op.21

 中古で買った炬燵こたつに足を突っ込んで、いつものように真莉愛とテレビを眺めていると、やけにテンションが高い女性アナウンサーが来月に迫っていたクリスマス特集を読み上げていた。

 やれ、どこどこのイルミネーションがお勧めだ――どこどこの夜景が見えるレストランがお洒落だ――イベント毎に縁がなかった自分にはまるで異国の言葉に聞こえ、何が何だかんだちんぷんかんぷんだった。

 辛うじて聞き取れた単語は、悲しいかな「東京タワー」のみ。



「そういえば律人の誕生日ってそろそろだね」

 画面を見つめながら真莉愛が尋ねてきた。尋ねてきた割には興味がなさそうだったが。

「ああ……すっかり忘れてたよ」

「クリスマスイブなのに?なんだか気の毒ね」

 それは失礼ではないかという抗議には耳も貸さない。

「何が気の毒だ。どうせ三百六十五日のうちの一日だろ」

「その一日が大事なんじゃない。本当律人は自分のことになると興味が一切ないわね」

「ふん。悪かったな」

 ふむふむ……イタリアン、フレンチ、コース料理お一人様……一万円?クリスマスはやたら金がかかるんだな……。


「あのさ……」


 フラッシュモブ?……嘘だろ……人前でそんな踊りするのかよ。


「ちょっと聞いてる?」

「あ、すまん。なんだ?」

「元カノとはさ、どんなクリスマス過ごしてたの?」

 吹き出しかけた。なんだその質問は。

「どうと聞かれても……たいした思い出はないな」

「どこかに出掛けたりしなかったの?」

「あの頃は何も興味を持てなかったからなぁ」

「そうなんだ。もしその人とやり直せるとしたら、どうする?」

 いたって真面目な顔で尋ねてくる。

 もしも――なんて可能性は1%もあり得ない未来を。万が一があったとしても、その未来は選択しないことは自分が一番よくわかっている。


「だからいらないって言ってるだろ。今の俺にはそんな余裕も暇もない。なんてったって育ち盛りの娘がいるんだからな」

「また娘呼ばわりする。止めてって言ったじゃん」

 俺の返答が気にくわなかったのか、口を尖らせて視線の先のカップルを羨ましそうに眺めていた。


「あのさ、クリスマス空けといてくれる?」


 他意はない。そんなことはわかっているが、不意の問い掛けに思わずドキリとさせられてしまった。



 近頃は休日を利用して、不動産会社を見つけると手当たり次第訪れていた。

 大家の娘の強硬な姿勢からすると、力尽くで立ち退きを迫ってくることも考えられる。そのような事態になれば立場的に弱いのはこちらなのは明らかだった。

 それに、真莉愛の父親の同行も気になる。現状警察が巡回を増やしてくれているので問題は起きてはいないが、どうせ一時の平和にすぎない。出来れば早いうちに引っ越し先を決めておきたかったのだが、やはり信用のなさがネックになっていた。

 それに加え難易度を高めていた要因の一つが、血の繋がっていない女子高生が同居人となるという点。これは事件性があるとも捉えられかねない。


 まず大手の不動産会社では物件を紹介してもらうこと自体ハードルが高く、不審な眼で見られることはごく当たり前の出来事だった。

 そうこうしているうちに時間だけが刻一刻と過ぎていき、無為に過ごしていた今までの人生の何倍もの体感速度で月日は流れていく。

 するとどうだろう。真莉愛との共同生活は新しい発見ばかりで楽しくもあったのだが、同時に同じくらい焦りも生じていた。


 ――本当に俺は真莉愛を幸せにしてやれるのか。



 そんな焦燥感に駆られる日常の中でも喜ばしいことはあった。

 何百件と掛け続けた求人広告の中の一つに、社長自ら面接をしてくれるといってくれた会社があったのだ。またとない千載一隅のチャンスを逃すわけにもいかず、一番早い日時で面接を申し込む。

 その会社の募集職種は酒の配送ドライバーで、決まった居酒屋などに酒を卸す仕事だったが、未経験でも給料が割りと良かった点に惹かれた。

 なにより唯一所持している運転免許の資格を活かせる仕事でもあるのが救いだった。


 面接日当日、慣れぬスーツを着て会社を訪れると、そこはオフィスというより自宅兼店舗といった外観だった。

 一階は一般客向けの店舗にガレージ。二階はどうやら居住部らしく、ベランダには洗濯物が干してあった。

 想像したより、だいぶこじんまりとしていて、こういってはなんだが何処にでもありそうな酒屋そのもの。

 薄暗いガレージには、ビールの樽や空のビールケースなど様々な飲料が山積みになっている。見上げると控え目に「有限会社 前園」と書かれている看板が取り付けられていた。

 手動のドアを開け店内に入ると、どうやら店員はいないようで物音一つしない。所狭しと酒が販売されてるが、よくよく見ると棚の上にや商品の上に埃がうっすらと積もっており、指でなぞると指先に白くまとわりついて思わず眉をひそめる。


「掃除に手が回らなくてね……。落胆させたかな」

 背後から声をかけられたことに驚き、慌てて振り向くと、いつの間にか作業服を着た男性が立っていた。

「あの……本日面接で伺った雨宮ですが」

 男性は栄養失調なのかと不安になるほど痩せ細っており、顔色も酷く悪い。

「ようこそ、と言いたいところだけど、この有り様じゃ不安にもなるよね。店の奥に事務所があるからそこで待っててくれるかな」

「はぁ……」

 不安なのは、あなたの見てくれだが――とは初対面でいうわけにはいかなかった。


 言われた通り事務所に立ち入ると、換気がされてないのか埃っぽく、明らかに定期的な掃除がなされていないことがわかる。

 事務所というよりダイニングキッチンのようなスペースで待ち構えていると、首にかけたタオルで額を拭きながら男性が再び姿を現した。


「待たせてすまんね。私が社長の前園だ」

 よわい六十というが、見た目は一回りほど上に見える。まるで大病を患ったような風貌であったが、案の定、先月に退院したばかりのようで、まだ本調子ではないと溢していた。

 よっこらせっと、ところどころ革が剥げているソファに浅く腰掛けお茶をすする様は、まるで隠居した老人のようだ。


「すまんね。突然社長面接なんて聞いたから驚いたでしょ」

「あ、はい。今までいきなりはなかったので」

「うちはね、ご覧の通り零細企業なんだ。なのに社長の私が癌を患ってしまって、なんとか根治はしたんだが気づけば会社は慢性的な人手不足さ。正直猫の手も借りたいくらいなんだよ」

 そこまで話すと、一旦お茶で口を潤わしてから続ける。

 なるほど、猫の手を借りたいくらいだからいきなり社長面接なのか、と合点がいった。


「うちのモットーはね、学歴も経歴も関係なく、目の前の仕事に打ち込めるかどうかが重要なんだ。細かいことはやっていくうちに覚えるけど、そう難しいことはない。どこでもそうだと思うけど、やる気がなければ使い物にはならないと相場は決まっている。君は、何か守るものはあるかね」

「はい。あります」

 それだけは、自信を持って答えられた。

 その日の面接が社長にどういう印象を与えたのかは知るよしもないが、その場で内定を貰うことが出来た。


「当面は研修という形になるけど、よろしく頼むよ。雨宮君」

「は、はい。よろしくお願いします!」


 自分でも驚くほどトントン拍子に話が進み、意気揚々と帰宅している途中に真莉愛の姿を目にした。

 なんだか心なしか嬉しそうな――

「おーい。真莉愛……」

 どうせなら一緒に帰ろうかと声を掛けようとしたその時、彼女の隣に見知らぬ男が歩いていることに気がついて思わず物陰へと隠れてしまった。


 ――いやいや、何をしているんだ俺は。なんで隠れる必要がある。


 もしかしたら何かの見間違いかと、再度通りを覗くと、笑顔で会話に華を咲かせている真莉愛の姿が目に飛び込んできた。

 会話の内容は聴こえないが、楽しんでいることには違いなさそうだった。

 その屈託のない笑顔を見て、ズキリと胸にとげが刺さる。

 ここ最近はまったく見せることのなくなった笑顔を向けられていたのは、自分ではなく見たこともない男で、制服を着ているところから真莉愛と同じ学校の男子かと想像できた。

 今まで浮いた話など聞いたことがなかったから余計に驚き、あんな風に笑える相手がいることを知らなかった自分にショックを受けた。


 ――なんでショックを受ける必要があるんだ。相手が男であれ女であれ、他人と関わるのは良い兆候じゃないか。

 原因不明の胸の痛みに無理矢理に蓋をして、その日は二人に見つからないよう遠回りをして帰った。

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