op.12

 夏の高気圧の勢力が次第に南下し衰え始めると、待ち構えていたように秋の気配が濃厚になってきた。

 出番を待ち構えていた秋の虫達の音色が聴こえ始め、西日で紅く火照った体が癒されていく。


 あの日体調を崩して倒れて以来、真莉愛の言いつけ通り三食食事を取るように心がけていた。

 俺がつい過去の話をしてしまってから、なにやら真莉愛は積極的に俺に関わろうとしてきた。

 自分だって金がないのにも関わらず、とうとう俺の弁当も作ると言い出しては妙に張りきり、今では現場に可愛らしい弁当を持参している姿を何人にも目撃されている。


 それまで関わり合いのなかった作業員達からは、お化けの類いでも見るように何度も弁当の中身を覗かれ、その度に気まずい思いをさせられた。

 だけど、密かに弁当の蓋を開けることが楽しみになっていたのは、誰にも内緒にしてあった。手作りの弁当とはこんなにもありがたいものなのかと、冷やかしを受けながらもおかずと一緒にその気持ちを楽しむことができ、日々の生活は色を増していく。まるで紅葉に染まる街路樹のように。



「いやーまさかお弁当を作ってもらうまでに二人の仲が発展するとは……流石に予想してませんでしたよ」

 お気に入りの卵焼きを勝手に口のなかに放り込んだ小野口の、愉快そうに話す口振りと態度はこの二ヶ月ほどで慣れてしまった。

「ただのお隣さんだ。お前だって作ってもらう相手くらいいるだろ」

「はぁ?ちょっと一回り以上年下の子に好かれてるからって調子乗んないでくださいよ。そんな相手、いるわけないじゃないっすか……」

 俺が不意に放った一言は、どうやら良い角度で急所を直撃したらしく、わかりやすいほどに肩を落とした。

「なんだ、てっきり彼女の一人や二人いるのかと思ってたが」

「そりゃ、付き合おうと思えば俺くらいの男ならいくらでも相手はいますけどね。まぁそれは置いといて……プレゼントは考えたんですか?」

「……あ」

「…………」

「忘れてた」

「はぁ……そうだと思いましたよ」


 そういうと小野口はポケットから二枚のチケットを取り出し、胸元に突きだしてきた。

 それは荒木が話していたクラシックコンサートのチケットだった。

「お前……これどうしたんだ?荒木はもう無くなったって言ってたぞ」

「それがあのムカつく野郎の思う壺だったんですよ。律さんが欲しがると知るやいなや嫌がらせをしてやろうって、わざとあんな嘘吐いてたんです。まぁ俺がこのよく回る口でかっぱらってきましたけどね」


 気障キザなウィンクをしながら軽くいうが、そもそも小野口になんのメリットがあってそこまでするのか――真莉愛といい小野口といい、世の中にはよくわからない人種が一定数いるようで、その事を正直に話すと「その子も俺も律さんのために動いてるだけっすよ」と、またしても気障な口調で返してきたもんだから、感謝より先にムカついた。


「とにかく!それを使って二人で出掛けてきてくださいよ」

「はぁ?どうして俺もなんだ」

「どうしてって、そりゃペアだからですよ」

 確かにチケットには二人分であることが記されている。

「ペアだからってどうして」

「だぁーうるさいっすよ!良いから二人で行ってくればいいんですって。そうすればその子も喜びますから!」


 何をムキになっているのかわからないが、とりあえずチケットを入手できたのは大きな収穫だった。

 ――これで真莉愛にマシなプレゼントをやれる。

 少しは小野口にたいして優しくなるべきか――そう悩んでいると、「二人で出掛けた感想は後日教えてくださいね」と、にやけた顔を隠そうともせずにいってきたので、やはりこのままでいいかと評価は据え置きにすることにした。


 日が沈み、次第に西の空が暗く染まっていく頃、歩道を歩いているとスーパーから出てくる真莉愛の姿が見えた。

 スクールバックを肩から下げ、こちらに気づくことなく先を歩いている。

 三十路男が何をまじまじと見つめているのかと我ながら気持ち悪くなったが、先を進む背中には重石を背負っているような、そんな色濃い疲れが見えた気がして、いつの間にか小走りで後を追い肩を叩いた。


「おい」

「わあっ!ってなんだ、律人じゃん。どうしたの?」

「いや、なんだか覇気のない背中だったもんでな」

「女子高背の背中に覇気なんてないでしょ。それより律人は仕事終わったの?」

「ああ。そうだ、これやるよ。良かったら誰かと行ってこい」

「え、なにこれ」

「クラシックコンサートのチケットだ。ショパンを演奏するみたいだから真莉愛にちょうどいいだろ」


 友達とでも行ってこいと、二枚とも半ば強引に手渡すと、真莉愛は予想したほど喜びはしなかった。

 もしや気にくわなかったか?と不安になったが、なにかを言いたそうにしている表情にピンときた。

「ああ、金のことなら心配要らないぞ。それは貰ったもので」

「そうじゃなくて!だから、あの……せっかく二枚あるんだから……一緒に行かない?」

「俺とか?同年代の友達と行ってくれば良いじゃないか」

 まさかの申し出に驚き、久方ぶりに声が裏返った。

「残念ながらそんな友達はいません。どうするの?行く?行かない?」


 何故いつの間に会話の主導権を握られているのかわからないが、このままでは機嫌を損ねかねないので答えは一択だった。

「わかったよ。行けばいいんだろ」


 アパートまでの帰り道、どこか浮かない様子だったことが気になり、本人に尋ねた。

 すぐには答えず、躊躇いながら足元の小石を蹴飛ばす。

「実はね、最近お母さんの体調がよくないの」

「お袋さん持病があったのか?」

「うん……もとから頭痛持ちでね。医者には激しい運動や強いストレスは禁物っていわれてるんだけど、ここ最近パートの人が辞めちゃったらしくて助っ人に駆り出されてるの」

「そうなのか……夜の方はどうしてるんだ」

「夜の方が稼ぎは良いから、無理してでも行ってるよ。だけど、いつも顔色が悪くて心配なんだ……」


 チケットをあげて一安心している側で、彼女は母親のことで悩んでいたのかと知り、浮かれていた自分がちっぽけな存在に思えた。

 沈んだ顔は闇夜に溶けていくようで、気を抜くと見えなくなってしまいそうな予感がした。その表情をみて、チクリと胸が痛くなる。


 ――真莉愛は馬鹿みたいに明るく笑っている方が似合っているのに。

 

「なぁ、週末に時間空いてるか」

「あるけど、どうして?」

 どうしてと問われ、実はなにも考えていなかったのだが、口からは理由言い訳がするすると出てきた。

「コンサートに着ていく服が必要だろ」

「え、いいっていいって!気にしないで」

「俺が買ってやりたいんだ。させてくれ」

 言ってしまった手前、翻すことなど出来ない。

「そこまでいうなら……じゃあいつにする?」

「来週の日曜日はどうだ」

「うん……わかった。楽しみにしてるね!」


 母親のことで陰っていた顔が、いくらか明るくなる。その顔を見てると、妙に腹の底が熱くなった。

 認めたくはないが、どうやらこの笑顔が気に入ってるようだった

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