「辻沢日記 23」(『辻沢のアルゴノーツ』)
鞠野フスキが『辻沢のアルゴノーツ』と書かれた原稿用紙を手渡して、
「四宮が亡くなる前に紀要に載せてくれって送ってきたものだよ」
四宮浩太郎の著作で「辻沢ノート」以外のものがあるなんて知らなかった。
でも、大学の紀要に載っているのなら図書館の検索に一番に引っかかるはずで見逃すはずがない。
「読めば分かると思うが、そんなファンタジーを大学紀要に乗せたら本学は世界中の笑いものだ。だから断った」
鞠野フスキのセリフとも思えない権威主義的な言い方に戸惑っていると、鞠野フスキがいたずらっぽい笑顔をこちらに向けて、
「20年前さ。当時大学院生だった僕にそんな権限はなかったよ」
そう言うと今度はぐっと渋い表情に変わって、
「原稿は預かったけど紀要選考委員に提出しなかったんだ。それは偽りのない辻沢の調査報告で、よくぞここまで調べ上げたと友人として誇らしかった。しかし書いてある内容があまりに露骨すぎて、これはインフォーマーに対する背信行為と判断した。だから僕の一存で握りつぶしたんだ」
と言った。
「読んでもいいんですか?」
そんなものをあたし個人が目にしていいとは思えなかった。
しかし鞠野フスキからは意外にも、
「おそらく君以外に読むべき人は見当たらないよ。コミヤくん」
という返事が返ってきた。
あたしは『辻沢のアルゴノーツ』を手に取ると表紙をめくって読み始めた。
万寿屋の高価な原稿用紙には楔で刻んだような文字が並んでいて、まるで筆者が上梓されないことを予め知っていて、その怒りを文章にぶつけているかのようだった。
その鬼気迫る文面には、宮木野という遊女に端を発する血塗られた歴史が綿々と綴られ、流血や惨劇を時代毎に繰り返す陰惨な様子が活写されてあった。
「そこに書いてあるのが正しければ君が出会ったヴァンパイアとは違うだろ?」
たしかに『辻沢のアルゴノーツ』には以下のようにある。
「辻沢のヴァンパイアは死滅時、青い炎を発し燃え尽きる。同時に微かな山椒の香りがする(後略)」
あのリクス女たちと畑中Vは紫色の炎を上げて消えた。
後から山椒でなく松脂の匂いがしていたような気がする。
でも……。
「何か不満でも?」
鞠野フスキがあたしの顔を覗き込んで聞いた。
辻沢のディープなことが書かれた文章だから、あたしは過度の期待をしてしまっていた。
これまでオトナに、いや辻沢にぶつけて得られなかった問に対する回答を、この『辻沢のアルゴノーツ』の中にいつの間にか探してしまっていた。
しかしどのページをめくっても求める答えはなかった。
何が足りてないのか。
それがわからず肩透かしを食らった感じで、あたしは『辻沢のアルゴノーツ』を閉じて鞠野フスキの手に戻したのだった。
それを鞠野フスキに見透かされようだった。
鞠野フスキは受け取った『辻沢のアルゴノーツ』のページをぺらぺらとめくりながら、
「この報告書には欠陥がある」
と言った。
「四宮はマリノフスキーの『西太平洋のアルゴノーツ』に倣ってこんな表題を付けたのだろうけど、書かれてあるのはヴァンパイアのことばかりだ。これでは辻沢の半分も書ききれてない」
鞠野フスキはぐっと身を乗り出し、あたしの目を見据えて、
「君たちのことがいっさい描かれていない」
と言った。
あたしたちのこと。
ユウとあたしのこと。
鬼子と鬼子使いのこと。
「そう、君たちこそ『辻沢のアルゴノーツ』だよ」
再び椅子に座りなおすと言った。
「君やノタさんにそれを調査して欲しくてね」
それでクロエに辻沢を勧めたのか。
でも、クロエが鬼子の本性を知る可能性についてはどう考えてるんだろう。
その先にあるのはユウのような苛烈な日常かもしれないのに。
夜野まひるとの共闘。
空を飛ぶ輩らとの抗争。
この2日の間にあたしの周りに起こったことは、あたしにとっては外部世界との接触だったけど、それはユウにはまったくの日常だった。
鞠野フスキはそれをクロエに望んでいるのだろうか?
あのリクス女たちが辻沢のヴァンパイアでないのは理解できた。
でも何者なのかは全く分からないままだ。
そしてどうしてユウやあたしが付け狙われねばならないのか?
それを知りたかった。
「鞠野先生は辻沢のヴァンパイアに知り合いはいないんですか?」
鞠野フスキには思いもよらない質問だったらしく面食らった様子をしている。
「僕は、どちらかと言えばアンチだから」
アンチって……。呆れた。
こういうときの鞠野フスキは頼りない。
鞠野フスキがだめならオトナか。
でもオトナがあたしの質問にすんなりと答えてくれるとは思えない。
どうしよう?
その時、天から光が射した。
大天使、夜野まひるの姿が思い浮かんだのだ。
そうだ、夜野まひるに聞こう。
きっと彼女の笑顔に答えが隠されているに違いない。
「鞠野先生。あたし辻沢に行ってきます」
さらに面食らった様子の鞠野フスキが、
「今からかい? じゃあ、これを持って行きなさい」
と言って、机の上に置いてあった水平リーベ棒を渡してくれた。
それなら部屋に帰れば数本ストックがある。
それに鞠野フスキも畑中Vの仲間に狙われないとは言えないから、
「先生のがなくなってしまいます」
と言うと鞠野フスキは机の下から木刀を取り出し上段に構え、
「お天道様の下では奴らの勝手はさせねーぜ」
と見栄を切った。
映画かドラマの物まねみたいだけど、全然分からないから、スルー。
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