03 魔女は王宮の庭で妖精と再会する

 医師と薬師に「おまえの出る幕はないから、帰れ」と言外にぶつけられたエイラは、ひとりで来た道をもどった。

 綺麗に整えられた廊下を端まで歩いて右に折れると、隔てる壁のない通路となる。左右からは、朝のひんやりとした空気が伝わってくる。草木の香りとあいまって、清涼感に溢れた庭だ。


 ――ちゃんと、緑が生きてるんだ。


 窮屈な場所に来たと思っていたけれど、エイラにとって馴染みのある世界も、こんなに近くに存在している。王宮の裏側にあるせいか、剪定されていない自然のままの姿がひろがっていた。

 どうせ見放されているのだ。魔女のやることなんて、誰も気にしないにちがいない。

 エイラは、石の敷かれた通路から、土がむき出しになった庭のほうへ足を踏みだした。

 昨夜の雨の名残で、そこかしこに水たまりができている。そよぐ風が木々を揺らし、雨粒となって地に向かうと、水たまりに無数の波紋を生み出していく。

 空を仰いでいると、声が聞こえた。

「あら、魔女じゃない」

「はい」

 水たまりからひょっこりと頭を出した妖精が、水面を揺らしている。

 彼女は水の妖精・シーニィ。日々の生活には欠かせない、大切な存在である。水がなければ、ひとは生きていけないし、薬をつくるためには水は不可欠。飲み水とは異なる「水」は、エイラでは精製できない。

「わたし、薬をつくるんだと思うの。そのときは、お手伝いしてくれる?」

「しかたないわね。アタシのちからが必要だっていうなら、やってあげなくもないわね」

「はい、お願いします」

 エイラの前に、はらりと一枚の葉が落ちてきた。それを傘のように持って、ゆらゆらと降りてきたのは、植物の妖精であるアフダルだ。

 気ままなシーニィと並んで、あつかいがむずかしいのがアフダルの特徴ともいえる。

 気まぐれで、どこか不遜。

 師匠ほどの能力がない未熟者のエイラに対して、なにかと文句を言いつらねる。

「これでわかっただろ、エイラ。おまえみたいなやつは、こんなところに来てもしかたがないんだ。とっとと帰るんだな」

「……うん、でも」

「ばかめ。おろかなる魔女め」

「うん、ごめんなさい」

 アフダルはいつだってくちがわるいけれど、いつもエイラの近くにいてくれる。師匠がいなくなって、森でひとりぼっちになってしまっても、「会話」を忘れずにいられたのは、手のひらに乗るぐらいにちいさな、この妖精のおかげだった。

「それで、おまえの部屋はどこだ。あっちか」

「あ、待って」

 草と草を渡るように、跳躍しながら進んでいくアフダルを追いかけて、エイラは建屋へ向かった。



 ついさっき訪れた部屋とくらべると、あきらかに設備は古い。

 とはいえ、エイラの師匠が使っていた器具は基本的に年代物だったため、不自由には感じない。むしろ、これぐらいのほうが落ちつける。

 飛び跳ねるのに飽きて肩に乗っていたアフダルは、エイラの髪をひっぱって主張した。

「早く下ろせ、そこだ。そこの机にしろ」

「はい」

「緑が足りない。いまのままではダメだ」

「うん、そうだね」

「部屋がきたない。シーニィにきれいにさせろ」

「それはかわいそうだから、わたしがやるね」

「おまえ、なんのくすりつくるんだ。オレが探してやる。ここの庭はわるくないぞ」

「そうなの?」

 薬草やハーブ、食べられる野草、果実。そういったものは、アフダルの領分だ。必要なものがどこに群生しているのか、教えてくれる。それらを使って、まちがったものを作りだすことを良しとしないのだろう。彼らは総じて自尊心が高い。

「薬草、毒草、なんでもある。なんでもつくれる」

「そっかあ。やっぱりここは、そういう場所だったんだね」

 宮廷医師は、王族やそれに類する貴人を相手にするくらいの高い存在だ。患者の立場が立場なだけに、医師のなかでも知識や技術をいちばん必要とする。

 いまは専属の薬師もなく、必要なものは王宮の外で調達しているが、かつてはすべてを敷地内でおこなっていた。庭の植物たちは、それらの名残なのだろう。

「くすりをつくれ。とっとと帰れ」

「……わたしも帰りたいけど」

「帰れ、魔女は森に帰れ」

「そうだねえ、木の実のケーキ、食べたいよねえ」

「つくれ、ここでもつくれ」

 早くしろ、持ってこい――と飛び跳ねるアフダルに、こころがなごんだときだ。いきなり部屋の扉が開いた。

 険しい顔をした男と目が合う。

 灰青色の瞳を見開いたのは、エイラをここへ連れてきた騎士だった。エイラを見て、つぎに机上に目を移した。

 常人に、妖精の姿は見えないはずだ。

 にもかかわらず、男の目はアフダルが立つ位置を見据えている、気がする。

 エイラがちらりと視線をやると、アフダルの姿は消えていた。おそらく、どこかへ身を潜めたのだろう。

 沈黙が訪れる。

 物言わぬサイードに、エイラはおずおずと声をかけた。

「あの、騎士さま。なにか……?」

「――魔女どの、か?」

「そうですが」

 いまさらなにを言っているのだろう。

 エイラが首をかしげると、サイードは目を泳がせた。そして、折り目正しく頭を下げたのだ。

「申しわけない。このような場所に通されているとは知らなかった」

「ふえ? わるくないですよ?」

「気をつかわれる必要などない。魔女どのにおかれては、こちらが乞うて来ていただいている御方、だというのに――」

 苦々しい顔つきとなったサイードに、エイラはあたふたするばかりだ。

 たしかにここは、他とくらべて古い施設だけれど、森の家よりはずっと広い。遠慮をしているわけではなく、こころからそう思っているのだと訴えているうちに、サイードの顔はだんだんと奇妙なものに変化していった。怒りの表情はなりをひそめ、憐憫れんびんともちがう、じつに複雑な表情である。

 エイラは言う。 

「ですから、騎士さまが謝る必要は、どこにもないと思うのです」

「そうか、わかった」

「それはよかったです」

 胸をなでおろしたエイラに、サイードは告げた。

「私が魔女どのの世話をしよう」

「はえ?」

 ぐるりと部屋を見渡したのち、一礼して部屋を出て行く。呆然と見送ったエイラだったが、アフダルと木の実の相談をしているうちに戻ってきたサイードの姿に、目をまるくした。

 まっしろなシーツや畳まれた布をたくさん両手で抱えている。その上には木箱が乗っていて、雑貨や食器などが入っていた。机の上に木箱を置き、布はソファーの上へ置こうとして、ほこりに気づいたらしい。しかし、どうしようもないと判断したか、あきらめたように布を置いた。

 ふたたび部屋を出て行くと、今度はさほど時間をおかずに戻ってくる。水を張った桶と雑巾。それを床に置くと腕まくりをして、雑巾をしぼりはじめたものだから、エイラはあわてた。

「わ、わたし、が」

「あなたの仕事は治療薬をつくること。それ以外の雑事は、私が請け負おう。殿下からも、そのようにうけたまわっている」

 生真面目な顔でそう返されて、エイラは言葉につまった。

 なんだろう、この違和感は。

 王宮のひとたちは、魔女を忌避し、邪魔者あつかいだ。けれど、この騎士は自分を必要だというし、薬をつくることを願っている。

 ちぐはぐだった。どちらを信じればよいのだろう。

 エイラの戸惑いを感じたのか、サイードは眉を寄せて、口惜しげに呟く。

「医師たちの物言いは、さぞかし失礼だったことだろう。お詫び申しあげる。魔女の威光は、遠くなってしまったらしい。彼らの態度がどうであれ、国王らは魔女どのを頼りにしているのだ。力を貸してはもらえないだろうか」

「……魔女は、薬をつくるだけです」

「御力をお貸しいただき、感謝する。なんなりと申し付けていただきたい」

「あの、それでしたら」

「なんだろうか」

 威圧せんとばかりのまなざしと声に尻込みしながらも、エイラはなんとか己の要望をくちにする。

「都の騎士さまに、そんなふうに、お掃除をしていただくわけには、まいらないのでありまする。そういうのは、ぜんぶ、わたしがやるので、だいじょうぶなのです」

「しかしながら――」

「あああ、あと、ですね」

 泣きそうになりながら、エイラはなんとか声をしぼりだす。

「わたしに、そのような態度は必要ないのでござりまするでありまする。わた、わたしは、そんなふうにえらくはないのでして、騎士さまのほうがずっとずっと上のかたなのですよ」

 声は震え、語尾も完全に崩壊している。自分でもなにを言っているのかさっぱりだ。

 けれど、エイラの懸命な主張は、それなりに理解されたらしい。

 サイードは驚いたようにまばたきを繰り返したあと、ひとつちいさく息を吐いて告げた。

「わかった。ならば、私からもひとつ」

「はい、騎士さま」

「それを改めてくれ」

「はい?」

「サイードだ」

「は、い?」

「では、掃除をしよう」

 問題は解決したとばかりに机や棚を拭きはじめたサイードに、エイラは声をかけることもできず、もうひとつの雑巾を手にとって、反対側の棚のまえに立ったのである。




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