?


「あ……い、いいえ、私は、川を流れてるところを、引き寄せたくらいしか……」

「川!?」

「川を流れてたの!? 俺!?」

「え、は、はい。どうしてか突然、人が流れて来て……」


 見上げるとミゲル様と招き人は顔を見合わせていた。

 そして私が招き人を拾った状況を、詳しく聞きたいと言われる。

 なので私は自分の事情も踏まえた上で、この国に来るまでのことを洗いざらい話す。

 闇聖霊神の祝福を受け、【魅了の魔眼】の加護を与えられた私。

 同じ家にいる家族、使用人にも存在を忘れられがちだった私に、唯一優しくしてくれた婚約者セリック。

 魔眼を得てからみんなに認識されるようになり、体も健康になっていった。

 でもそれが【魅了の魔眼】による影響だとわかると、婚約者から婚約破棄を突きつけられ、学園からも家からも国からも追放される結果となる。

 仕方ないのだ。

 仕方ないことなのだ。

 わかっている。……わかっている。

 貴族として当然のことだと、私如きでも納得できること。


「そんな、ひどくないですか……?」

「人間の国はそれが普通なのかい?」


 二人はそう言うけれど、私が家の立場や王家の立場を思えば当たり前だと説明すると渋々納得してくれる。

 少なくとも、ミゲル様は「なるほど」と言ってくれた。

 唇尖らせたままなのが気になるけれど。


「そういう事情で森を彷徨っていたら、国境結界を超えてしまったのか」

「国境結界……?」

「人間と我ら魔族は五百年以上殺し合いを続けていた。そうして妖魔が極端に増え、双方妖魔によって滅亡しかけた。滅亡を回避するために光と闇の聖霊神は、我らを出会わせぬようにとそれぞれの結界の中に我らを分けて閉じ込めたのだよ」

「!」


 魔族と人間は、戦争が長く続いていた。

 それは授業でも習う。

 でも、光と闇の聖霊神が種族を分けて結界に閉じ込めていた、なんて話は初めて聞いたわ。

 それに、妖魔がそのせいで増えただなんて……。


「あ、あの、妖魔ってなんですか?」


 ミゲル様に招き人……シンさんが問う。

 そ、そうだよね、異世界の人は知らないよね。


「妖魔は、妖霊神という生き物の呪いから生まれた神に囚われた者たちのことだ。そうだな……約束通りこの世界のことを説明しておこう」


 そう言って、ミゲル様はシンさんにこの世界のことを話し始める。

 そしてそれは、私がレイヴォル王国で学んだものとは少し異なっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る