第9話 その気持ちの行き着く先

 翌日、ロートベーアの毛皮というふかふかしたものの上で寝ることが出来て、良質な眠りを得られたフィリップとリリアンはスッキリとした目覚めとなった。

 昨日に引き続き、習慣にすると決めた祈りを祠に向かって行う。


「守り神様、いらっしゃいますか?」

『ふんふん、おはよう』

「「おはようございます」」


 明るい顔でフィリップとリリアンが挨拶を返す。

 昨日、デートから帰って来てからこんな調子なのだが、守り神は特に指摘はしなかった。


『塩と肉で良いかな?』

「お願いします」


 もう一つ変わったのは、リリアンも普通に守り神と話すようになったことだ。

 前まではフィリップを通していることが多く、こういう時は黙っていたのだが遠慮がなくなったということなのだろう。


 肉をナイフで切り、臭みを取る為の薬草と塩を用意し、全てを合わせて手で揉む。それを串に刺し、最後にまたパラパラと塩を振って、フィリップが熾した火で焼く。

 昨夜も同じことをしていた。仕方がないこととは言え、替わり映えのないメニューだ。だが、昨日の夕食から採取してきた果物が付くようになった。それだけでも大きな前進だろう。


「そう言えば、守り神様。守り神様って食事をしなくても良いんですか?」

「くく。肉なら沢山有りますから一緒に食べても良いですよ」


 首を傾げて突拍子もないことを言いだしたリリアンに、面白そうに笑いながら勧めてくるフィリップ。守り神は呆れたが、冗談を言えるようになっただけ良いかと思い直す。


『私は神だ。食事の必要などない。私のことなど気にせずに食べると良い』

「そうですか……食べなくても良いなんて羨ましいですね……」


 思わず昔を思い出してポロリと漏らしてしまったリリアンだったが、フィリップの口元が少し引き攣ってしまったことには気付かなかった。


「こんな美味しいものが食べられないなんて僕は嫌だけどな」

「あ、確かにそうですね!」


 頷いてから一口齧り、もぐもぐとしながらリリアンは再度うんうんと頷いた。まるでこれが食べられないなんて可哀想だとでも言わんばかりで、守り神は反応するのも面倒になって丸くなった。

 どうもリリアンは基本的には天然なようだ。しっかりしようと思えば昨日までのように出来るのだろうが、これがギャップと言うものなのだろうか。そんな釈然としない思いを抱えながら目を瞑る。

 後は2人で好きにいちゃついて欲しい、と。


 食事が終わって片付けも済むと、再度祠の前にフィリップとリリアンはやって来た。


「守り神様、相談よろしいでしょうか」

『ふんふん、何かな?』


 別段眠いわけではないのだが、くあっと口を大きく開けて欠伸の真似をしてから立ち上がる。


「本日も創って頂きたいものがあるのですが、どうするのが一番信仰量を節約出来るかを教えて欲しいのです」

『何が欲しいのかな?』

「布です」


 意外というわけではなかった。フィリップもリリアンも服はボロボロなのだから。

 ここで服と言わないのは、布切れなども欲しいからだろう。それは見ていれば分かったし、身体を拭きたい気持ちも分かっている。

しかし、どうすべきかなと守り神は思案した。


『現物を出すか、糸を収穫できる場を整えるかの二択……いやいや、今来ている服を一旦奉納するという手もあるな』

「あ、確かに……って、いやいや、それ裸になるってことではありませんか!」

『何か問題でもあるのかな?』

「ぼ、僕は良いですけど、でも……」


 守り神から提案された意外な方法に一瞬リリアンの肌かを思い浮かべそうになってフィリップは慌てて首を振った。そしてそろそろとフィリップがリリアンに視線を向けると、リリアンは耳の先を赤くしながらも澄ました顔をしていた。


(…………リア充め)


 そんなお互いなんて言ったらいいか分からないと言いたげな甘い雰囲気を醸し出しているフィリップとリリアンに守り神は思わず心の中でそう毒づいていた。


『どっちかが厠の中で脱いで受け取って奉納するくらいなら出来なくもないだろう?』

「ま、まあ……そうですね……」


 いつになく言葉を濁らせるフィリップが気を遣っているであろうことが分かり、リリアンはいつもの言葉を口にした。


「私はフィー様に従いますよ」


 その言葉にフィリップは頭を抱えたくなった。いつもならその信頼は嬉しいけれど、今はちょっと重いと同時に少し悲しかった。だって、フィリップも男だと言うことを意識されないと言われているみたいだったから。


「と、ところで一番信仰量を節約出来るのは、やはり奉納……ですよね?」

『当然だ。一から創らなくて良いからな』

「ですよね……」


 分かっていたことだけど、守り神にハッキリと言われ退路を断たれたフィリップはガックリと肩を下ろした。


『服の他に数枚布切れがあれば、要は足りるのだろう?』

「はい、その通りです……」


 止めを刺され、フィリップはゆっくりと息を吐いた。


「リリ、僕を信用出来るならリリが厠で脱いで僕に服を渡して。僕が信用出来ないなら僕が厠に入る。それでも信用出来ないなら厠の戸をツルで縛っても良い」

「そのようなこと聞く必要もありませんでしょう。フィー様を信用出来なかったら、私は何を信用すれば良いのですか?」


 本当にどうしたらそこまでお互いが全てと言わんばかりの関係になるのかと守り神は思う。呆れがないわけではないが、口元は自然と笑みを描いている。

 フィリップもリリアンの全幅の信頼に眩しそうに目を細めた。


「ありがとう、リリ」


 そう笑って言うフィリップにリリアンも笑みを返した。


「では今から行いますか?」

「そうだな。今日の最優先事項はこれだったし、してしまおうか」

「はい」


 リリアンが厠に行くのを見送ったフィリップは深い溜め息を吐き出した。


「僕、男なんだけどな……」

『かかっ。まあまあ、頑張れ。私も消えていよう。奉納されたら新品状態にして返すさ』

「あ、ありがとうございます」

『おう』


 にかっと笑って守り神はパッと姿を消した。これ以上甘酸っぱい雰囲気を味わいたくなかったのだ。

 フィリップは遣る瀬無い気持ちを抑え、なるべくリリアンが裸で居る時間を減らせるよう自らの服を脱ぎ始めた。全裸になったフィリップが祠の前に脱いだ服を纏めると、チラリと厠の方を見た。まだ服は出されていないようだ。

 自然と厠の中の状態を思い浮かべ始めてしまい、急いでマントを持って来て重ねたり、今日守り神に頼むべきことなどに考えを巡らせ始めたりした。


 一方のリリアンはフィリップの視線を断ち切るように厠に入った後、何も考えないようにして淡々と服を脱ぎ始めた。

 リリアンは物理的な暴力を振るわれることは滅多になかった。単に“存在しないもの”として扱われることが多かっただけだ。だから体が傷だらけとかそういうことはない。

 ただ食事にありつけることが少なかったお陰で今でも少し食が細いのだ。王宮に居る時も上手く食事が出来なかった。王宮ではきちんと食事は出されていたのだが、心の問題だったのだろう。唯一、フィリップと居る時は食欲のまま食べられた。

 リリアンは骨が浮き出ている自分の体が少し不格好なのは承知していた。一部だけ肉質があるのも余計にそれを強調しているようだった。勿論、今後は改善されていくだろう。フィリップが居て、食糧もいっぱいあって、お腹いっぱいになるまで楽しく食事が出来ているのだから。でも今はこんな体をフィリップには見られたくないとそう思った。その気持ちの行き着く先を考えないようにしながら。


 しばらくして、何か視界の外で動いた気がしてフィリップは顔を上げた。やはり服が出されているようだ。


「リリー! もう服を取りに行っていいかい? 良ければ手を振ってくれ!」


 大きな声でそう呼び掛けるフィリップ。しばらくして右手だけ出てきて上下にぶんぶんと振られた。


「よし、なら取りに行くから扉を閉じていてくれ! 終わったら声掛けるからな!」


 フィリップはなるべく無心で厠の前に行き、纏めてある服を手に取った。服に目を向けないよう敢えてスタスタと歩く。フィリップが早足なのは急いだ方が良いというだけではなかった。酷く落ち着かない気持ちのまま、フィリップはリリアンの服を自分の服に重ね、祈りを捧げた。


「うっ……」


 戻って来た服が新品状態になっていたのは良い。良いのだが、どうやって分けようと服を受け取ろうとした手が止まってしまった。

 しばらく躊躇していたが、がばっと服を纏めて取り走って厠の前にそのまま全部置いたかと思うと距離を取った。


「リリ! 厠の前に全部服置いたから、僕のと分けて返してくれ! 手が振られたら取りに行くから!」


 そう。リリアンにぶん投げたのだ。

 ぶん投げられたリリアンは戸惑ったものの、見られるより良いかと言われた通りに分類し、フィリップの服だけを外に出して手を振った。


「ありがとう! 取りに行くから扉を閉じていてくれ!」


 そうしてようやく服を受け取ったフィリップとリリアンは新たな服を着た。


 新品になった綺麗な服を着ることが出来ていると言うのに、フィリップもリリアンも嬉しさよりも疲れの方が勝っていた。

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