05 気弱な魔女は己の扱いに当惑する
エイラは非常に困惑していた。
庭に出るときもサイードの許可を得る必要があるのは、魔女を監視しているからだと思っていたのに、急に「手伝う」と言い出したのだ。
それだけではない。
朝に夕にと、食事を運んでくるようになったうえ、食卓を囲むようになったのだ。慌てた、などというものではない。
貴人は、貴人とのみ食卓を同じくするものではないだろうか。階級が異なるものと同じ場所で食事をすることを、侮辱と取るひとが多いことは知っている。
サイードは、この国の王太子殿下の側近で、彼自身も階級社会に属しているひとだ。
爵位を継がない三男坊だと自身を卑下していたが、エイラが耳にした評価は「爵位がないことだけが残念な優秀な騎士」というもの。魔女なんて忌々しいというわりに、なにかと張り合ってくる赤毛の薬師や、炊事場で働く女中頭などから仕入れた情報である。
食材を庭の植物から調達していたエイラのようすを見ていたらしい女中頭のイソラは、「得体の知れない魔女だって聞いてたけど、あんた、まだ子どもじゃないか」と憤慨し、なにかと分けてくれるようになったのだ。捨てる直前の最後の残りかすではあったけれど、エイラにとってはありがたいものだった。
いちばん助かったのは、小麦の粉を貰ったことだろう。これでやっと、アフダルのために、木の実のケーキを作ることができる。
自然界に妖精はたくさん存在しているが、そのなかで友諠を交わす者は少ない。彼らはとても気まぐれなため、そう易々と気を許してはくれないのだ。
エイラが初めて妖精と話をしたのは、まだ幼いころ。木の実を集めるのに必死になって、迷子になってしまったエイラのまえに現れたのが、アフダルだった。
師匠を慕う妖精はたくさんいたけれど、エイラは見向きもされていなかったため、自分に話しかけてくる妖精がとてもめずらしかったことを覚えている。
妖精を従えるためには、見返りが必要だ。
彼らそれぞれが求めるものを、望むままに与えなければならない。
アフダルが望んだものは、その日エイラが持っていた木の実のケーキ。
師匠がつくったケーキが大好きで、それをポケットにしのばせて、ケーキを焼くための木の実を探しに出かけていた。その味を気に入ったアフダルは、たくさんの木の実を提供するかわりに、ケーキを作れと命令した。
家に戻って、師匠にそのことを話して、ケーキをつくった。
妖精に与えるものは、自身の手で用意しなければならない。
子どものエイラがつくりあげたケーキは、不格好で焦げて、あまりおいしいものではなかった。けれど、アフダルは自分の身体よりも大きなそれをすべてたいらげて、「またつくれ」と言いおいて、帰っていった。
最初の妖精は、魔女のいちばんの友。
どんな妖精と友諠を交わすのか、じつは魔女にとっては大事なことだとエイラが知ったのは、それよりもずっと後のことだった。
植物の妖精としては、さほど能力が高いわけではないアフダルだが、それでもエイラにとっては「最初の妖精」であり、師匠以外で初めて自分を必要としてくれた、大切なともだちなのである。
エイラが暮らす建屋は、かつての医療施設であり、そこだけで完結する区画だったという。
つまり、食事をつくる設備が整っているということになる。
森の家で使っていたものと同じ形の
エイラの肩口に座っていたアフダルだったが、急に飛び跳ねて姿を消す。それと同時に、おっとりした口調で声がかけられた。
「いい香りだね。これは、セセの実かね」
「……はい」
姿を現したのは、白衣を着た老人。王宮へやってきた翌朝、引き合わされた集団の中にいた男だった。
サイードから聞いた話によれば、彼はずっと長く務めている宮廷医師だとか。つまり彼にとって今回の事態は、自身の手に負えないこと――能力不足を周囲に広く宣言する出来事であり、宮廷医師という立場を退くことになりかねない事件でもあるということだ。
医師だけではなく、魔女まで呼ばれるとは、思ってもみなかったにちがいない。
――このかたも、わたしを非難しにきたのかしら。
エイラがうつむいたとき、老人は苦笑した。
「そんなふうに気落ちするものではないよ、魔女の愛し子」
「……ど、して」
「イスタークの魔女は、周期的な眠りにつく。そのあいだ、森を護る魔女を育てる。それが、愛し子だ」
ただ穏やかに説いた老人に、エイラは目頭が熱くなった。こみあげてきそうな涙を、あわててこらえる。
ウエッソと名乗った医師は手慣れたようすで湯を沸かすと、エイラにお茶を入れてくれた。ここは、かつては彼の仕事場だったらしい。甘いあまい蜜のお茶は、森でよく飲んでいたものと同じ味がする。なつかしい、森の恵みの味だ。
「わたしはかつて、イスタークの魔女に師事したことがある。彼女はとても優秀な薬師だ。その技術を手に入れたかったが叶わなかった。なぜだかわかるかね?」
「……妖精、ですか?」
「そうだ。わたしには、彼らの声を聞くことも、見ることもついぞできなかった。それでは、純度の高い薬は作れない」
大切なのは、水だ。精度をあげるためには、不純物をかぎりなく取り除く必要がある。
それらは、ひとの手ではむずかしい。
「きみには妖精がいるんだね」
「うん。セセの実のケーキは、アフダルが好きなの。アフダルは植物の妖精。わたしが知っている水の妖精は、シーニィ」
ぽつりと漏らすと、エイラの前にあるカップのお茶、その表面が揺れる。
それをどこか羨ましそうに眺める医師に、エイラはどうしたものか迷いつつも、それでもくちを開いた。
「お医者さまにも、ちゃんと妖精がいるの。ちゃんと、お手伝いしてくれているの……」
彼の白衣のポケットから顔を覗かせている、ちいさな妖精。彼女はエイラに己の名を囁く。
「スフィカ。蜜のお茶が大好きって言ってるの。おいしいお茶をつくるお医者さまのこと、とっても好きだって、そう言ってるのよ」
「――妖精が、いるのかね?」
「胸のポケット、いつもいっしょ」
エイラが告げると、ウエッソは皺だらけの手をポケットにやり、そこからちいさな小瓶を取り出した。コルクで蓋をした瓶の中には、琥珀色に輝くちいさな欠片が入っている。
それはもう何十年も前のこと。イスタークの魔女を訪ねて森に入り、道を見失ったとき、まるで道しるべのように輝いた光があった。ただそれを頼りに歩きつづけ、抜けた先にあったのがこの小さな石と、その先に建つ魔女の家だった。
妖精は、ひとの願いを好む。純粋で、ひたむきな、綺麗な願いごと。
「……ずっと、そこに居たのかい?」
老人が囁くと、小瓶の中の石がコツリと音を立てる。
それを見て、老人の目から涙が溢れた。
「ああ、ありがとう。ありがとう、魔女の愛し子」
涙は心を溶かすもの。
やさしいこころ、かなしいこころ。
いろいろなものが、つまっている。
――でも、魔女は涙を流してはダメなの。
――師匠と約束したから。
泣き虫だったエイラに、師匠が言ったのだ。
本当ならもっとずっと起きていられるはずだったのに、眠りにつかなければならなくなった師を安心させたくて。
自分はだいじょうぶだからと、せいいっぱい笑ってみせて、見送った。
いつもずっと笑みを湛えていた『イスタークの魔女』の名を汚さないために、エイラは強い魔女であらねばならないのだ。
◇
サイードが不在となる時間、入れ替わるようにウエッソが出入りするようになり、エイラはますます縮こまることになった。
女中頭のイソラは、エイラではつくることができない、とてもおいしいパンをわけてくれる。エイラにできることは、せいぜい傷薬をつくることぐらいだった。どれも初歩的で簡単なものだけれど、イソラはとても喜んでくれた。
薬をつくって、それを自分で手渡したのは初めてだったし、それを喜んでくれたこともまた、初めてだった。
ありがとう。
そんな言葉を、師匠以外の誰かから言われたことがなくて、エイラの胸はもぞもぞして、なんだかおかしなことになるのだ。
イソラが、ウエッソが。
エイラに「ありがとう」と言うたび、走って逃げ出したくなってしまう。
「おかしいのです」
「なにもおかしくないだろう」
「わたし、おかしいのですよ」
サイードに訴えたところ、彼はほんのすこし口元をゆるめた。
常に堅苦しい態度を崩さなかった騎士も、最近はどこかゆるんだ表情をみせるようになり、なにかにつけてエイラに「ありがとう」と言うのだ。
けれど、感謝するのは自分のほうだとエイラは思う。
王宮での生活がすこしずつ向上しているのは、ぜんぶぜんぶ、彼のおかげだ。自分を連れてきた責任をまっとうするべく、あらゆる場面で手を差し伸べてくれる。
師匠がいなくなった隙間を埋めたのは、サイードだった。
それが、国の命令による「騎士の仕事」だとわかっていても、この時間が心地よいと感じている。
眠ったままの隣国の客人に会えないまま、エイラが王宮を訪れて、ひとつきが経とうとしていた。
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