第七章 ノゾムモノノゾマレヌモノノゾマレルモノ。
U……u……mmm……
導かれた渇望するなりそこないたちが、時空を渡り僻を越え集まる、集まる、集まる。
呪詛か畏怖か、それとも歓喜なのか、割けた口から叫びを漏らしながら、身を捩り腕をつきだして、火が点りそうな爪を伸ばしてくる。同胞たち。
U…f…o oo ooo
見ない、見ない、見ない。
見ればきっと悲しくなる。
感じない、感じない、俺は何も感じてない。
クレヴィットは自分に言い聞かせ続ける。
そして、
カシャン、パシャン、グシャリ みんな自ら崩れ、砕けていく、潰れていく。
かんじるなっっ!
なのに、
鴇の姿にまたひとつ、脹れて腫れ上がる醜い痕ができる。ひとつ、またひとつ、また ひとつ。
………っっ!!
「やれやれ、時間かかるなあ、君。」
クレヴィットのその眼には謀る者が映ってる。
「そんなに時間かけてたら、その子ホントに死んじゃうよ。いくらジャブダルの子でもさ。」
その言葉、それのせいかはわからない、が、クレヴィットの虚ろな眼には、色の違う灯がひとつ現れた。
喧しい……。
それは感じたことのない感情のひとつ。
「お。やっと出たかな。」
喧しい…喧しい…
黙れ…黙れ…黙れ…黙れ…
!
慌てて鴇の姿を見る。特に変化はない。…良かった。
「気が付いた?それとも偶然かな。そう、朱の子は、憎しみや怒りには共感しない。安心したかい?安心しないとナンもできない、てのも頼りなさ過ぎだけど、まあ何でもいいや。その調子でそれで満ち満ちて。話はそれから。」
謀る者が他人事を語ってる。
喧しい…喧しい…や か ま し い。
クレヴィットの全身にぴしぴしと細かい亀裂が走る。
亀裂にそって皮膚は裂け、硬く尖り逆立つ。裂けた皮膚の隙間を盛り上がる血肉が埋める。皮膚の裂け目と盛り上がる血肉は、足下に散らばるぐしゃぐしゃのなりそこないたちを物凄い勢いで音をたてて吸い込み、糧を得た血肉と皮膚は変化を加速していく。
「その調子だ。」
謀る者は満足げに見える。
「憎悪と憤怒に満ち満ちて、成り為りて成り立つ。…チュリュグディ。」
喧しい。クレヴィットはそう思った。それが最後の記憶。
「…おい、アルド。お前まるであの仕立屋だぞ?」
「お前こそだよ。ダルニス。」
もはや矢は放たず、弓そのものでなぎ倒してるダルニスと、剣をブンブン振り回しているアルド。あの仕立屋の看板は一振千機だったっけ?なんかそんなんだったな。
とにかく、それくらいこいつらは一遍にペシャペシャと砕けていく。
「…たく、そんななら出てくんな、だ。」
「邪魔くさいだけだな。」
キリエが応える。
「…こいつら、身体を置いてきてるんだ。」
「なんだって?!」
手にする棒を回転させ、薙ぎ払いながらキリエがいう。
「想いだけでここまで来た。それがこいつらだ。だからすぐ壊れる。」
「そ?そんなんで?で、しかもこんなに!?」
「身体を置いてきた、て…戻れるのか、こいつら?」
「それはわからん。でも置いてかれた身体はすぐ朽ちる。戻れたとしても、もう無いだろう。」
「!こいつらっ…馬鹿かよっ」
なりそこないは知能がない。確かに誰かがそう言ってた。
「何でっ!そんなにしてまで、ここに来るんだよぉっ!」
唄に、何処からか流れくる懐かしい唄に、呼ばれて惹かれて焦がれて焦がれて、とうとう身体から抜け出てしまったこいつら、こいつら。
「あーっ邪魔だぞっ!邪魔だっ、おまえらっ!」
なんでかアルドは少し泣きそうになる。
「収まれ。さあ、収まれ。」
キリエが薙ぎ払いながら呟いている。なんだか駄々捏ねるコをあやしているようにも見えた。
「どりゃあっ!」
アルドは、時折混ざる金属のゴミたちを力一杯叩き潰した。
「…出来たか?」
謀る者には熱き思いがあった。けれどチュリュグディにはそれはどうでもいい事。それよりさっきから見えている、ちっぽけななりそこないがウザい。まだ壊れていないのもウザい。痛みを取り込まされて膨らんで、暗黒色の紫の液体をとろりとろりと垂らしつつ、汚泥の縄に絡まれて浮いてる鴇は、常にゆらゆらしているのだけど、その真下で届きもしない手を必死に伸ばしてる。それに無性にイラついた。咽の奥底から呪いのように唸り声が迸る。
すると、鴇に絡みついていた汚泥の縄がするする勝手にほどけて、そして消えてゆく。
「あ、この子もう、意識が保てないんだ。」
謀る者が笑ったように見えた。
ゆらりゆらりと漂う鴇が ゆらりゆらりと堕ちていく。なりそこないが両手を伸ばす。とろりとろりがぽたりと両手に落ちる。
チュリュグディの唸りが大きくなる。
汚く醜いなりそこないが、垂れ下がる鴇の髪の先端に、届け、届けと、腕ばかりでは飽きたらず、短い舌を懸命に延ばすその姿を見留めたその時、チュリュグディの内部で爆発は起きた。
雄叫びが世界を叩き割り、体躯は空間の全てを占める。俊敏に飛び出す二本の腕は、ひとつは鴇を受け止めて、もうひとつは哀れなやつを一瞬で握り潰した。微塵のかけらも残さずに。
謀る者がほくそ笑む。
「やっと仕上ったか。」
チュリュグディは右手に握った鴇を見ている。
膨れに膨れ腫れ上がりきった可哀想な水風船は、中をきゅと握られたから、両端がぶくりと膨らんでしまう。プシュリと小さな音がしたかも知れない。鴇の旋毛の辺りからたらたらと額や鼻先や頬をつたって流れ落ちる、暗黒色の紫がかる液体が、チュリュグディの右手を染めていった。
チュリュグディは思わず咆哮する。そしたらまた鴇に呼応させてしまった。
今度の鴇は、びくんびくんととても激しく痙攣し、そしてぴたりと静かになった。旋毛から瞼の裏から耳から鼻から零れてた液は滴りではなく迸り出した。膨らんでしまった唇と手足の全ての爪先から赤紫の汁がじくじくと滲み出でて、同じ色に染まったチュリュグディの右手を伝わり、ぼたぼたと落ちた。
「その子死んでるよ。」
チュリュグディの瞳が鈍く灯る。
「残念だろうけどね、その子は死んだ。見てわかるだろ?」
チュリュグディの左手が、謀る者を掻き斬ろうと走る。しかし掴まれたはずの謀る者は、霧となり四散して、また形を戻す。もちろん今度は左手の届かぬ場所で。
「私は思念だけなんだ、て言わなかったっけ?」
せせら笑うとしか受け取れない口調で謀る者がいう。
「ねえ。」
チュリュグディに絶対攻撃されない場所、脹れ上がった鴇の額の丁度真上に片足で留まり、謀る者が囁いた。
「君、蘇生は出来ないだろ?治癒ももちろん出来ないよね。」
チュリュグディの眼の灯が停まる。
「この子はジャブダルの子だから、命が完全に尽きてしまえば、溶けて消えてなくなる。なりそこないのように痕がらすら残さない。」
チュリュグディの眼は動かない。
「君にできる方法がひとつだけあるよ。」
チュリュグディの眼が幽かに動く。
「この子を喰ってしまうのさ。今すぐ、ね。」
謀る者は繰り返す。
「喰ってしまえ。チュリュグディ。この子が溶けて消えてしまうその前に。」
喰ってしまう。丸ごと全部。髪の毛一本、爪一欠片、残さず余さず。
「ならばこの子はお前の血潮に満ち満ちて、お前の生涯未来永劫、お前と伴に居てくれる。おしゃべりもしてくれるさ。この子はお前のなかで生きるのだから。愛しいこの子と生涯一緒だ。」
チュリュグディの眼が右手に掴む鴇に墜ちる。
鴇はもう瞳も開かず声も出さない。だらりと開いた口元から、こぷんとまだ汁が溢れてくる。
イトシイ がぐるぐる巡る。イトシイイトシイイトシイ…ズットズットズット…
「さあ!」
…さあ。…さあ。
「ときーーーーー!!」
飛び込んできたのは3発の弾丸。
「鴇を離せっ!」「離せっ!」「離せっ!」
三位一体のジャブダルのネズたち。閉じた指を開こうと右手に攻撃を集めてくる。ああ。チュリュグディはおもう。みんな、だ、鴇のみんな…。
「まずい。チュリュグディに成ってる。」
サンクトゥスが唇を噛む。
「グローリア、遠ざかる鴇の意識を掴まえてくれ!」「もちろん!」
「チュリュグディの動きを止めるぞ。白群、ネズたちっ、手伝え!」
サンクトゥスが宙から紡いだ光の珠を次々投げる。
五人は光の珠を強靭な糸珠のように携えて、5つの方向からぐるぐるとチュリュグディに巻き付ける。
「おや、予想外かな。まあみんな喰えばいいだけか。みんなメスだし。」
謀る者の言葉と裏腹に、チュリュグディは為されるままに、黙って縛られ拘束されていく。ただ右手だけは、鴇を握っているせいで縛れないようだったけど。
これでいい気がした。このまま自分は囚われて、鴇を、鴇のみんなに託すのが一番良いような気がした。縛られなかった右手を開こうとして、鴇がその瞳を開いているのに気が付いた。
鴇の瞳にうっすらと明かりが点り、チュリュグディを映している。そして、幽かに唇がなんとか動こうとしていた。
チュリュグディの表情が、瞬間和らいだ。
けれど鴇の唇から出たのは言葉ではなく噴き上がる紫の液体、同時に瞳の灯が消え、くたりと掌が重くなり、そこにあるはずの肉体の気配が消えた。
そして、鴇が透けていく。
チュリュグディは全身を捩り咆哮する。
右手を硬く閉じた。これ以上、鴇が消えないように。
チュリュグディは咆哮し続ける。それは断末魔の長い長い叫びにしか聞こえなかった。
謀る者の言葉が響く。
喰ってしまえ……。
消えてしまう前に…。
喰ってしまおう……。
消えないように…。
握りしめた拳を迎えるための顎(あぎと)が開き始める。
「待たせたな!」
「掴まえたわ、鴇の意識!」
三人が飛び込んでくるのとグローリアが叫んだのは同時だった。
「鴇の意識よ。 …クレヴィットを助けて!… 」
震えるグローリアが告げる。
「キリエ!奴の名前はクレヴィットだ!」サンクトゥスが叫んだ。
頷いたキリエは一口息を吸い整え、くるりと棒を構えて唇を開いた。
U……mm…m --n …f f …O ooo o …m--uu u
アニュスデイの唄が響く。深く、強く、豊かに、たゆとう懐かしい音の繋がり。
聴くものに与えるのはざわめきではなく落ち着き。吟い紡いでいるのはキリエ。
チュリュグディが停止した。
「キリエ、吟うんだ、」
アルドがつぶやく。
「そう、キリエは吟える。」サンクトゥスとグローリアは祈る。力を託す為に。
「聞け。クレヴィット!」
キリエの声が響いた。
「思い出せ。お前の名前は
クレヴィットだ!」
チュリュグディに届いたか…?
「やれやれ。ホントにいちいち手間がかかる。」
もはや隠れようともせずに謀る者は宙を渡り、チュリュグディに近付き言霊を投げつけた。
「ジャブダルのメスを喰え。チュリュグディ。さあ、おまえはジャブダルのメスを喰うんだ。」
メ…ス…喰…う……。
「おい!俺あんた見たこと有るぞ。」
アルドの声に面倒くさげに謀る者が応えた。
「私も君を見たことあるよ。アルド。」
「ファントム。…あんた、ここで何してる?」
ファントムはアルドを真っ直ぐ見下ろした。
「…欲しいものがあってね。私にはどうしても欲しいもの。だけど諦めてたんだ。それが手に入るがわかってね。取りに来た。」
「気に入らないな、」そう答えたのはダルニス。
「なにかが、いや何もかもが真っ当じゃない気がする。凄くする。とにかく、そこから離れろ!」
ダルニスが弓を構える。
「チュリュグディ。はやく喰ってしまえ。」
「黙れ!」
ダルニスの矢が走る。
しかし、ファントムは霧散し、矢は虚しく空を舞う。
「さあ、チュリュグディ、喰うしかない。わかるだろ?」忽ち姿を戻してファントムが囁く。
チュリュグディの瞳は虚ろに濁る。鴇を握った右手は顎(あぎと)に近づき、顎は確実に開いていく。
その時、空を揺るがし雄叫びが挙がった。それは嘆きの咆哮ではなく、苦渋の断末魔でもなく、はっきりと強い意志が生んだ雄叫び。雄叫びと共に瞳の濁りを振り切って、チュリュグディは光の網を内から引き割き左手を解放した。そしてさらに強い雄叫びを挙げると、解放された左手は鴇を握りしめる染まった右手を掴み、引き裂き千切りきり離し、掴んでいる鴇ごとジャブダルたちに差し出した。
サンクトゥスとグローリアが消えそうな鴇を掬い上げる。ネズたちが鴇の元に集う。
キリエはしっかりチュリュグディの目をみていった。
「さあ、お前の在るべき処に収まれ。クレヴィット!」
キリエの棒が美しい弧を描いてしなる。サンクトゥスとグローリアかキリエに寄り添う。碧の光と朱の光を纏った玄いタクトは真っ直ぐにチュリュグディの眉間を捉えた。
壊れる、ばきばきと音をたて細かく割れて崩れていくチュリュグディ。
激しい自らの血飛沫と崩れる身体の粉塵とで、視界がほとんど得られない中、チュリュグディの瞳は鴇の姿を捉えた。
仲間のネズたちと白群の掌から造られている朱色の繭に包まれた鴇は、徐々に腫れが引き、色も美しく戻っていく。もう透けてはいない。
チュリュグディは空を仰いだ。舞う血飛沫、砕ける粉塵に加わったものがもうひとつ。それは熱く透明に澄んだ液体。チュリュグディの両の眼から、空に向けて昇華するように登るチュリュグディの涙。
「…忌々しい、あと少しだったのに。」
ファントムが歯噛みしていた。
「偽物だがまあいい。少し位なら力は有るだろう、モノは同じはず…!」
呟くと、ファントムは飛び上がり、
「これ、ひとつ貰うよ。」
と、すばやく手を伸ばし、チュリュグディの眼球ごと取り上げて、忽ち霧散して消えた。
ぐらりと大きく世界は揺らぐ。思念無き残像にカタチを留める力はない。
「崩れるぞっっ!」
誰かの叫び声。
「みんなっ捕まれ!」
飛ぶサンクトゥスの指示
かつて生き物だったものの瓦礫の下に、かすかに見えたまだそんなに大きくない手を、キリエがしっかり握り締めた。
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