「辻沢ノーツ 46」(ヒダル抹殺)
その窪地の縁に立った時に感じたのは、何か得体のしれない生物が発する不快な匂いだった。
こんな山奥なのに磯の匂いがする。あたしが嫌いな匂いだ。
それで少しひるんでしまったけれど、月明かりに照らされた石段をKさんらしき人影が降りて行くので、あたしもそれについて行くしかなかった。
月の光のせいか窪地の底の社殿が靄の中に浮かんでいるように見えている。
人影が石段の終いにある鳥居をくぐり靄の中に消えると、少しして社殿周りが明るくなった。
社殿の中で明かりを灯したらしかった。
漏れ出る光に照らされた周囲はそれまでとは異なり、黒々と且つぬらっとして見えた。
そのことは石段を降りて分かったのだけど、窪地の底一面がくるぶしぐらいの水で浸されていて、その水に明りが反射していたからだった。
鬼子神社はその水面の真ん中に浮かぶようにして建っていたのだ。
あたしも石段を降り鳥居をくぐる。
その鳥居は真ん中にもう一本の柱がある山道の入り口にあった3本足のものだ。
その時、『夕霧物語』に出て来る朽ち果てた山の神社の鳥居も3本足だったことを思い出した。
さらに周囲は水浸しで屋形船が沈下したような社殿であったことも。
ただここの鬼子神社は普通の神社建築のように見えた。
鳥居をくぐり水浸しの敷石を踏んで社殿の前に立ったけれど、階には賽銭箱やガラガラの鈴はなかった。
正面の格子戸が明るい。
中に向かって「Kさん」と呼びかけてみたけれど返事はなく静まり返ったままだ。
あたしは階を昇り格子の隙間から中を覗いてみた。
中は6畳ほどの板間でその中央あたりに燭台が立ててあり、蝋燭が灯されてあった。
その他に板間には何もなく、人の気配もしていない。
奥にもう一間あるようだけどそちらは暗くて様子がわからなかった。
入ろうかしばし迷っていると中から声が聴こえてきた。
うめくような苦しそうな声だ。
Kさんの声かと思い、格子戸を開けて恐る恐る社殿に踏み入る。
煤の匂いがツンと鼻を突く。
その匂いは暗い奥の間から漂ってくるようだった。
一歩踏み出すと床がギシッと鳴って気持ちがすくむ。
なんとか気持ちを奮い立たせて燭台に近付くと今度は天井から音がした。
見上げると天井板が一枚そこだけなくて辺りの暗さを集めて四角い闇を形作っていた。
そのままそこを見つめていると暗闇の中からこちらを伺っている何かと目が合うようなような気がしてきて急いで目をそらした。
また声がした。外で聞こえた声だった。
うわごとのような声。
あたしはその声のする奥の間の暗がりに目を凝らしてみた。
暗がりに目が慣れて来て、徐々に暗闇の底で何かが蠢いているのが見えてきた。
それが床を這いずっている。
背中に冷や汗が伝う。
Kさんなの?
ちょっと待って。これは再びの死亡フラグなんじゃ?
身構える間もなくそれは蝋燭の灯の輪の中に這い出て来たのだった。
あたしはそれのことをよく覚えていた。
爛れた黒い肌、ジクジクと滲み出る血膿。奇妙に捻じ曲がった手足。潰れた目鼻。髪のない頭。
それは火事場から引き上げた時の、あの夕霧太夫そっくりだった。
でも……。
「助けて」
黒焦げのそれは捻くれた腕を伸ばして頭をもたげ、助けるべきか逡巡するあたしに向かって焦げ臭い息を吐きかけながら言った。
「Nさんなの? どうして?」
「お願い、あたしを助けて。あの時のように」
「どうすればいいですか?」
「あたしをあの池に連れて行って」
池って、あたしはNさんを一度けちんぼ池に連れて行ったはず。
いかがわしさを拭いされないまま、手を伸ばして助け起こそうとした時、何かがあたしの目前の空気を切り裂いた。
驚いて一歩後じさってそこに屹立したものを見ると、それはロングスリコギで、赤黒く爛れた頭部を貫通して板間に突き刺さっていた。
「クハッ」
それは口から息を吐くと激しく痙攣をした後、動かなくなった。
「Nさん!」
駆け寄ろうとしたら、その体からじりじりと炎が燃え立ち、次第に青い光を放ちながらついには社殿の中を隈なく照らし尽くす光輝になった後、急激に消沈した。
一瞬目がくらんだがすぐに慣れて見ると、そこには黒い煤の人型だけが残っていた。
あたしは祭りの時の青い光のことを思い出した。
煤跡に近づこうと一歩踏み出した時、今度は上から白いものが降ってきてあたしの前に立ち塞がった。
「おひさ」
それは白いパーカーを着たユウだった。
ショートデニムも前のまんまだ。
「ユウがやったの?」
「そうだよ」
「Nさん、だよね?」
ユウは床の煤の跡を見下ろして、
「こいつはヒダルだよ」
と言った。
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