04 騎士は魔女を見直して作業を手伝う

 魔女はこちらに背中を向けて、作業をしている。庭から採取してきた葉をすりつぶしているらしい。

 くたびれたマントは着ていない。そのかわり、サイードが用意した簡素なシャツと丈の長いスカートを着用している。継ぎを当てた服しか持っていないという魔女に、強引に押しつけたものだ。

 最奥とはいえここは王宮。それなりの格好をしておかなければならないのだと言い聞かせたが、ようするに居たたまれなくなっただけなのだ。

 今時分、町娘だってもっとマシな服を着ているというのに、国賓ともいえる『イスタークの魔女』がボロを着て、廃屋同然の場所に追いやられているだなんて、見過ごすわけにはいかないだろう。

 マントを脱いだ魔女の姿を、初めて見たときのことを思い出す。

 無言で押し開けた部屋の中、驚いたようすの娘を見て、サイードもまた動揺したものだった。

 フォグの森に住む魔女は、原初の魔女であり、よわいも知れない存在であると聞かされていた。

 イスタークを治める祖父母は魔女と会ったことがあるらしいが、どんな顔をしているのかまでは教えてくれなかった。

 ただ、まだ幼いころ。ともに森へ行ったとき、草色のマントを着て、フードをかぶったひとを見たことがある。あれが魔女なのだとサイードは認識しており、だからこそ、あの日訪ねた人物を、魔女だと判断したのだ。

 だが、部屋にいたのは、年若い娘だった。

 薄い亜麻色の髪、透き通った新緑の瞳がこちらをとらえている。

 どう見ても年下で、おどおどした態度は、威厳高い魔女とはほど遠い雰囲気で。


 ――誰だ、これは。


 思わず自問したくなったが、彼女が魔女でなければ、自分が連れてきた人物はどこへ消えたというのか。

 そしてなによりも、机の上にいたなにか。

 動いていたような気がして目を細めた瞬間、まぼろしのように消えてしまったあれは、いったいなんだったのだろう。

 サイードは、基本的に現実主義者である。魔女を信じているのは、存在することを知っているからなのだ。

 その魔女はといえば、想像していたよりもずっと普通の娘だった。

 いや、普通といっていいのかどうか。

 見た目はともかく、性格は内向的だ。森に住んでいて、近くの村に買い物に行く程度の生活で、他人と話すことが苦手らしい。サイードに対しても常にビクビクしており、野生の小動物を相手にしている気分になってくる。

 なにもない不便な部屋に物資を運びこみ、ようやく最低限の生活空間を整えたが、それらの道具にもおっかなびっくりといった態度をとっている。非常に原始的な生活をしていたようだ。前時代的なかまどを手慣れたようすで使っているところからも、それらはうかがえた。

 アランの側近であるサイードが魔女の近くにいることについては、王宮内でもさまざまな噂がある。

 魔女という妖しげな存在を監視するために、殿下が側近をつけている、というのが、主なものだ。アランはとくに反論はしない――否、できない。魔女の威光はそこまで遠くなっているし、現国王も直接かかわったことがないこともあり、魔女をどう扱ったものか誰もが困惑しているのだ。

 医師や薬師は、魔女を厭うている。

 病の元凶であると本気で思っているわけではなく、自身の領分に入ってきてほしくないといったところだろうか。彼らは徹底的に魔女を排除しており、いっさいの情報を与えない。患者にも会えない現状は、サイードとしても歯がゆいところである。



「庭に出てもいいですか」

「付き合おう」

「いつも、ごめんなさい」

「君が謝る必要はない」

 魔女に乞われて庭に出るのも、もう慣れた。

 彼女は迷いなく、葉を摘み取っていく。いつもは見守っているだけだが、背後に立っているだけの日々にも飽きた。監視しているような体勢は、不本意なのだ。

 もうじゅうぶんではないか。

 彼女は、無害だ。

 ただ、連れてこられただけ。なにかをなそうとしても止められ、それでいて、なにもしないことを非難される。

 なにもしないわけにもいかないから、ごくごく一般的な傷薬をつくる日々。

 サイードは魔女のちいさな背中に向けて足を踏み出すと、隣に立った。驚いたようにこちらを見上げる娘に、声をかける。

「どれを摘めばいいんだ」

「はえ?」

「ふたりでやったほうが、早く済むだろう」

「で、でも、殿下のお傍つきの、とっても偉い騎士さまに……」

「その殿下の命でここにいるんだ。なにをどうするかは私の――いや、俺の裁量に任されている」

 好きにさせてもらおう。

 サイードは開き直ることにして、近くの葉に手を伸ばす。すると、魔女がちいさく制止した。

「それ、は、ちがう。形は似てるけど、葉脈の走り方がちがうの」

 カゴから別の葉を取り出して横に並べてくれたが、サイードにはよくわからない。思わず眉を寄せると、魔女はちいさく笑った。

 明るい陽射しの下で見た笑顔は、それまでの弱々しさを払拭するほど明るく、そしてたいそう可愛らしいものだった。



    ◆



 サイードは採取を手伝うようになった。

 そうして知ったことは、この無造作ともいえる庭が、薬草の宝庫であるということだ。

「これは、生のまま煮だして飲むとダメ、なの。きちんと乾燥させないと、おなかをこわす。水分が残ってると、こわい」

「どうやって見極めてるんだ」

「そういうのは、シーニィが知ってる」

 魔女はときどき、誰かの名をくちにする。シーニィとは、水の妖精だという。ならば、例えばひしゃくですくった水に、その妖精がいるのかと問うと、首を振るのだ。まったく意味がわからない。

 薬草は毒草であり、毒草は薬草でもある。

 手をかけることが大事であり、きちんとした手段を踏むことによって、効能は変化する。

 普段なにげなく、それこそ当たり前のように処方されていた薬は、それなりの工程を経てできあがっているものなのだということを、改めて知る。

 魔女の薬は万能薬だというが、彼女がつくっているのは、見知っているものばかりだ。しかし、効果は驚くほど高い。

 以前、魔女がおずおずと差し出して頼んできた、火傷やけどに効くという塗り薬を、炊事場で働いている女中頭に手渡したことがある。水ぶくれができてしまうぐらいにひどかったそれは、一晩もすれば炎症がおさまり、三日が経つころには平常な皮膚へ戻ったというから、驚きだ。

 薬の出どころを尋ねられて、それが魔女の手によるものだと告げたところ、彼女は顔を強張らせた。

 しかし、数日後には態度が変わっていた。

 朝、魔女の滞在する離れに向かっていると、「これを魔女にやっとくれ」と、まだあたたかいパンを押しつけられたのだ。それ以降、なにかと「魔女に」とつっけんどんに渡してくるようになったものだから理由を問うと、口を尖らせながら呟いたものである。

「……なんだい、あのうすっぺらい身体は。あんなのが、厄災の魔女だってのかい? バカを言うんじゃないよ、まだちいさな娘っこじゃないか」

 ひとりで庭をうろついている姿を目撃したらしい。

 歩きまわって、さまざまな葉や実をカゴに入れる。使うひとも少ない古井戸から水を汲むと、それをひとつひとつ丁寧に洗っていく。

 はじめは、なにかよからぬことでもするのではないかと訝しんだが、黙々とそれらの作業をおこなうだけだったらしい。邪魔にならないような場所に広げて乾かしていたそれらを、赤毛の薬師が掠めとっていくし、偉ぶった態度の若い医師はわざとらしく踏みつけていく。

 魔女はといえば、荒らされた現場を見て憤慨するでも悲観するでもなく、やはり黙々と片付けては、新しく採取してきた葉を水に晒して、同じことを繰り返しているのだ。

「お偉方が、医者や薬師を招集してなにをなさりたいかは知らないけどね、だからってあんな態度はないだろうよ」

 怒り心頭といったようすで女中頭は語り、サイードに言うのだ。

「しまいにゃ、泣くんじゃないかと思ってたもんだけど、あの娘は涙ひとつ見せやしない。あたしが声をかけたらビクビク震えるもんだから、騎士さまにお願いするんだよ」

「貴女がそんなふうに気にかけていると知れば、あの魔女は喜ぶのではないかと思うが」

「――あたしは、こんなだからね、声もデカイし、いまどきの若い娘には嫌われたもんだよ」

 あの魔女に関していえば、単純に人見知りが激しいだけであり、特定の誰かを厭うという感情は持ち合わせていないように思える。

 そう伝えると、彼女は顔をしかめつつも、一応はうなずいた。

 翌日には、大きな声で食材が入ったカゴを押しつけているところを目撃したが、魔女は手を振って辞退しようとして足もとがおそろかになり、尻もちをついていた。そんな彼女を立たせると、服についた汚れを叩いてやり、なにかを言い聞かせている。

 やがて魔女はカゴを受け取り、あの、はにかんだような笑みを見せて、滞在する離れへ小走りで駆けていく。

 それを見送ってからサイードが近づいたところ、女中頭は「どうしようもない娘っこだね」と、カラリと笑った。






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