第3話
包囲網から出ると、バス停に備え付けられた時計は十一時を指していた。
「そろそろ休憩時間かあ……。戻らないと怒られちゃうなあ……」
「そうだぜ、戻って休憩とらねーと……」
巡察は一晩のうちに町内を三、四周する。夜間は邪の出没が昼間の三倍以上になるので、それでも足りないくらいだという。邪との遭遇率が高い上に凶暴化している場合が多く、体力・霊力の消耗が大きい夜番は前半後半で二班に分かれ、途中で交代することになっている。
今はちょうど一巡目が終わった頃だ。
剛士達は神社に戻って夜食でも食べている頃だろう。
「一真君、神社に戻ってくれる? 休憩してきてください」
「先輩は?」
望は伸びをした。
「ここで休憩してるから、巡察が始まったら戻ってきてくれる?」
「へ?」
思わず望をまじまじと見た。
(ま、まさか、夜食がカレーだからか……!? 休憩拒否るほどカレー食いたくねェのか!?)
しかし、一真も剛士達夜番の期待を背負っている。ここで退くわけにはいかない。
「……神社帰りたくねェの? 伝令役と喧嘩でもしてるとか……」
喉まで出かけていた「カレー」の単語を呑み込んだ。
望が夜食のメニューをチェックしていない場合、カレーだと知らないはずだ。
「あはは、そういうのじゃありませんよ……」
琥珀の瞳が困ったように空を見上げた。
「沢山の人と一緒に過ごすの、苦手なんですよ。隊の皆も、いい人達だってわかってるんですけれどね……。僕の感覚って、ちょっと他の人とズレてるみたいだから……。変なこと言っちゃって気味悪がられたくありませんし……」
(そっか……。そうだっけな……)
天狗の転生体でもないのに天狗の証である霊風を操り、誰にも習うことなく神通力を扱えた望は、幼い頃から周囲の奇異の目に晒され続けてきたのだという。
鎮守役となった今でも、当時のことがトラウマになっているのかもしれない。
「一真君と一緒だと、本当に楽だなあ。霊風のことも、霊格も、同じ感覚で話ができるもの」
「光栄だけどさ。そんな気にするほどズレてねェと思うけど……」
「そう?」
望は少し嬉しそうな顔をした。
(……生活破綻っていうより、これが原因なんじゃ……)
昼も夜も邪を追いかけているのならば、家に帰ってゆっくり食事などできないはずだ。食事は休憩の時に出してもらえる軽食や夜食が主になるのだろうが、その休憩場所へ行きたくないとなれば、剛士や優音がどれだけ頑張ったところで限界があるだろう。
「早く戻ったほうがいいですよ。夜食も用意してくれてるはずですから。ゆっくり食べてきてください」
「それじゃ、」
一真はバス停のベンチにどっかりと腰を下ろした。
「オレもここで休憩。いいだろ?」
「え?」
望は真剣な顔をした。
「も、もしかして、新人いじめに遭ってる? さっき、関戸さんに何かされたとか……?」
「それはねーって……」
「で、でも……! なんだか様子がおかしかったですよ!? ちょっと時間かかってたし……」
「あ~~、それはだな……」
まさか、望の危険な体力をネタに決起集会をしていたとは言えない。
他の理由を探すが、隊のことを全く知らないので何にも浮かんでこない。迂闊なことを言えば余計に泥沼になりそうだ。
「とにかく、何にもされてねーから! ちょっと雑談してただけだって!」
「雑談? 関戸さんが?」
疑いの眼差しを向ける望に意味もなく胸を張った。
「おう、屯所で出してくれる夜食について、いろいろとだな……」
望は探るような目をした。
霊気は魂から生まれる力で、感情によって揺れ方が違うという。
以前、祖父の伸真が一真が軽く悩んでいたのを霊気から読み取ったように、霊気の揺れを視ればある程度は相手の本心がわかるらしい。
(フ、夜食の話はホントだからな。そんなに霊気は揺れてねェはずだぜ……)
望はいくらか眉をひそめていたが、納得したのか笑顔で頷いた。
「関戸さんらしいコミュニケーションだなあ。ちなみに、今日の夜食って?」
「ああ、カレーって言ってたけど……」
つい正直に答えてしまってから「しまった」と青ざめる。
望は寂しそうに笑った。
「カレーかあ……。今月のメニュー表にけっこう書いてあったっけ……。夜食とか軽食のメニューって、皆の人気投票で決めてるんだけど、僕が鎮守役になってから、ずっとチキンカレーがダントツの一位なんですよね……」
「そ、そーなんスか……?」
「ちなみに、二位が麻婆豆腐丼で、三位がカツカレーです……。夜番の皆は辛いの好きなんですよ……。そのうち、激辛大会とか始まったらヤダなあ……」
「好きっていうより、辛いの食ったら眠気覚ましになるからなんじゃねェの……?」
望が休憩所に寄り付かない本当の理由を垣間見た気がしたが、こればかりはどうしようもないような気がする。
逆に望が好きなものを夜食にしたら、補佐に不満が出そうだ。
「ここで休憩するのは構わないけど……、夜食食べなくて大丈夫? これから邪が多い時間帯なのに……」
「それなんだけどさ……」
手首に巻いた水晶のブレスレットに手をやった。
「袋玉」という神通力の一種で、入隊した次の日の講習で真っ先に教わった術だ。
水晶一粒一粒に術をかけて内側に超小規模の亜空間を造り、その中に物を入れて持ち運びできるようになっている。
霊符や刀といった鎮守隊の装備の他に着替えもこの中に入れて常に携帯し、巡察中は制服や鞄を仕舞っておける。かなりの便利グッズだ。
水晶の一つから、やや大きめの弁当箱を取り出した。
「お弁当持ってきたの?」
興味をそそられたのか、望は隣に座り覗き込んだ。
弁当箱の中にはラップに包まれたおにぎりが詰まっている。
「妹と、光咲と若菜が……。今日が初陣だって言ったら、はりきって作ってくれてさ……。オレ一人で食うには多いけど、夜番全員分があるかっていうと、そうでもねェし。どこで食おうかなって思ってたんだよな」
夜食が出ると聞いていたので必要ないと言ったが、「補佐の分も奪いそうだから」という理由で弁当持参になってしまった。妹と幼馴染達は、いったい、どういう目で自分を見ているのだろうと、時々思う。
「ああ、詩織さんと北嶺姉妹ですか。北嶺さん達とは幼馴染でしたっけ? 仲良いですよね」
「幼馴染っていうか、兄妹みたいな感じっていうか……。親同士が仲良くてさ。光咲の家、親父さんもおばさんも家空けること多いから、ガキの頃からよくうちに泊まってたんだ」
今にして思えば、全てが隠人絡みの事情だったのだと思う。光咲の父は普通の仕事だが、母は松本医院の隠人専門棟の看護師だ。邪にやられた急患が出ると夜でも応援に行ってしまう。一真の祖父は霊刀鍛冶師で、大坂にいる両親も鍛冶関係の仕事に就いているらしい。
「覚醒して初めて、自分の家や親がどっぷり鎮守隊と関わってたって知ったんだよな……。昔、店番してたら金物買いに来たとは思えないような奴が店に来てたことあるんだけどさ……。あの時来てた客って、ジイちゃんに霊刀の注文に来た鎮守役とか霊山の関係者とかだったのかなって……。先輩も食うだろ?」
弁当箱を差し出すと、望は少し戸惑った顔をしたが、礼を言って手前の一つを手に取った。一真も一つを手に取り口に運ぶ。つられるように望もおにぎりを口にした。
(よし、食ってるな)
意図していたわけではないが今夜の目標は達成したようだ。後で剛士に報告しておこう。
「なんか、花見みてーだよな」
傍に立つ桜の木を見上げる。
満開にはまだほど遠いが、月夜に桜の下で弁当を食べるのは悪くない。女子がいないのがやや不満だが、巡察中に文句は言えない。
「町内は桜が多いですからね。槻宮学園の中なんて、もう少ししたら一斉に満開になって綺麗ですよ。毎年、大学生や寮生がお花見大会してるみたいだし」
望はおにぎりをかじりながら、おっとりと花を見上げた。
「……そういえば、一真君。霊刀鍛冶師を継がないって聞いたけど……」
「ああ。伝令役に聞いたのか?」
望は頷いた。
「隊としては、一真君がずっと鎮守役やってくれるのは有難いですけど……。匠もかなり大変そうですよ? 本当に無理してない?」
「伝令役も心配してくれてたけどさ。オレの属性じゃ、霊刀って持つだけでキツイんだよな。一日中向かい合って鍛えるのなんて無理だって。そうじゃなくても、オレの性格じゃ鍛冶師なんて務まらねェよ。霊力使って邪を叩いてるほうが、よっぽど性に合ってるぜ」
木属性の一真は金属性が苦手だ。
金の気を放つ霊刀は手にしていてもあまりいい気分がしないし、霊力を通そうとすると刀身からの抵抗を感じて扱いづらい。
「それはわかるなあ。木刀振り回してる時の一真君、本当に楽しそうだもの」
「だろ? それにさ……」
一真は右手の甲を眺めた。
「霊力使って戦ってると懐かしい気分になるんだ。ずーっと昔にもこうやって暴れてたような気がしてさ……。なんか大事なことを思い出しそうな気がするんだよな」
「わかるなあ……」
望は晴れた夜空を見上げた。
「時々、ここにいる自分は本当の自分なのかわからなくなるもの……。小さい頃は、そのうち前世の知り合いが迎えに来るんじゃないかってよく考えたっけ……。天狗みたいに」
「天狗って、そうなのか?」
「ええ」
琥珀の瞳が瞬いた。
「天狗にとっての『死』は仮のものですから……。転生して覚醒を迎えたら、前世で所属していた霊山の仲間が迎えに来てくれるそうですよ。特に、宵闇は……」
「……あのさ、先輩……」
それを口にするのは少し勇気が要った。
「蝕を迎えて霊山に行ったら……、その、どうなっちまうんだ?」
「どうって?」
「破邪が体を侵して限界を迎えたのが蝕なんだろ? そんなことになって霊山に行くっていうことは……、やっぱ天狗になるってことなのか……? そうなったら、もう戻ってこれないのか……?」
望は黙った。言葉を探しているようにも見えた。
「……そうです」
数分の沈黙の後、望は静かに言った。
「僕達が蝕を迎えたら、霊山に入山して天狗道に入って……、『天狗』という、霊獣と似て非なる存在になります。現を断ち切って何百年も老いない体を手に入れて、霊獣に匹敵する霊力を扱い……、本物の『化け物』として生きることになります……」
琥珀の瞳が安心させるように笑った。
「だけど、その前にちゃんと治療を受けられます。それで蝕が収まって戻ってくる人が大半ですから、あんまり悩んでもしかたありませんよ。僕達は霊格が高いから、治療じゃ治まらない可能性が、他の人よりも高いっていうだけです」
「そ、そうだよな。なんか気になっちまってさ」
つられて笑ったが、心の中には重いモノが残った。
こうして話している間にも、霊体の中の破邪の力は肉体を浸食し続けているのだ。
願わくば、その時がずっと来ないで済んでくれたらいい――。
今の生活に別れを告げる覚悟など、とてもではないが持てそうになかった。
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