「辻沢日記 22」(鞠野フスキー危機一髪)

 その時、入口の鉄扉にノックの音がして鞠野フスキが入ってきた。


あたしと畑中を見て、


「やあ、君たち」


 といつものように気軽に挨拶をした。


 畑中はそれまでむき出しにしていた殺意をいったん収めた様子で、いつもの腑抜けた笑顔を鞠野フスキに向けた。


鞠野先生そいつやばいやつです。


そう言いたかったけど、それを口にしたら鞠野フスキまで襲われかねないから、ここは黙ってやりすごし鞠野フスキに何とか外に出て行ってもらおうと思った。


そんなあたしの気も知らないで、鞠野フスキはいつものように世間話をする体で畑中の隣に座った。


そして手ぶりまでつけて昨晩のBリーグの話をして盛り上がった後、


「そうだ、畑中君。君が月曜に出したレポート大変よかったよ」


 言われた畑中は、記憶をたどっているかのように目をしばたたかせていたが、


「どうしたの? なにかあった?」


 と鞠野フスキに促されると、


「いえ、何も。ありがとうございます」


 畑中は照れたように下を向いた。


「ああ、とってもよかった。これはご褒美だ」


 と鞠野フスキは立ち上って畑中の頭に手を置いた。


その時、あたしには畑中の頭上で何かが銀色に光ったのが見えた気がした。


しばらくすると鞠野フスキの手ごと畑中の頭が揺れ始めた。


それに同調するように畑中の全身がぶるぶると小刻みに震えだす。


畑中が顔を勢いよく上げた。


その両目は眉間に引き寄せられ白目が剥き出しになっていた。


次第に体の揺れは大きな痙攣となって椅子から落ちそうなほどになってゆく。


ついには上体をそらせながら激しく痙攣して止まり、それ以上動かなくなった。


畑中だった体がゲーセンで見たイケメンに変じてゆく。


やがて体のいたるところから紫色の炎が噴き出してきて、男の体を焼き尽くし、最後はその存在ごと虚空に消えた。


テーブルの上には畑中が読んでいた『呪われたナターシャ』だけが残っていた。


 鞠野フスキが手に持った銀色の棒をあたしに向けた。


それは、『スレーヤー・R』で対蛭人間武器として定番の水平リーベ棒だった。


「先生どうして?」


「本物の畑中くんはまったくレポートを出さない困った人でね。そもそも彼とは下で別れたばかりだし」


「じゃあ、こいつは?」


「ヴァンナパイアさ。さっき畑中君がゼミ室で居眠りしてたら首を何かに刺されたって言ってたんだ」


 鞠野フスキは、片手を挙げて首の後ろを撫でている。


「彼らは血を吸った者に擬態することができるのかもしれない」


 鞠野フスキに昨晩の青墓での出来事を一通り話した。夜野まひるのことは除いて。


「そうか。そんなことがあったのか」


 鞠野フスキは自分の研究机に寄りかかり腕組みをしながらそう言った。


「いったいあれは何者なんでしょう? 宮木野の流れかなんかですか?」


「そうじゃないと思うよ」


 鞠野フスキはそう言うと、ポケットから鍵を出して一番上の引き出しを開けた。


中から原稿用紙の束を取り出し、


「これを読むといい」


 手に取ってみるとそれは50枚くらいの原稿用紙で、黄ばんだ表紙にはこう書かれてあった。


『辻沢のアルゴノーツ』200×年記。筆者の名は四宮浩太郎。


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