06 悩める騎士は魔女に翻弄される

「魔女どのは、どうしている?」

 アランに問われ、サイードはくちをつぐんだ。

 魔女の不当な扱いに関しては報告している。かといって、アランが医師らに苦言をていすわけにもいかない。王族は中立でなければならないからだ。

 とはいえ、最近は味方とおぼしき相手が増えた。裏の炊事場を牛耳っている女中頭は、エイラのことをまるで娘かなにかのように気遣っているし、宮廷医師のウエッソは孫娘のごとき扱いだ。

 それは喜ぶべきことであるはずだが、なんというか、微妙な気分になるのはなぜなのだろう。

 まるで、こっそりかわいがっていた子犬に、世話をするひとが増えたような心地。嬉しいのに、すこし寂しいような、矛盾した気持ちである。

 そう告げると、アランは眉を寄せた。腑に落ちないようだが、サイードとしてもよくわからないのだから仕方がない。

「魔女どのよりも、客人のほうです。容体に変化はありましたか?」

「……いや、あいかわらずだ。すこし体温は高いようだが、それはこちらへ赴く以前からそうだったらしい。式典を欠席するわけにもいかず旅に出たことを、あちらは後悔していた」

 だからこそ、彼らはこちらを責めるような姿勢を見せないのだろう。

 アランはそう言って、苦い表情を浮かべた。

 国の立場としては、大国を敵にまわさなくて済んだことをよろこぶべきだが、個人の感情としてはべつなのだろう。ローゼンベルガの王太子とアランは、幼いころから親交がある。傍に控えることが多かったサイードも、見知った顔だ。

 かの王太子は二十二歳、サイードと同じ年齢だ。昨年、婚姻を結んだという妻も同じ年齢だと聞いている。

 夫妻はいま、来賓室に滞在していた。滞在を延長するにあたり、場所を移そうかという話もあったのだが、おおごとにはしたくないということで、最初に用意された部屋をそのまま使っている状態だ。国から連れてきたという従者たちは人数を絞って残し、大半の者は帰国させてあるという。

 王太子妃が連れてきた侍女に加え、こちらで手配していた侍女がひとりと最少人数だが、相手がただ眠っているだけなのだから、手がかかることもない。対外的には過労で休んでいることになっており、軽めの食事を運ばせてもいる。今はまだ情報も漏れていないが、そろそろ限界だろう。

「魔女の妙薬とは、どんなものなのだろうな……」

 アランがぽつりと呟く。

 魔女のつくる薬は、時としてそう呼ばれる。

 どんな病も治してしまう、奇跡の薬。御伽噺のようなそれは、にわかには信じがたい。

 だが、イスタークの魔女ならば――。

 原初の魔女といわれる「フォグの森の魔女」がつくる薬ならば、と。そんな儚い願いにすがりたくなる気持ちがあったからこそ、魔女を森から連れ出したのだ。

 しかし、本当にそんなものがあるのだろうか。

 サイードは自問する。

 魔女は、ただの娘だった。

 あれが本来の姿なのか、人外のちからで少女の姿を模しているのかはわからない。

 けれど、世慣れていないさまを見ていると、どうにも危うくて、放っておけない気持ちにさせられてしまうのだ。


「サイードは、意外と過保護だったんだな」

「どういう意味ですか」

「私やウルリカには、そんなふうに世話を焼いたことなど、なかったじゃないか」

「おまえたちと一緒にするなよ……」

 アランは王族で、ウルリカは西の治安を維持する一族の娘なのだ。サイード自身の身分としては、本来ならば対等に話をすることすらむずかしい格差がある。乳兄弟の気安さが通じたのは、十歳にも満たないころだけだろう。

「一度、きちんと話をしたいところではあるのだ。なんらかの手立ては考える」

「あまり、ご無理はなさいませんよう」

「わかっている」



     ◆



 ある日の夕刻、サイードはアランから渡された菓子を持って、魔女のもとを訪れていた。

 領地へ戻っていたウルリカが、ふたたび王宮を訪問した際の手土産だという。「魔女さまにもお渡ししておいて」と、西のダグダール伯から言いつかったとなれば、断るわけにもいかないだろう。

 魔女とならぶ存在である「魔獣」を有するダリ渓谷を治めるのが、ダグダール伯だ。もしかすると、魔女とも親交があるのかもしれない。


「これは、なんですか?」

「ショコラだと思うが」

「師匠にわけてもらったことがあります」

 魔女は瞳を輝かせた。やはり好物なのかもしれない。

 サイードが箱を差し出すと、ちいさな手で欠片をつまんで、そっとくちに運ぶ。熱で溶けたショコラが、紅を乗せていないくちびるを彩り、それをちいさな舌で舐めとるようすがほほえましい。

「君のものだ。溶けてしまわないうちに、食べてしまうといい」

「こんな素敵なもの、すぐになくなってしまうのはもったいないですね」

 茶でも入れようかと部屋を出て、ふたたび戻ってきた室内では、魔女が椅子に腰かけたまま、ぼうっと窓の外を眺めていた。すっかり陽は落ちて、視線の先はもう暗い。なにが見えるということもないはずだ。机の上にはまだ菓子が残ったままだが、食べる手は完全に止まっていた。


「どうかしたのか?」

「はひ」

 トロンとした、やや焦点の定まっていない瞳がこちらを向いて、サイードは魔女に近づく。茶器を机に置くと、顔をもういちど確認した。

 魔女の目はやや下がり目で、常にどこか困ったような雰囲気を醸し出しているが、いつものそれとはようすがちがう。

「魔女どの?」

「はい、しゃいーどしゃま」

「……いったい、なにが」

「おいひーでふよ。ししょーは、えいらにははやいからって、いつもひとつしかくれなかったのですよ。そういうの、ずるいって思いまへん?」

 ショコラを手に憤慨する魔女を見て、サイードは眉を寄せ、机上のそれをひとつ鼻に近づける。すると、西部の特産である酒の香りがした。それをくちに含むと、甘みとほろ苦さ、そしてわずかな酒精の風味が咥内にひろがる。

「――まさかとは思うが、この程度で酔った、のか……?」

 幼児ならばともかく、こんなわずかな量で酩酊状態におちいるとは、いくらなんでも弱すぎではないだろうか。ひとつに含まれる量はわずかでも、食す量が多ければ体内にまわる酒精は増えるかもしれない。しかし、机上を見るに、食べた量はさほどではないのだ。

 目前でなにやら呟いている魔女。

 いつも、ひとりごとが多い彼女だが、己の事情を語ることはしなかった。魔女の事情に深く立ち入ってはいけないような気がしていたが、もしかして今ならば、なにかを語ってくれるだろうか。

 そんな邪念が胸をよぎり、サイードはくちを開く。

「……師匠、とは。魔女どのの師匠とは、どんな方だ?」

「ししょーは、わたしにおうちをくれたひとなのれす」

「家を、くれた? では、それまではなかったと?」

「わかんないの。わたしは森にいて、そうしたらししょーが、おいでって言って、だからわたしはししょーのかわりに魔女として暮らさなきゃなの。そうじゃないと、ダメなのでふ。わたしは魔女のいとしごなのれす」

 こくりとうなずいた魔女は、せきを切ったように話しはじめた。

 呂律のまわらない、たどたどしい口調。酔っているせいなのか、内容があちこちに飛んでいくが、それらをつなぎあわせると、おおよそのところがみえてきた。

 彼女は、サイードが知っている「魔女」ではない。

 イスタークの魔女が育てた、人間の女の子だ。見た目どおりの年齢で、特別なちからなんて持っていない、ただの娘なのだ。

 ちがうところがあるとすれば、妖精を知覚できること。けれど、それだって本当は誰もが持っていたちからであり、ひとびとが記憶のなかに閉じ込めて、忘れてしまっているだけのこと。

「よーせーは、たくさんいるのよ。この庭にも、このへやにも。ちからを貸してくれりゅかはわからなーけどね」

 そう言って魔女は、虚空へ手を伸べた。震える指先が、わずかに光る。その光は、細い指にまとわりつくように動き、やがて消えた。まるで水辺の光虫のような、ちいさな輝き。

「ひかりのよーせーは、ししょーので、わたしにはいなくて。森のいえは、ローソクがないとまっくらになっちゃったのよ。でもここにきて、るーめんに会ったの」

「ルーメン?」

「魔女にもようせーにも、なまえがありゅの。でもね、ひみつなの。なまえはたいせつなの。だいじなの。だから、ないしょよ」

 上目遣いでこちらを見つめ、ひとさし指をくちびるに添えて、ちいさく笑みを浮かべる。

 常とは異なるどこか蠱惑的な笑みに、サイードの胸が大きく跳ねた。

「えいらのなまえは、ししょーがくれたの。なまえは、だいじなひとをよぶためにあるの」

 そしてサイードが知らない名をいくつか呟く。そのたびに空気が揺れ、光がまたたき、カップの水面が立ち上がり、人のかたちをもって空中を泳ぐ。

 ガラス窓が軽やかな音を立てる。ランプの炎が揺れ動き、壁に映った影はゆらりゆらりと舞い踊る。

 耳許で囁き声が聞こえた気がして目をやっても、そこにはなにもない。

 サイードの髪をなにかがさらい、頬に触れられた気がした。

 見えないなにかに取り囲まれ、恐れていいはずなのに、不思議と恐怖は感じなかった。

「だいすきって、いみなの。なまえをよぶの、たいせつな、なまえをよぶの」

 歌うように、踊るように、魔女は言葉をつむぐ。

 相手の名前を呼ぶことの意味。

 名を呼ぶたび、想いを乗せる。

 あなたが大切。

 あなたのことが、大好きなのだ、と。

 最大級の愛をこめて、魔女は相手の名前を呼ぶ。


「しゃいーどさま」

 己の名を呼んで、娘が微笑んだ。

「ありがとう。しゃいーどしゃまのおかげなの。ししょーが起きてくるまで、わたしはひとりで。アフダルやシーニィはいるけど、ひとりで。ひとりで生きて、ひとりで死んで、そうしていつか、ししょーが起きてくれたらよかったけど――」

 だけど――と、そこでひとつ息をのみこんで、泣き笑いのような顔となる。

「たのしいって、うれしいって、こういうことをいうのねって、ししょーがいなくなって忘れていたこと、ちゃんと思い出したの。ありがとう、しゃいーどしゃま」

 そこで力尽きたように身体がゆらぐ。サイードは慌てて距離を詰めて、その身体を支えた。

 細くて、軽い。肉厚のない身体だけれど、あたたかな体温を感じる、ひとの身体。

 魔女の愛し子。

 サイードの知らないことが、たくさんある。だが、とても大切なことがひとつわかった。

 彼女に、ほんのわずかでも酒を与えてはならない。

「……無防備すぎるだろ」

 あの姿は、誰にも見せてはいけない。

 サイードは固く誓い、軽い寝息を立てる娘の身体をソファーへ横たえた。





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