第3話 奇跡の行使に必要なもの

 ロートベーアはフィリップとリリアンが近づくと威嚇の為だろう。立ち上がって、その巨体を見せつけてきた。

 当然、フィリップもリリアンも結界から絶対はみ出ないように少し距離を取っている。それでもかなりの迫力を感じ、フィリップもリリアンも安全だと分かっていても近付くことすら躊躇われた。


「リリ。ナイフは無理じゃないかな」


 口を開けて威嚇をしているロートベーアを至近距離で見て、フィリップがそう言う。

 結界の外に万が一出てしまい、あの口で噛まれたらと思うとリーチの短いナイフを持つリリアンの身が途端に不安に思えたのだ。

 いや、口だけではない。手の先の爪の鋭さも恐怖しか感じない。もしもあんなものがこの巨体の力で振り回され掠りでもしたら、肉がどれくらい抉れてしまうだろうか。フィリップは不安で仕方がなかった。


「し、しかし私に剣は使えません」


 ナイフは辛うじて使える。だが剣は、しかも正規の騎士の剣はリリアンにとって重すぎた。


「僕のは子供用で軽い。僕の剣をリリが使って、僕がその剣を使うのはどうかな。少し重いけど、幸いにも僕たちは回避する必要はないんだから使えなくはないと思うんだ。何よりリーチが伸びるのは有難い」

「……分かりました。では申し訳ありませんが、そうしましょう」


 少しばかり悩んだものの、リリアンも今はロートベーアを倒すことが先決と承諾を示した。


 そうして、フィリップとリリアンが再度武器を構え直す。


「僕から行く」


 そう言うが早いかフィリップは試し斬りも兼ねてロートベーアに斬りかかっていた。


「があああっ」


 傷を付けられたことが意外だったのだろう。今までの得物を見る目から敵を見る目に変わる。

 しかし幸いなことに元々ロートベーアが結界のせいで苛立ちまくっていたこともあって、フィリップとリリアンには大した違いは感じられなかった。


「よし、守り神様の言う通り、一方的に攻撃できるみたいだ。向こうは結界内に入れないんだから、結界から出ないことさえ気を付けていれば絶対に負けることはないな」

「逃げられる前に仕留めないといけませんので、それだけはお気を付けを」

「ああ、分かっているさ。だからまずは足を集中して攻撃しようか」

「ふぅ……頑張りますっ」


 深く深呼吸をしたリリアンが気合いを入れるようにそう言った。



(……誤魔化せたみたいだな)


 フィリップとリリアンが初々しくロートベーアを一方的に攻撃するのを見ながら、守り神はほっと安堵の息を吐いた。

 本当はそんな泥臭いことをしなくともフィリップが自らの力を十全に使えたら簡単に倒せる。しかし、フィリップとリリアンが勘違いしてくれたお陰で視方を教えただけでこの話を終えることが出来た。


 守り神としては現時点であまりフィリップの力が増すことは歓迎出来なかった。フィリップがどんな人間かまだ把握も出来ていない内から人間としては規格外な力を使えるようにするのは避けたかったのだ。

 だからつい漏らしてしまった言葉の揚げ足を取られることがなかったことには安堵していた。


 ただ、あんなに刺したら折角の毛皮が台無しだ。使えないことはないだろうけど、テコ入れしてやらないと今後も無駄にしまくるだろうことが明確だった。



「リリ、もう少し右上!」

「はいっ」

「がああ……」

「よし、いいぞ、リリ。次は左の肋骨の辺り!」

「はいっ」


 チクチクチクチク、フィリップとリリアンはロートベーアを刺しまくった。

 フィリップの指示するロートベーアの弱点を突くことで、攻撃力の割には効果が高く出ているのだ。勿論、生命力の高いロートベーアは簡単には倒れなかった。

 だけど、一方的に攻撃を受けているのだ。足はとっくに潰され、逃げることも出来ず、徐々にロートベーアの唸り声は弱弱しくなっていっていた。それでも何とか抵抗しようと藻掻いていたロートベーアも半刻程経った頃、ようやく息を引き取った。


「はあ……はあ……はあ……おわ、った……?」

「はあ……はあ……ん……守り神様……これで、いいのでしょうか……」


 フィリップの目には体外から完全に出た、浮遊している魂が視えていた。しかし、まだ糸が残っているので体と魂が結びついたままと言えなくもなかった。

 守り神はそんな魂を視て、その内糸が切れて魂は天に昇っていくだろうと判断して頷いた。


『ああ、初めてにしては上出来だよ。お疲れ様』


 守り神からのお墨付きを貰い、ようやくフィリップとリリアンはその場に崩れ落ちるようにして座り込んだ。


「疲れたあ……」

「も、もう動けません……」


 弱点を一方的に攻撃しまくっているのに、半刻も掛かるところがロートベーアの強さを表している。と同時にフィリップとリリアンの攻撃力のなさを表してもいた。

 それでもフィリップとリリアンはへとへとになりながらも満足そうな顔をしていた。初めて魔物を倒せたのだ。しかも危険なロートベーアを!

 守り神の助力あってこそだと分かっていても、避けて逃げるしか出来なかった頃と比べて、嬉しくなるのは仕方のないことだった。


『休むのは良いけど、アレ結界内に入れないと他の魔物が寄ってきて奪い取られるぞ』

「あ……」

「え……ど、どうしましょう……」


 非力なフィリップとリリアンは喜びから一転、ロートベーアを倒す以上の難関に顔を見合わせた。


 そして。


「ま、守り神様。いい案はありますでしょうか」


 あまりの難関にフィリップとリリアンは守り神を縋るように見た。


『んー、そうだな……普通に考えたら解体して分解したものを運ぶしかないと思うな』


 まずは至極当たり前の答えを言う守り神。勿論、これはフィリップとリリアンにも分かっていることだった。


『もしくはこの結界を拡張してロートベーアが倒れているところまでを結界内とする。これなら場所を移動しなくても結界内にすることが出来るだろう?』


 考えてもみなかった守り神の言葉に2人は驚きながらも希望を見出した。


「!! で、では……」

『勿論、そんなに簡単に出来ることではないけれど』

「ですよね……」

「守り神様。簡単に出来ることではないと言っても、出来ないわけではないのですよね? 何をしたら拡張して頂けますか?」


 基本的にリリアンは守り神の前で口を開かない。フィリップが守り神と交流及び交渉するべきだと考えているからだ。

 しかし、落胆するフィリップを見て、リリアンは思わず声を上げていた。


『何をしたら、ではないな。しなかったら、になる』


 そんな謎かけのような言い方を守り神はした。


『つまりだ、君達は信者なんだ。君達が私に信仰を捧げ、供物を捧げれば、それは私の力となる。私が力を増せば、その分君達に還元してあげることも出来るわけだ』


 そう、守り神は神様なのだ。そして神様が奇跡を行使するには信仰心が必要だ。当然の摂理だった。


『この結界は君達が私の信者となった際に私が得た力で作ったものだ。だが、君達は結界だけでは生きていけないだろう? 私としては本日得られた信仰を使って、水を得られるようにしようと思っていたわけだ』


 人間は水がなければ生きていけない。だから真っ先に必要なものは水だと守り神は結論付けていた。

 フィリップとリリアンもそう言われて喉がとても乾いていることに気付いた。この森を進んでいる間は飲める水があるところに立ち寄るようにしていたので気付かなかったが、この結界内に水は存在しない。


『だから結界を拡張してあの戦利品を安全に全て自分たちのものとしたいのなら、結界を拡張してあげよう。但し、その代わり水はお預けになる。さあさあ、どうする?』


 守り神は楽しそうにそう問いかけた。

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