「辻沢ノーツ 37」(ジョーロリ鑑賞会)
「すみません」
ドアの外で女性の声がした。Aさんはお留守だし。感じ悪い長男の声でもない。
「いらっしゃいますか?」
「はい」
「入ってもいいですか?」
ドアを開けると、この間の晩に廊下の隅の部屋から覗いていた女性が胸に和綴じの本を抱え立っていた。
Aさんの娘さんかな。たしかに見た目はあたしと同年代風だった。
「こんばんは。ちょっとお話しが」
「何でしょうか」
人の顔をじっと見て何か言いたそうにしてる。
「あの、中に入っていいですか?」
どうしてこの家の人は自分の家の部屋に入るのにいちいち断りが必要なのかね。
「どうぞ」
何か話すのかと思ったら、部屋に入って来てからずっと黙ったまま。
持って来た本を膝の上に置いて部屋の中を見まわしてる。
まるで友達の家に初めて来た時みたいに。
ここはあなたの家ですよー。
「あの、何か」
「あ、ごめんなさい。これをおかあさまがあなたにお渡ししなさいって」
『日記』? じゃなさそう。何これ。
「ジョーロリです。おもしろいですよ」
和綴じの本をあたしに渡すと、そそくさと部屋を出て行っちゃった。
これ何の本? 題字からして読めない。
中身はなんかお相撲さん文字みたいのが並んでて。パンフ挟んである。
『娘義太夫の夕べ』だって。
そもそもジョーロリって何? だし。娘義太夫とはなんぞやだし。
Wikiで調べてみた。
なるほど、女の人が文楽の人形なしでやる芸能か。太夫っていう語り手と三味線弾く人だけの構成っと。
『くるわぶんしょう』って読むんだ、この題字。
で、どうしろと? 見て来いってこと?
日程は、今晩6時。
場所は、役場近くの前園記念小ホールっと。
無料か。
演目は2つあって、始めは『碁太平記白石噺』(ごたいへいきしらいしばなし)新吉原揚屋の段で、こっちが宮木野としのぶの話、もう一つが『曲輪ぶんしょう(文偏に章)』吉田屋の段で、夕霧と伊左衛門の話なんだ。
行ってみようかな。
一人で行ってもいいけど、こういうのあたし寝ちゃうんだよね。
中学の古典芸能鑑賞会ってイベントで国立劇場に行って『蝉丸』(せみまる)っていう能を観たんだけど、寝た。いびき掻いて担任の先生に頭はたかれた。
そうだ、ミヤミユ誘ってみよう。
[クロ(ジョーロリ 一緒に行かない?)
ミヤ(は? 行かない)]
即答だった。分かる気する。
小ホールって言うから狭めとは思ったけど想像以上だった。
地下室みたいなところで舞台も教壇くらいでこじんまりしてて、演者さんの息遣いまで聞こえてきそうな客席との距離だった。
前の半分には座布団が並べてあって、後ろ半分がパイプ椅子。
前で爆睡して船漕いだらやばいから、一番後ろの端っこに座った。
来ている人はお年を召した方かほとんど、学者さんのような感じのおじさんがちらほら。
若い人はサラリーマン風のお兄さんが一人いるだけ。
好きなのかな、こういうの。
やっと最初の演目終わった。
ギリ目が開けてられた。休憩15分、おトイレで顔洗って来よう。
語ってた人若かったな。ひょっとしてあたしぐらいの年かも。
辻本近江太夫って言うんだ。
どうしたらこういう環境と出会うのか、不思議。
ホールぎっちぎち。出て来た人でいっぱい。おトイレどこかな。
「こんばんは」
結いあげた髪に花簪。真っ白いドーランにピンクの頬紅、うるんだ瞳の中に漆黒の闇が見える。
あたし、太夫さんに知り合いはいませんが。
「お分かりにならないかしら、私です。Aです」
マジ?
「こんばんは。え? 出てらっしゃるんですか?」
「素人が娘義太夫の真似事なんかして、おはずかしいんですけど」
本当にすごくお似合いです。とってもキレイ。
「次の演目のくるわぶんしょうって」
「そうです。私が語ります」
「じゃあ、辻本幻太夫さんなんですか?」
恥ずかしそうに頷くAさん。つやっぽすぎデス。
「それでは、用意がありますんで」
後ろ姿もとってもあでやか。みほれちゃうな。
って、やばかった。来てよかった。これは外せなかった。
いけない。絶対、寝てはいけない。腕をつねって。ほっぺた叩いて。でも気が遠くなる。
頭のうしろから魂ぬかれるみたいな心地よさ。
あとで感想とか聞かれちゃうから。寝ちゃダメって。クロエ、ここは勝負の時だよ。
だめ、だ、か、ら……。
幻太夫が演台の向こうから話しかけて来る。
「なかよくしましょ」
「いさかいはいけません」
ジョーロリは終わっちゃったの?
「目を覚ましてくださいな」
ごめんなさい。
「しようのない人ね」
会場のみなさんが立ち上がって、あたしに向かって話しかけて来る。
「夕霧太夫にも」
「困ったものです」
「鬼子のことは」
「伊左衛門に」
「なんとかしてもらいましょう」
起きないと。はやく起きないと。でもぜんぜん体が動かないよ。
……。
がっつり寝た。よだれ出てた。
いびき掻いてなかったよね。恥ずかしいから早く帰ろう。
―――――――――――――――――
ここまで読んで頂きありがとうございます。
面白そう、続きが読みたい、応援したいなと思ってくださった方は、
お気軽に、作品をフォロー、♡、★、応援コメント、レビューをしていただくと、執筆の励みになり大変うれしいです。
フォロー、★、レビューはトップページ↓↓↓から可能です
https://kakuyomu.jp/works/1177354054984140540
よろしくお願いします。
※因みに、クロエの部屋にジョーロリをお勧めしに来たのは、
『辻女ヴァンパイア-ズ』の主要登場人物の千福みわさんで、
ゆえあってAさん宅に居候をしている人です。
Aの娘さんはN市でOLしていて今はいません。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます