op.25
――遅かれ早かれ、貴方達の家族ごっこは崩壊する。断言するわ。
侑里から放たれた言葉は、かえしがついた針のように、胸の奥深くに突き刺さって離れなかった。
あれから数日経つが、変に意識して真莉愛の顔をまっすぐ見ることも出来やすない。そんな俺を彼女も訝しんでいた。
「家族ごっこ」と言われたときは頭に血が上った。そんな半端な覚悟ではさらさらなかったし、出来る限り何でもするつもりでいた。
だが、侑里が言うこともわからなくはない。
俺が真莉愛に父親として接すれば接するほど、当の真莉愛は俺との距離感を測りかねているように見受けられたから。
血が繋がっていないのだから当然だが、子育ての経験などしたことがない自分に、いきなり多感な時期の娘の面倒を見るなど無理がある話ではなかったのか――
自問自答を繰り返した揚げ句、父親になると宣言しておきながら、
ある日社長から言われた一言を思い出す。
「娘のことは未だによくわからないよ」
実の父親でもそうなのだ。
まるで答えが見つからない迷路から抜け出せず、身が引き裂かれるような夜風から逃れるように自動ドアを潜り抜ける。
すると目の前には綺羅びやかなケーキの数々が視界一杯に飛び込んできた。ショーケースにところ狭しと並べられ、店内に漂う甘いバターの香りが、沈んでいた気持ちを幾らか落ち着かせてくれた。
仕事後に立ち寄った駅前のケーキ屋は、侑里がお勧めと言っていた店だ。
外れがないからクリスマスケーキを買うならそこにしとけと言われて立ち寄ったのだが、確かに並ぶケーキはどれも芸術品のようで、そのぶん値も張る。
事前に予約しておいた、四号サイズの苺のショートケーキを受けとり自宅へと向かうと、両手の荷物は二つに増えた。
この日の為に買った真莉愛へのクリスマスプレゼントは、華の女子高生なのに携帯の一つも持っていないことを知った、侑里からの忠告と助言に従って買った型落ちのスマートフォンだった。
ちなみに色違いで俺も購入した。
年甲斐もなくお揃いのものが出来たことに少し心踊る。真莉愛がピンクで俺が黒。
――これでアイツも少しは喜んでくれたら良いんだがな。
先程まで自信を失いかけていた頭の中では、プレゼントを受け取って笑顔を見せる真莉愛の顔が浮かぶ。それだけで心が暖かくなった。
アパートに辿り着き鍵を開けると、普段とは違う部屋の違和感にすぐ気がついた。
「あれ……買い物にでも出掛けてるのか?」
鍵を空けて薄い扉を開くと、室内は電気もつけられず真っ暗で、いつもなら夕御飯を作っているかテレビを観ているかして過ごしているはずの真莉愛の姿がない。
明滅する外の外灯の灯りが、真っ暗な部屋に己の影を伸ばす。スイッチを押して電気を点けたが、狭い室内を見渡してもやはり何処にもいない。
ふと、テーブルの上にメモ用紙が置かれていることに気がついて手に取る。確認するとメモ用紙に一行、真莉愛の通う学校まで来るように伝言が書かれていた。差出人の名前は書かれてない。
突然のことに視界がブラックアウトしそうだった。
「どういうことだ……」
真莉愛の父親の一件もあったので、もしかしたら何かの事件に巻き込まれたのでは――
つい数分前まで暢気にクリスマス気分で浮かれていたはずが、足元が崩れるような恐怖に襲われ、手にしていたケーキを放り投げると一人夜の校舎へと走って向かった。
「後藤くん。手伝ってもらってごめんね」
「ううん。阿部さんの為ならなんだってするよ」
生徒も先生達も誰一人いない夜の校舎は、人気がないのは勿論だけど昼間の賑わしさが嘘のように闇と静寂に支配されていた。
生まれて初めて夜の学校に忍び込んだけど、独りだったら怖くて耐えられなかったかもしれない。
隣には同じクラスの後藤くんがいてくれるからまだ強がることができたけど。
廊下から水が滴る音が反響して聴こえてきた。
「きゃ!」
思わず後藤くんの腕に掴まってしまい、困らせてしまった。
前言撤回――やっぱり夜の学校は怖いに決まっている。
「でも……阿部さんに手伝ってほしいって話しかけられたときは驚いたよ。今まで一度も話したことなかったしね。それにピアノをやっていたのも知らなかったし」
「一人でいることが多かったからね。後藤くんが音楽部の部長で、しかもコンクールにも出場したことがあるって話を聞いたから力を借りたくて。私なんてもう何年も鍵盤にすら触れてなかったからさ」
「ははは……。僕なんて素人に毛が生えたようなもんだよ。それより阿部さんがあれだけ弾けるほうが驚いたな。僕なんて教えることがないくらい上手だったから、ちょっと焦ったけど」
後藤くんには今日の計画の為に色々と世話になった。ブランクがあったピアノの練習に付き合ってもらったし、バレたら内申にも響くだろうに夜の校舎に忍び込む手伝いまでしてくれた。
ただの同級生相手にどうしてここまで面倒を見てくれるのかわからないけど、おかげでそれなりに鍵盤を弾けるようになった。
やっぱ私はピアノが大好きだ。幼い頃の儚い夢を思い出す。
「それに……その、ワンピースもすごく似合ってると思うよ……」
「そうでしょ。これお気に入りなんだ」
似合ってるのは当たり前だ。
なんてったって律人が選んでくれてんだから。
「一つ聞いていいかな」
「なに?」
「その律人さんって人の事……どう思ってるの?」
ここが灯りがついてない部屋で良かった。
唐突な質問に、思わず顔が熱くなってしまったから。
律人のことは今日の計画を話したときに伝えてあったけど、どうしてそんなことを尋ねてくるのだろうか。彼には関係ないというのに。
適当に誤魔化す選択肢もあったけど、ここまで手伝ってもらっておいてはぐらかすのも気が引ける。なので正直に伝えることにした。
「律人は私の好きな人だよ。とっても大事な人」
「そんな……だって父親代りの人なんでしょ?その人を好きになるなんて――」
「別にいいじゃん。これまで手伝ってもらったのは感謝するけど、そこまで言われる筋合いはないと思う」
「ご、ごめん。あ……校門の前に誰か来たよ」
窓から暗い校庭を見下ろすと、閉じられた校門の前でうろうろしている律人の姿が確認できた。
それじゃあ迎えにいってくるねと、後藤くんは外へ駆け出していった。
じっとりと掌に汗が滲んでいる――どうやら柄にもなく緊張しているみたい。
今から迎えにいって再び戻ってくるのに五分はかかるだろう。
律人は喜んでくれるだろうか――もしかしたら驚くかもしれない。コロコロと変わる彼の表情をイメージしながら、ピアノの前で静かに瞼を閉じた。
「はぁ……はぁ……はぁ……ゴホッ」
人生でこれほど必死に走ったのは、奏太を亡くしたとき以来だった。
破裂しそうな心臓をなんとか抑え込み、手紙の指定通りに真莉愛の通う学校に辿り着くと当然のごとく校門は固く閉じられていた。
このままここにいても不審者扱いされてしまうと思い、いっそのこと乗り越えてしまおうかと校門に手をかけたとき、暗い夜道で自分を呼ぶ声が聴こえた。
「すみません。律人さんでよろしいですか?」
その声の主はどこかで見た覚えのある男だった。私服姿で、まだあどけなさが残る顔はどこかで見かけたはずだが思い出せない。無性にイライラするのは何故だろう。
「お前は誰だ。どうして俺の名前を知っている」
「僕は後藤敬太っていいます。ある人の依頼であなたを迎えに来ました」
「俺を?」
高校の校舎は日中は耳を塞ぎたくなるくらいに賑やかなのだろうが、後藤と名乗る男の後ろをついて歩いていると息苦しくなるほどの静寂に包まれていた。
後藤は余計なことを話さない。最初からそう決めているとでもいうように、いくら問いかけても口を開くことはなかった。
その代わりにたまに寄越してくる視線が気になる。
しばらく歩き続けると、後藤の足が止まった。
その教室には音楽室と書かれた札が掛けてある。
――音楽室?ここに真莉愛がいるというのか。
この先に何が待ち受けているのだろうか。恐る恐る引き戸を開くと、雲一つない夜空から降り注ぐ月明かりが、スポットライトのように音楽室を照らしていた。
妖しく輝くグランドピアノが教室の中央に鎮座し、探していた真莉愛が奏者のように座っている。
真莉愛は、あの日のワンピースを着ていた。
どうやら事件に巻き込まれたようではなかったのでそれは良かったが、それにしても呼び出された意図が掴めない。
どうして俺を夜の音楽室に呼び出したりしたのか。
「今日は私のクリスマスコンサートに御来場いただきまして、誠にありがとうございます」
「は?何を言ってるんだ」
恭しく頭を下げる真莉愛に事の真意を尋ねようとすると、背後から「いいから着席してください」と、後藤に用意していた椅子に半ば無理矢理座らされてしまった。
真莉愛も着席して、一度深く深呼吸をしてから、静かに鍵盤に指を置いた。
3つの新しい
あの日、聴くことのなかったクラシックコンサートの続きをやり直すかのように、俺の前でショパンの練習曲の連続演奏を弾いてみせる。
別れの曲、革命のエチュード、木枯し、大洋――全て完璧に弾きこなしていた真莉愛は、一人のピアニストになっていた。
気持ち良さそうにピアノを弾く真莉愛の姿は、鍵盤の上で気持ち良さそうに踊っている妖精そのもの。
「クリスマスプレゼントは気に入ってもらえたかな?」
演奏を終えた真莉愛は、はにかみながら尋ねてきた。
「真莉愛……お前練習していたのか……」
「そうだよ。前から計画したんだ」
俺がどれだけ心配したかも知らずに白い歯をみせて頬笑む彼女を、俺は思わず抱き締めた。
「え!?ど、ど、どうしたの!?」
「バカ野郎……やり方ってもんがあるだろ」
腕の中で真莉愛はもがきながら抵抗をみせていたが、次第に大人しくなって親に怒られた子供のように不安な表情で見上げてきた。
「もしかして怒ってる?」
「あんな置き手紙残されたら誰でも心配するに決まってるだろ!だけどな、演奏は見事だったよ。最高のクリスマスプレゼントになった。ありがとな」
「気に入ってもらえたのなら良かった……」
「あの、僕もいること忘れないでくださいね」
「「あ……」」
振り返ると、後藤がバツが悪そうに隅に立っていた。申し訳ない。
夜のコンサートを終えた俺と真莉愛は、侵入してきた裏門で後藤と別れ、久しぶりに二人で自宅まで歩いて帰った。
「なぁ真莉愛」
「なぁに?」
どうしても聞かずにはいられなかった質問を投げ掛ける。
「今からでもピアニストを目指してみないか?」
「ピアニスト?もしかして演奏に聞き惚れちゃった?」
はぐらかすようにわざと
「あの演奏は、とてもじゃないが何年もブランクのある人間が弾けるレベルじゃない。もし、真莉愛が本気でピアニストを目指すというのなら――」
「それ以上言わないで。音大がどれ程学費かかるのか知ってる?とてもじゃないけど払える額じゃないよ」
そう言って足早に前を歩いていく真莉愛の後ろ姿をみて、思わずその腕をつかんだ。
これ以上、彼女に諦めることをしてほしくなかったから。
「俺を頼ってくれ。それが俺の力になるから」
「……本当にいいの?目指していいの?」
振り返らないまま、震える声が返ってくる。
「ああ。今日演奏を聴いて確信した。真莉愛は神に愛された才能の持ち主だ」
神なんてこれっぽっちも信じてこなかった俺だけど、その存在を信じずにはいられない時間を過ごさせてもらった。
「私……夢を目指していいんだ……」
涙を隠そうともせずに胸に飛び込んできた真莉愛を、思いきり抱き締める。そして心の中で改めて誓った。
――血なんて関係ない。俺は真莉愛の父親なんだ。父親として娘の夢は叶えてやるんだ。
「あ、そうだった……」
「どうしたの?」
「慌ててたから、クリスマスケーキがグチャグチャかもしれん」
「えーなにそれ」
娘は泣きながら笑ってくれた。
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