07 魔女は騎士とともに王宮を進む
エイラはふと目を覚ました。いつものソファーに、いつもの毛布。サイードが用意してくれたものだ。
なにか、楽しいことがあった気がする。
ここへ来て知り合った妖精たちといっしょに、なにかをした、ような。
――わたし、いつ寝たの?
まったく記憶がない。
たしかサイードがお菓子を持ってきたのだ。師匠がたまに森の外から持ち帰ってくる菓子に似ていて、なつかしくてうれしくて、ゆっくりすこしずつ食べているうちに、森の暮らしを思い出して――。
「……どうしたんだっけ」
悩んだけれど、まあいいかと思いなおした。よくわからないけれど、とても気持ちが晴れやかなのだ。
窓の外はまだほのかに明るい程度。いつもより、早い時間に目が覚めてしまったらしい。
ブーツを履くと、椅子に掛けてあった上着を羽織って庭に出た。朝露が足もとを濡らしていくなか、常とはちがう景色を見渡すと、涼やかな気持ちになった。
草を踏みしめながら建物の角を曲がったときだ。視線の先に人影を見つけて立ち止まり、壁に身をひそめる。
髪を結いあげ、王宮のお仕着せを身につけた女性は、花を手折っていく。庭に咲いた花を王宮内に飾っていく係なのだろう。
女性が花を抱えて、振り返った。
その姿を見て、エイラは思わず顔を出して、声をかける。
「――あ、の。それ」
「ひい!」
女性は驚いたのか恐怖したのか、エイラの姿を見るなり身を
「魔女どの?」
「サイードさま。あ、の、花。お花、がっ」
「どうした。なにがあった」
「あのひと、さっきのひと、は」
「……あの方は、ローゼンベルガの王太子妃付きの侍女だが」
それがどうかしたのか、なにか言われたのかと声を鋭くしたサイードに、エイラは震える。くちびるを噛み、浅い呼吸を繰り返しながら、なんとか言葉をつむいだ。
「あのお花、ダメ。眠るの、眠ってしまうの。飾っちゃダメ。あれにはコシュマールがついてる」
「コシュマール……?」
侍女が持っていた花・シュラーは、鎮静効果を持つ薬草でもある。根を煎じたものは、寝つきがわるいひとへ処方される薬であり、薬湯として広く知られている。花びらを乾燥させたものを香り袋にして、枕元に置くのも一般的だ。
あの女性が抱えた花に付いていたのは、
初めはただの疲れだったのかもしれない。
けれど、生花のままで飾っているうちに、それは悪い夢を呼んでしまった。
目覚めるわけがない。
王太子妃さまは、夢に囚われているのだから。
サイードは重たい息を吐いた。最初に出会ったときとおなじ、険しい顔をしているのを見て、エイラは言葉を止める。
自分はなにを言ってしまったのか。
妖精が付いているから危険だなんて、誰が信じてくれるというのだろう。
――魔女の言うことなんて、信用してくれるわけないのに。気持ちわるいって、へんな目で見られるだけなのに。
エイラが身体を縮こませたとき、サイードがこちらの腕を掴んだ。そしてそのまま、王宮のほうへ向かって歩きはじめたのだ。大きな歩幅に転びそうになりながら、エイラは必死で足を動かしてついていく。
絨毯を敷いた廊下なんて、歩いたことがない。
サイードは無言で進み、廊下の端にある階段をあがった。
いったいどこへ向かっているのだろう。
上階に着くと、ふたたび長い廊下を歩く。エイラはその背中を追うだけだ。やがて大きくて頑丈な扉の前で足を止めると、ノックもせずに中に入る。
綺麗に整った豪華な部屋だ。サイードはエイラの手を引いたまま進み、左奥にある扉を叩いて告げた。
「アラン、起きろ。眠り姫の謎が解けた」
驚くエイラがサイードを見上げたと同時に、扉が勢いよく開く。
現れたのは、やや髪を乱した若い男だった。すこし癖のある金色の髪と、澄んだ青い瞳。世に出回っている絵姿の主が、形相を変えて立っている。
「あなたが魔女どのか。薬ができたのか」
「……あの、えと、あの」
「違う。魔女どのによれば、あれは妖精のしわざらしい。部屋に飾ってある花が原因だ」
「……花?」
「正確には、そこについている妖精が原因らしい。そうだろう?」
確認するように問われ、エイラはうなずく。
うなずきながらも、困惑していた。
どうして彼は、なにも疑わないのだろう。
どうして、エイラの言うことを信じてくれるのだろう。
ここはサイードの部屋で、昨夜はこっそりとアラン殿下がこちらに泊まっていたのだという。彼らは乳兄弟で、そんなことも珍しくはないのだというけれど、エイラにとっては、いまの状況そのものが有り得ない事態である。
アランとサイードに挟まれた状態で、エイラは王宮の最奥へと足を進めた。
おっかなびっくりで、のぼる階段。飴色に磨かれた
アランが先行し、ひとつの扉の前で足を止める。
ノックをしたあとに出てきた男性は青白い顔をしていたが、それよりもエイラが気になったのは、肩口に乗るちいさな姿。
「……妖精」
ぽつりと呟いた言葉は思いのほか大きく響いて、三人の目が集まる。エイラが羞恥で顔を赤らめて視線を落とすと、その足もとをべつの妖精が転がった。視線を上げていくと、部屋の中にはほかにも妖精がいた。
「なんだあいつら」
肩口でアフダルが呟き、エイラはうなずいた。
「守ってる。コシュマールから、あのひとを守ってるんだわ」
視線の先にある寝台、そこに横たわっているのが、件の女性だろう。部屋を支配する花の香りに
「この香り、よくないの。眠りを深めてる」
「ならば、窓を開けて換気すればよい、と」
質問には答えず、エイラは問うた。
「あのかたは、あなたさまの奥さまですか?」
「そうだ、私の大切なひとだ」
「奥さまのおなかに、あたらしい命があるよ。ずっと眠っているのは、きっとそのせいなの。奥さまは、お子さんを守っているの」
夢の精霊は、赤ん坊を攫う。
『眠り花』の扱いをまちがえてしまったせいで、
身体のなかで生まれたばかりの、ちいさな命。
まだ誰も手をつけていない、もっとも純粋で美しいもの。
大切なそれを渡さないために、妖精たちは王太子妃の身体を深い眠りの繭へ誘い、魔の手から守っている。
ローゼンベルガは、大陸でもっとも古いといわれる大国で。そんな国がオルニスと友好国である理由は、彼らが「妖精」と友諠を交わす仲だからなのである。
大国の王太子は、エイラを見て「そうか……」と息をこぼした。
「オルニスの魔女。私は多くの妖精を知る瞳を持っていない。我々は、定められた一族とのみ親交するのだ。この国の妖精たちは、私になにを望んでいるのだろうか」
「奥さまの名を、呼んでほしいって、そう言ってるの」
「……名?」
「なんの名前かは、わからないの。でも、王子さまなら知ってるって、言ってる。大事な名前、秘密なのって」
妖精が告げたそれを伝えると、ローゼンベルガの王太子はなにかに気づいたような顔をして、つぎに微笑んだ。
「ありがとう、オルニスのちいさな魔女」
そして王太子は、王太子妃の傍に
風が吹いた。
窓を開け放ってもいないのに巻き起こった風がカーテンを揺らして、くるりと部屋を一巡しておさまる。
それと同時に、王太子妃のまぶたがゆっくりと開き、薄く開いたくちびるがなにかを告げる。
すすり泣く声が聞こえるなか、エイラの耳に「ありがとう」という妖精たちの声が届いた。
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