第16話 脳は一番の弱点

 守り神が思わずツッコんだ声が聞こえていたのだろう。フィリップとリリアンは手を止めて、祠の方を振り返った。


「……守り神様?」

『はあ……』


 深い溜め息を吐き、守り神は祠から空中を歩いて戦闘現場に向かった。フィリップとリリアンは初めて祠から離れる守り神を見て驚いた。


「守り神様……祠から離れられたんですね」

『そこ!?』

「いやいや、だって守り神様、いつも祠の上で寝ているか、どこかに消えているかのどっちかじゃないですか」

「うんうん」

『……あー、まあまあ、今はそれは置いておこう。それより、ロードホーンエーバーだ』


 確かにそうだったかもしれないと守り神も思ったので、分の悪い会話は打ち切らせた。

 ロードホーンエーバーは攻撃されなくなっても気付いていないかのように結界に角突きしているが、一応今は戦闘中なのだ。多分、恐らく、きっと。


『私も人間の戦闘に詳しくないから、あんまり口出さないようにしていたけど……君達酷いな』


 守り神にハッキリと言われて、ガンっとショックを受けたような顔をするフィリップと苦笑いをするリリアン。


「いや、まあ……その通りなんですが……」

『脳が一番の弱点なのは事実だぞ。脳を破壊したところで命綱は付いたままだから中途半端に破壊しても意味はないけど、脳幹を破壊すれば一発だ。他の部分に命綱が幾らついていても、魂が脳に留まることは出来なくなる。脳と言う器が崩壊するんだから当然だ。例え崩壊させられずに一部破損という形となっても、知能がある程度ある生物なら魂に傷が付いて思考回路に異常をきたしたり、魂が欠けて記憶を失うこともあるから有効な手口であることに変わりはない。だから脳を攻撃するのが一番効率が良いのは事実だ』


 いきなり真面目な話を捲し立てられた上に情報量がそれなりにあった為か、フィリップですら数秒固まった。


「ええっと……つまり、ロードホーンエーバーを葬りたいなら脳にある脳幹という部分を攻撃しろということでしょうか」

『そういうことだ』

「なるほど」


 ロードホーンエーバーを振り返り、そしてまた守り神を見る。


「脳というものは攻撃出来るものなんですか?」


 まあ、守り神は肝心なところを述べていないのだから、結局その感想になるのは当然だろう。


『脳は頭蓋骨という骨で守られていることは分かっているだろう? しかし、完全に覆われているわけでもない』

「えーっと……」


 頭を傾げながらフィリップとリリアンは守り神の尻尾の先を視線で追った。そこにはロードベーアとグラオホーンヴォルフの骨が積み重なっている。その中にある頭蓋骨をじっくりと見た。


「目?」

「鼻もですね」

「後は口もかな」

『よしよし、正解だ』


 守り神はまるで小学校の先生になったみたいだと思った。


『それじゃあ、それを踏まえてロードホーンエーバーを見てみたらどうかな?』


 素直にロードホーンエーバーの方を向いたフィリップとリリアンは角突きをしているせいで下を向いているロードホーンエーバーを覗き込むようにしゃがみ込んだ。


「…………目?」

「目ですね」

「鼻は無理だね」

「口も無理でしょう」

「うん、守り神様。目で正解ですか?」

『やってみると良い』

「分かりました」


(何事もやってみなければ分からない、ってね。確かそんな意味の格言あったよね。何だっけな)


 そんなどうでも良いことを考えている守り神だったが、フィリップとリリアンは立ち上がって剣を構え、同時に思いっきり目に剣を刺した。


「ブエエエエッ」


 エーバーとは思えない声を出したロードホーンエーバーだったが、目を潰されて戦意を衰えさせるどころか、更に怒りを見せて来た。


「ま、守り神様っ、剣がっ」

『そのまま押し込んで、脳をかき回そうとしてみな。浅いぞ』

「は、はいっ」


 見えないながらも首を振って異物を取り除こうとするロードホーンエーバーのせいで剣が手から抜けそうになって焦るリリアン。


「守り神様、剣が折れますっ」

『その時はその時、修理してやるから遠慮はなしだ』

「分かりましたっ」


 アドバイスに従って中に押し込もうとして剣が不安になったのか声を上げるフィリップは流石男の子。怯むことなく更に剣の柄頭を足で蹴って、剣を奥へと押し込んだ。

 そんなフィリップを見て、リリアンもフィリップを見習って剣の柄頭を掌で押し込む。2人の剣が中でぶつかったのか、2人は視線を交差させ、自分達の剣を回すように動かし始めた。


『多分もうちょっと上だな』


 動かしにくそうにしているフィリップとリリアンを見てそう言うと、剣の刃を上に向け、柄に体重を掛け、てこの原理で剣先を上に向けた。

 ガクンガクンと、フィリップそしてリリアンの順に体が落ちるように下がったかと思うと、ビクッとロードホーンエーバーが反応した。多分、脳に届いたのだろう。ロードホーンエーバーの体から力が抜けていくのが分かった。


『剣から手を放せっ』

「「はいっ!」」


 フィリップとリリアンが剣の柄から手を放したかと思うと、ロードホーンエーバーがドォンッと自重に耐えられず、伏せるように倒れ込んだ。


「し、死んだ……?」

「ま、守り神様。これは死んだ……ということで良いのでしょうか」


 リリアンの声に反応して、魂を視たのだろう。フィリップが不安そうにそう問いかける。


『問題ない。魂が傷ついただけだ』


 フィリップの目にはいつもの大体丸い形をしている淡い光が浮遊している姿ではなく、上部に切れ目が入っているかのような歪な形になった魂の姿が視えていた。


「魂が……何か問題ありますか?」

『死んだ魂に何を言っているんだ。それにこの程度なら大した傷とは言えないさ。すぐに治る』

「そうですか……」


 フィリップは気にしているようだったが、魂云々は人間には関係のない話なので守り神は軽く流した。


『ささ、結界の中に運ぶお仕事、頑張ると良い』

「あ……はい……」

「あの、守り神様。剣は……」

『抜けないのか?』


 それだけ言って祠の方に戻っていった守り神を見送ったフィリップとリリアンは顔を見合わせ、剣に手を伸ばした。特に引っ掛かることもなくずるりと抜けるが、そこには当然のようにべったりと血が付いていた。


「布切れ、もう1枚創って貰った方が良さそうだね」

「ですね」


 少し顔を顰めながらそう言う。剣の手入れは本当に最低限しか出来ていない。道具なんてないからだ。多分その内奉納して加工して貰わないといけないだろう。フィリップは心から守り神が居て良かったと思った。でないと剣はその内使い物にならなくなっていただろう。


「ロードホーンエーバーはどう致しますか?」

「手足をツルで縛って引っ張る形にしよう。後で前足の方だけ外せばそのまま木にも吊るせるしな」

「血抜きですね。ロードホーンエーバーって美味しいんでしょうかね」

「さあ? 何の肉かなんて気にしたことなかったからな。食べてみないことには分からないや」

「ですね」


 雑談しながらロードホーンエーバーを横に倒し、手足をツルで結ぶ。軽く編み込んでいるので切れたりせずに上手く使えているが、色々と使っているのでもうかなりボロボロだ。


「次は丈夫な縄を創って貰った方が良いかもしれないな。意外と縄は色んなことに使えるからな」

「ですね。……あ、そうだわ。フィー様。縄……いえ、ツルでも良いのですが、木々の間に通して毛皮を干す場所を作りませんか? ずっと気になっていたんです」

「干す場所? ……毛皮は干した方がいいのかい?」

「出来れば干したいですね。あれでは腐ってしまいそうです」

「そうだったのか、知らなかったよ。後でやろうか」

「はいっ」


 ずるずるとロードホーンエーバーの背中が地面と擦られながら結界内に引き摺られていく。どうやら魔物に奪われなくて済みそうだ。


 フィリップがグラオホーンヴォルフを吊るした時のように木に登ると、その間に前足の縛りを解いたリリアンが木の上のフィリップに向かってロードホーンエーバーを縛っているツルの一端を投げる。上手くツルを掴んだフィリップとリリアンが協力して何とかロードホーンエーバーの頭が下になるように吊るした。殆ど地面すれすれだが、血抜きには問題ないだろう。


「ついでに毛皮の方もしてしまおうか」

「はい、ありがとうございます、フィー様」

「ううん。教えてくれてありがとう、リリ。出来ればもっと早く教えてくれると嬉しかったけどね」

「すみません。物干し台を守り神様に創って貰わないといけないと思い込んでいたもので、中々言う機会を見出せなかったんです」

「そんな遠慮しなくて良いのに」

「これからは気を付けます」

「そうしてね」


 そうして毛皮は木の陰に隠れながら風通しの良いところに干すことが出来たのだった。

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