第四章 湿地にて。喰われる命と永らう命

U…mm…f……o oo o

湿る空気をゆっくりと纏い、クレヴィットは目を閉じる。

U…oo o o…mm nnn…o o

繋がり、縺れ、流れ、そして広がる音。音は唄になる。

バキッ。

その唄がもぎ取られるように掻き消された。

パキリ、バキリ、バキリ。

「しまった!」

現れたのはなりそこないではなく、サハギンとリチャード。奴らの目に映るクレヴィットは、奇妙な音を出すただの餌。

逃げる、逃げる、逃げる。

けれどあっという間に、回り込まれ挟まれた。激しく噛みつかれ、そして裂かれる。

哀れなクレヴィット。腕から肩がバキバキと砕けていく。肩から割けた腕はぶらぶらと下がりやがて千切れるのだろう。クレヴィットは叫んだ。

すると空間が不規則に裂けた。ぶくぶくと濁ったアブクがはみ出してくる。なりそこないたちが現れ出て来た。

奇妙な雄叫びを重ねるなりそこないたちと、がさつに咆哮するサハギンたちの衝突。激しく組合い、引き裂き合い、噛み千切り合う。喰い合いだ。

クレヴィットは物陰に隠れ息を止めた。

サハギンがバラバラに散らばり、リチャードが肉塊に成り果てたころ、なりそこないたちも自ら崩れて潰れていった。

やはり、ここでもカタチが留められないのだろうか。

湿地の柔らかすぎる土に半ば埋もれながら、残ったのは夥しい魔獣の千切れた肉片となりそこないの痕ガラと。

…俺、まだ生きてる。

クレヴィットは息をついた。

「おまえ!なりそこないだな!」

驚き目を張るクレヴィットの前にたどり着いてきたのは、薄朱色の小さな子。

鴇だ。

「きみは……だれ…?」

「お前、喋れるの?」話が出来るなりそこないに、鴇はひどく驚いた。が、鴇は自分の為すべき事をちゃんと知っていて、まずそれに仕掛かかった。このなりそこないの怪我はひどい。

左手、右手、天に、地に。小さな足が右に左に、そして前に一歩戻って三歩。そして歌う。それは朱色の韻、祈りの呈の呪文、または意味の無い符丁若しくは只の音の羅列。

しかし、クレヴィットの傷口は少しずつ塞がっていった。

「……ありがとう、」

回復したクレヴィットが項垂れる。

「きみ、グローリアなんだね。」鴇は頷き、そして尋ねる。

「アニュスデイの唄を吟ってたのは、おまえ?」

「そう。吟ってたのは俺。」

「…何で吟う?」

「わからない…。」

「…???」

「吟ってたらここにきた。だから、吟ってたら帰れるのかな、て。それと…」

「それと…?」

「吟えばみんなが来るんだ。」

「…呼んでるの?」

「ううん、なんでかみんなが来るんだ。」

「…なりそこない、が?」

俯いたまま、クレヴィットは呟く。

「…あそこじゃダメなんだ。」

あそこ…?

うん、とクレヴィット。

「あわい。俺達が居るところ」

クレヴィットは繰り返す。

「あわいのなかは混沌とし過ぎてて。なんもかもが、見通し悪くて、不確かで。」

あわい、それはジャブダルと外界を隔てる境界と結界の間。なりそこないの卵が放たれる場所。常にホコリや欠片や命足り得なかった細胞、生きたままだったり、死んでいたり、が絶え間なくたゆとう、不透明に白いだけの世界。

「…みんなはてんで勝手に怖れたり、苛立ったりして、気が付けば殺しあったりしてる。」

クレヴィットは項垂れ、呪文のように吐き続けていた。

「見たくなくて聴きたくなくて、ずっと頭の中流れる音を聴いてた。」

鴇は黙っている。

地べたに張り付くなりそこないたちの痕ガラは、キラキラ光る。ただ光る。

「そしたら吟えるようになった。」

「…アニュスデイの唄だ。」

鴇は、キラキラ光る痕ガラを見つめている。

「吟ってみたんだ。あのなかで。そしたらみんなが集まってきた。」

クレヴィットは鴇をみた。

「みんなスゴく柔らかい顔になって嬉しかった。けど、そしたら急に流されて、…ここについた。」

「ああ、ここ、確かになんだかが、流れてる」

鴇にもクレヴィットのいうことは感じられた。

「ここな、バルオキーていうんだって。」

「そうなの?」

鴇の話にクレヴィットの瞳が素直に丸くなった。

「うん。ヒトていうのが住んでる。」 

「あ、それは見た。みんなバラバラのカタチしてる。」

「……ざっくりでは、似てるよ。」

「そうだね。ざっくりは似てる。」

クレヴィットは立ち上がっていた。傷はもう少しも痛くない。

「魔獣てのがいる。こいつらは種類ごとに同じカタチ。」

「さっきのやつ。」

「うん、こいつらは俺らを喰おうとするだけみたい。気を付けて。」

鴇はクレヴィットが何処かに行こうとしている事に気が付いた。

「何処かにいくの?」

「うん、ここでもみんなはカタチが保てないらしいから。別の処を捜さなきゃ。どこか別の処。みんなで行ける場所があるのかも。」

「……危ないぞ。ひとりきりなんて。」

「いいんだ。なりそこないはみんなひとりきりだ。ひとりきりで動く。」

クレヴィットが微笑んだ。

「俺の名前はクレヴィット、」

「鴇。」

「治癒してくれてありがとう、鴇。じゃあ、俺、行くね。」

「な、みんなに相談してみないか。」

「みんな?」

「うん、銀鼠、素鼠、源氏鼠、それに白群。そう白群なら何かいい考えがあるかも。サンクトゥスだし、」

「ああ、きみは皆できたんだね。……いいなぁ。」

「うん。自分たちはずっと一緒だった。」

透明の籠のなか。ずっとずっと籠のなか。

他の子みたく濃くならなくて他の子みたく大きくならない。

他の子たちと一緒になると、何一つついてはいけなかった。そして自分等はずっと自分らだけの籠のなか。

サンクトゥスの研究所の平たい部屋の透明の籠のなか。いつまでも。いついつまでも。

「…出来損ないなんだ。私たち。」

鴇はポツリと呟いた。

「そんなことないよ。」

「そんなこと、ある。」

「…。ね、大人や他の、サンクトゥスとか、グローリアとかキリエとかに言われたの?出来損ない、て。」

「……言われてない、」

「なんて言われたの?」

「もう少し待ってみよう、て、」

ほら ね、とクレヴィットが元気にいう。

「きみたちは、これからきっと大きく濃くなるんだよ。これから!なだけだよ。そうさ。それに例え大きくなくて濃くなくても、それはそれで構わないのかもしれない、ヒトたちなんかすごいバラバラだったし。」

「そうか?そうかな。」

「そうだよ!きみは治癒が出来る。唄も吟える。ちゃんとグローリアだ。出来損ないなんかじゃないよ。きみがちゃんとグローリアなように、きみのみんなもちゃんとキリエでちゃんとサンクトゥスなんだ。全然出来損ないなんかじゃない。」

力強く語るクレヴィット。

「…ありがと、クレヴィット。」鴇がやっと笑顔になった。

「じゃ、俺行くね。」

「待って。」

去ろうとするクレヴィットの左手を鴇は両手で捕まえた。

「やっぱり、一緒にバルオキーの村に行こうよ、みんなの知恵と力とこころを借りよう。」

クレヴィットは激しく動転し戸惑ってるのだが、鴇が構うはずもない。

「ヒトたちも助けてくれるのがいるんだ。アルドとか村長のおじーさんとか、パンくれるおばさんとか。」

「え?え?なに?なんて?」

「ね、だから一緒に行こう?バルオキーの村へ。みんなに一緒に考えてもらおうよ。」

「……でも、」

クレヴィットは口ごもる。

「俺、見た目汚ないし。キモチワルイし、ほとんど魔獣てやつらと同じに見えるし、」

「鴇がみんなにちゃんと話すよ。しっかり話すよ。絶対ダイジョウブ!」

「みんなと一緒、に…。」

クレヴィットの瞳が遠くを泳ぐ。

しかし突然、別の答えが返された。矢鳴りの羽音がひとつ。一筋の矢がクレヴィットの足元に的確に刺さった。

「その子を放せ、魔獣!」

ニノ矢を構えたダルニスが次は眉間を狙ってる。

「違う!違う!違う!魔獣じゃない!」

激しく叫ぶのは鴇。

「いいんだ、」

クレヴィットは鴇の手を振りほどき、鴇を突き飛ばした。

「鴇、きみは行って。みんなと一緒に居て。それがいい。」

そして自分は真逆の方向に走り出した。

鴇だけなら、きっと殺されることはない。そう思った。

けど鴇が置いていかれて、ぼんやり佇んでる訳がない。クレヴィットを追いかける。もちろん、全力で。

「な、なんだ?なにが起こってる?おーい?」呆気に取られ、取り残されるダルニス。その時、

「鴇!」「鴇!」「鴇!」「待てよ、」「まって!」

追い付いてきたジャブダルの子達、ふたりを追いかけこちらのみんなも全力だ。遅れがちなシンガリのひとりと一匹も同様に全力は全力だったんだけど。

「あ…?ダルニス?」

「…ああ、アルド。」

ダルニスはほっとした。

「すまん、説明してくれ。」

走りながら話すふたりと一匹。

「うん。でも、とにかくあのこたちを捕まえないと。」

「…そ、そうだな。」

跳ね、捩れ、迸る水のように逃げる一匹と、それを追いかけ滑るように泳ぐ薄い朱色、そしてそれらを追いかける鋭く弾む毬のような薄墨色の軌跡が3つ、ほの薄碧い夜光にもにた細い光が直線でひとつ。そして、剣と弓矢をがちゃがちゃいわせながらどたどた追ってく二人と、猫が一匹。

どんなに逃げ手が優れていても、この見た目滑稽な捕物が解決するのは時間の問題のはずだった。追っ手はぐいぐい近づいていく。

「ああ、無様な行列だ。しかしここで終わらせる訳にはいかない。それではなんの意味もない。」

大気に紛れるそれの声が、走るみんなに聴こえたかどうかはわからない。

「要るものだけは頂きたい。」

クレヴィットの目前の大気がぱっくり口を開けるように裂けて、クレヴィットを呑み込んだ。すると、続く鴇が素早く飛び込む。が鴇を気にすることはなく、裂け目はしれっと閉じてそして消えた。

「!なんだって…!」

眼に映る、景色は何事もない凡庸なそれに戻り、そして、追手の一行はまんまと取り残される。

「おや、おまけも拾ってしまったか。まあいい。なかなかいいおまけだ。使える。」

影は霧散し移動していく。けれど誰も気付かなかった。








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