第4話

「そろそろ行きましょうか」

 望が立ち上がったのは時計の針が十一時半を回った頃だった。

「皆も巡察を始めたみたいですし」

 神社の方角から十近い霊気が漂ってくる。剛士達だろう。

「夜ってわかりやすいんだな」

「昼間と全然違うでしょう? その代り、夜のほうが土地の霊的な力が上昇するから、邪念の成長が早まって邪霊が生まれやすいんです。邪物とか、他のタイプの邪も夜のほうが活発に動きます。変なのがいたら、つつく前に教えてくださいね」

「そういえばさ、邪霊って二種類いるんだろ? 前に若菜が言ってた、精霊から邪霊になる奴、まだ出てきてねェな」

「あれは滅多に出ませんよ。出たとしても、太常で封じて退散すれば大丈夫です」

「え……、退散しちまったらヤバくね? そいつ、誰が鎮めるんだよ……」

「宵闇ですよ。僕達が担当するのは隠人の霊格で対応できる相手まで。それを超えると宵闇の担当です。邪鎮めは元々、宵闇の生業で、僕達は邪鎮めの中でも軽いものを霊山から委託されてるみたいな感じなんですよ」

「え、そーだったのか?」

 言われてみると、霊格の説明の時に彰二も「天狗」という単語を出していたし、伸真や望の話にもしょっちゅう天狗や霊山が登場する。

「一真君が思っているよりも、霊山は身近ですよ。蝕で天狗になる隠人もいるんですから……」

「そっか……。元鎮守役の宵闇がいてもおかしくねェってことだもんな……。てことは、オレ達が戦うヤツは、こないだの鏡面あたりがギリギリってとこか? あいつ、しゃべってたけど、邪物なんだろ?」

「鏡面は完全に宵闇の担当ですよ。あの時も宵闇が動いていたんですけど、急に姿を消して捜索中だったんです。たぶん、宵闇が到着する前に移動して、こっちに来ていたんでしょうけど……」

「マジか……。悪運強いな……」

「僕達が担当する中で一番手強いのは、邪霊の最終形態の邪鬼じゃおにですね。あと、南組の担当地域に多いんだけど、人が鬼化した人鬼じんきとかは邪鬼以上にやりにくいかな……」

「人間が……? んなことあんの……?」

「霊体が何らかの理由で穢れてしまったり、邪物を取り込んでしまったり、原因はいろいろありますけど……。隠人だけじゃなくて、人間でも起こります」

「……先輩も戦ったことあるんだよな、やっぱ……」

「そんなに多くありませんけど……、人鬼の現場は凄惨なことが多いから、できれば未然で防ぎたいですね……」

 琥珀の瞳に影が過った。

「霊体が穢れ始めると、鬼化する前に邪気を放ったり異常な行動をとったりしますから、早めに見つけて祓うことができれば……」

 ふと言葉を切り、望は槻宮学園の正門の方向を見つめた。

「? 何かいんのか?」

 視線を追い、息を呑む。

 正門の向こうに真っ白な霧が立ち込めている。門の外には霧の気配すらないというのに。

 霧の向こうから漂ってくる暗い気に、背筋がすうっと冷たくなった。

(この気配は……)

 鎖が軋むような音が鼓膜の奥で聞こえた。

 何かが体の奥底から染み出して意識に滲む。

 凝らした眼にうっすらと影が映った。

「一真君」

 望の声に我に返る。

 一瞬だが夢を見ていたような気がした。

「ここで待っててくれる? 関戸さん達から包囲網完成の連絡が来たら行ってあげてください。邪物みたいに鎮め方がわからないヤツだったら結界を閉じて待っていて。すぐに戻りますから」

 言うが早いか、望は駆け出し、軽々と正門を飛び越えた。

「ちょ、いきなり突っ込むのはヤバいって! 先輩!? おいってば!!」

 慌てて止めた時には、空色のパーカーは霧の中に消えていた。

 静かな夜のバス停に一真の声だけが虚しく響いた。

「あ~~! んな無茶やってるから、補佐が心配するんだろーが! トップが危険なとこに一人で突っ込むなよな~~!」

 水晶からメモ帳とボールペンを引っ張り出し、ゴリゴリと押し付けるように単語を箇条書きする。メモを破り、剛士の霊気を感じる方向へ向けた。

“仮初の御魂よ、宿りて我が意に従え……”

 一真の霊気を吸い上げた白い紙切れがムクリと起き上がり、白い燕に姿を変えて夜空を飛び去っていった。

 鎮守隊が連絡手段に使う「仮宿りの法」である。レトロな手紙だが、何も書かずに送っても紙に宿った霊気から相手の状況を読み取ることができたりと、慣れるほど使い勝手が良くなってくるらしい。

「あの霧、絶対おかしいって……! なんか嫌な感じがしやがる……!」

 正門を飛び越えると、結界の中に飛び込んだように視界がぶれた。

 瞼を開けたように、うっすらと碧が広がる。

 ――呼んでいる……?

 一瞬だけ広がった碧の意識は、着地した時には眠ったように消えていた。

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