op.24
「ねぇ、どうしたの?なんか今日の律人変だよ」
「そうか?別にいつもと変わらないが」
「そうかな。な~んか隠し事してるみたいなんだよねぇ」
女という生き物は、年齢関係なく、高感度の嘘発見器でも標準装備してるのだろうか。
「バカいえ。俺はなにも隠してない」
「ふーん……まぁいっか。それよりクリスマスは空けてくれてるよね」
「ああ。夜には帰ってくる予定だよ」
侑里に会ったことは真莉愛には伏せていた。そんな俺からナニかを感じ取ったのか、しきりに隠し事をしてないから問い詰めてくる。
女の直感というものは子供の頃から備わっているようだ。
何故真莉愛にたいして隠しだてする必要があるのか自分でもわからない。嘘をついてしまったことに罪悪感を感じ、疚しいから心が苦しくなる。
夜も更け、一人布団にくるまると誰もいない部屋は途端に温度をなくしていく。
薄い壁一枚隔てた外側には、心も体も凍ってしまう北風が吹き
カタカタと、風に晒されたアパートが横に揺れて、その度に目を覚ましてしまい眠りにつけずにいた。
仕方なく天井を仰ぎ見ていると、ふと真莉愛の様子が心配になった。今まで意識した事もなかったが、アイツも、誰もいない部屋で同じように眠れない夜を過ごしているのでは――
思い返せば、母親を亡くしたうえに父親であった男に襲われかけたのだ。一人きりでいるのは心細いはず。
早く安心して過ごせるように、一刻も早く引っ越し先を見つけなくては――
翌日会社に出社すると、あれだけ埃っぽかった店内の空気も、白い埃が積もっていた棚と商品も嘘のように綺麗に清掃されていた。
姑のように棚を指でなぞってみても、指の腹は全く白くならない。初めて前園に訪れたときとは大違いだった。
病み上がりの社長一人では手が回らなかったから汚れていたのであって、俺がいない間に清掃業者でも入れたんだろうか、と事務所に顔を出すと、そこには書類を整理している侑里の姿があった。
こちらを一瞥すると、「おはよう」の一言だけを寄越して再び作業に戻る。社長の姿はどこにもなかった。
――そういえば午前中は検診があると言っていたか。
「会社はどうしたんだよ。今日は休みなのか?」
沈黙に耐えられず話しかけると、
「まとめて有給取って休んだの。ちょっと大きな仕事が立て込んでたしね。プロジェクトが一段落したから実家に戻ってきただけよ」とこちらを見ることなく答えた。
「そうなのか。そりゃお疲れ様」
一緒に事務所を片付けながら、深い意味もなく告げた労いの言葉に、侑里の手が止まる。ゆっくりと振り返り、狐に摘ままれたような顔で俺の顔をじっと見てきた。
「なんだよ。俺の顔に何かついてるのか?」
「昨日も思ったんだけどさ、どうしちゃったのよアンタ。昔はアタシにそんなこと一言だって言わなかったでしょ」
「そう……だったかもな」
そう言われて振り返ってみると、あの頃は仕事で連日忙しかった侑里との会話はほぼ皆無だったような。
家に居場所がないと感じて、なけなしの金でパチスロに出掛けたりすることがザラだった。
「なんかプライベートで良いことでもあったりしたの?」
「いや、別にそんなことは」
「じゃあ……その弁当はなによ」
侑里が指差す先を見て固まった。
「これは」思わず返答に詰まる。指差す先には、真莉愛にいつも作ってもらっている弁当が――それもファンシーな熊の絵柄がプリントされている巾着袋に納められている。
一瞬の時間が無限大に引き伸ばされたような感覚のただ中で、この状況をどう説明したものかと答えを導きだそうと試みたが、どう答えても怪しまれるのがオチだった。
「自分で作ったんだよ」
いやいや、こんな可愛らしい手提げ袋に入れて会社に持参するような人間でないだろう俺は。
正直に「女子高生に作ってもらってる」と伝えたらどうなるか――
恐らく侮蔑と軽蔑の眼差しが飛んでくるだろう。それだけならまだいい。元から無い俺の信用度がマイナスになるだけだから。
それよりも根掘り葉掘り問い質される方がよっぽど面倒で回避したい事態だ。
「弁当は自分で作ってるんだけどな……その……手頃な袋が無くて」
「ふーん。そうなんだ」
苦しい言い訳に、侑里は明らかに納得してないといった顔でその話題は途切れた。
午前中の配送の準備を終え、いざ出発しようとエンジンキーを回すと、助手席のドアが開かれ何食わぬ顔で侑里が乗車してきて発車を促す。
「なんだ。また駅まで送れば良いのか?」
「違うわよ。今日はアンタの仕事を手伝ってあげるの」
「はぁ?別に手伝ってもらう必要なんて無いぞ。それに貴重な休みなんだろ。家でゆっくり休んでいれば――」
「煩い。今頃アタシの心配なんかするな。アタシが手伝うって言ってんだから素直に言うこと聞けばいいのよ」
シートベルトを締めて下車する意思がないことをことさら強調する。
仕方ないかと溜め息をつき、アクセルを踏んで軽トラを走らせた。
仕事面では侑里に手伝ってもらったことで、正直だいぶ助かった。男性でも重い瓶ビールのダースを悠々と運んでいく姿は、学生時代に空手で鍛え上げた賜物だろうか。その頑張りのお陰でいくらか助かったのは事実だった。
午前中の最後の一件を終えたあと、事務所に戻る途中の車内で尋ねられた。
「火傷はどうなの?」
「相変わらず痛むさ」
「そう」
文字にすればたった数文字の会話のなかに、幾らか心配してくれている様子が感じ取れる。
そういえば侑里には火傷について深く話したことはなかった。昔事故にあったとしか伝えていない。
「辛い割には随分生き生きと働いてるじゃない」
「そう……かもな」
「なによ。歯切れの悪い返答ね」
まさか、血も繋がっていない女子高生の娘の為に頑張ってるなんて言えやしない。
それから会社に戻って昼食を取っているときに、最悪の事件が起きた。
気を抜いていたこともあるが、不用心にも侑里の前で弁当箱の蓋を開けてしまったのだ。
もしこれが普通の弁当だったら何の問題もなかった。問題だったのはその中身で、蓋を開けると初めて見るなんとも可愛らしい手の込んだおかずが入っていたのだ。
見知らぬキャラクターが突然現れ、ハート型にくりぬかれた人参や、とどめは白米の上の
その中身を遠巻きに見ていた侑里は、わかりやすく鼻で笑っていた。
「へぇ~アタシと別れてから趣味が変わったのね。まさか新妻が作るような愛妻弁当を作ってくるなんて恐れ入りました」
恐る恐る見上げると、好奇心と嗜虐心の両方が覗く視線で、俺を見下ろす悪魔が立っているではないか。
もし、この場を切り抜ける策があるというのなら言い値で買わせていただきたい。
その日の仕事を終えた俺と侑里は、近くのファミレスに立ち寄った。
笑顔で応対する従業員に喫煙席か禁煙席か問われると、瞬きをする間もなく喫煙席と答える侑里は、やはり以前と変わりはない。
席につくなり煙草を取りだして深々と煙を吐き出す様は、板につきすぎて見惚れる位だった。
「なに?顔になにかついてる?」
「いや、なんでもない」
「ていうか煙草忘れたの?ずっと吸ってないけど」
「ちょっと止めようと思ってな」
「それって、その弁当を作った相手となにか関係あるの?」
やはりその話題からは逃れられないかと観念して、真莉愛との出会いから現在に至るまでを白状した。
どのくらい話をしただろうか。拙い説明をしている間に周囲のテーブル席は客が入れ替わっていた。
侑里は頼んだパンケーキにはまだ手もつけていない。
「ふーん……なるほどね。ちょっと信じられないけどそんな厄介事に巻き込まれてたんだ」
「厄介事なんていうな。俺が好きでやってるんだからな」
つい反抗するような言い方で答えると、目を丸くして笑われた。
「そうやって熱くなるところも初めて見るわよ」
死んだ眼をしてた男が、よくもまぁそこまで変わったわね、とまだ手をつけていなかったパンケーキを口に放り込みながら、素直に驚いてみせる。
「それでその真莉愛って子と暮らす為の部屋を探してるわけね」
侑里には部屋を探していることは話していたが、それで合点がいったと大きな一口で頬張る。
「ああ。部屋さえ決まれば家具の運びだしとかは自分でやれば節約できるし、なにより自分の手やってやりたいんだ。誰かにやらせたくない」
つい気持ちが乗った一言に気恥ずかしくなり、誤魔化すようにコーヒーを口に含む。それまで静かに聞いていた侑里は、最後の一切れを食べ終えると、口を開いた。
「随分と男らしくなったようだけど、一つ言わせてもらって良いかしら」
「なんだよ」
「アンタ……本当にその子と家族になれるとでも思ってるわけ?」
それまでどちらかというと大人しく聞いていた彼女だったが、まるで態度が百八十度変わって冷ややかな声で告げた。
「どういうことだよ」
「女子高生っていったら、男が思ってる以上に大人なのよ。それは
それは、思わず口ごもってしまった。一から十なんて理解してるつもりはなかったから。
「全部を理解してないことくらいは理解してる。真莉愛は辛い人生を送ってきたんだ。同級生の子と比べたら少しは――」
「何もわかってない。アタシが言いたいのはそういうことじゃなくて、その子はもう一人の女として育ってるのよ。その真莉愛という子はね」
「……何をいってるのかよくわらないんだが」
本音をぶつけると、「変わったと思ったけど、肝心な部分はやっぱ変わってないわね」と、勝手に評価を下方修正される始末。
「お昼の弁当。あれ、どう思ってる?」
「あれか?親でもある俺にあそこまで手の込んだ弁当を作ってくれなくてもいいのに、とは思うが」
「はぁ……ダメだこりゃ」
「さっきから何なんだよ。何が言いたい」
「嫌よ。自分で考えなさい」
そういうと、レシートを手に取りレジへ早足で向かってしまった。
どうやら尋問は終わったようだが、さんざん人から話を聞き出した割には車内の中での侑里の気分はよろしくなく、ボーッと外を流れる街並みを眺めていた。
「ねぇ律人……」
ラジオからは一昔前の歌が流れていた。なんとも切ない失恋ソング。
「なんだよ」
「その真莉愛って小娘の事、どう見てるの?」
「どうって……大事な娘だと思ってるよ」
「じゃあここでハッキリ伝えておく」
ちょうど曲のサビに差しかかる頃、それまで車外を眺めていた侑里は振り向いて、いたって真面目な顔で余命宣告のように告げた――
「遅かれ早かれ、貴方達の家族ごっこは崩壊する。断言するわ」
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