片瀬 3
さっぱりとした私を、しげは夕餉の席へと案内する。
「若はお館様の所でお召し上がりになるでしょう。姫様はこちらで、どうぞ」
その簡素な板敷きの部屋には膳が置かれ、食事がすでに並べられていた。
玄米ごはん、汁物、川魚の焼き物、野菜の煮物、茄子の漬物まである。傍に置かれた土瓶には、香ばしく香るお茶がたっぷりと入っていた。
脇で控えたさとが
「これはまた、豪勢でございますねえ!」
と感嘆の声を上げた。
しげがにこにこと笑いながら言う。
「片瀬は、本に豊かな良き国でございますから」
この国で生まれ育ったと言うしげは、自慢話を始めた。
「片瀬の南は大海に面し、西には険しい山が聳えます。その山から海へと向けては、大川が流れております。それらに囲まれた平地が、この片瀬国でございまして。海の幸、山の幸は勿論、川で潤された地は肥え、米も野菜も果実も豊かに実ります。西の山の麓では、馬も育ちます」
身振り、手振りを交えながら表情豊かに語る。さとと私は適当に相槌を打ちながら、そのお喋りに耳を傾けた。
もともと、しげは時隆の母付きの侍女だったと言う。その女主と時を同じくして、子供を孕った。時隆の母に、我が子の乳母をと言われた時ほど幸せなことはなかったそうだ。
その息子は、時隆の乳母兄弟として共に育った。今では常に傍に居る、供回りの筆頭らしい。
「息子は松浦智充と申します」
誇らしげに言うその名に、ああと一人の若者の顔が浮かんだ。
小柄で敏捷な印象を与える。目の細い、親しみやすい顔をしたサムライ。
そう言えば似ている。
改めてしげの顔を眺めて見る。
その間にも、話は止まらない。
いつまで続くのだろう?
さとと目を見交わした所で、表からざわめきが聞こえてきた。お茶の入った湯飲みを手に、私は耳を澄ます。
「お帰り、じゃない?」
自分の言葉に夢中のしげに、遠慮がちに口を挟んだ。
え?
と小さな目を見開き、しげの口の動きが止まった。小首を傾げ、その耳に意識を集中させている。やがて
「本に」
と、私ににこりと笑いかけた。
「若様のお帰りの様です。良くお気づきでございますね」
上機嫌で立ち上がり、いそいそと出て行った。
「何か、すごいね」
私の言葉に、さとが困ったような笑みを浮かべた。
時隆が顔を出すのではないかと、しばらく待ってみた。けれど、向こうで大勢の気配がするだけだ。私が居る、屋敷のこの奥はしんと静まりかえっている。
「見て参りましょうか」
さとが気を利かせ訊いてくる。
「あ、うん」
少し考えてから、私は言った。
「志乃介と、話がしたいのだけど」
「北谷様でございますか?」
さとは、小さな目をぱちぱちとさせた。
「うん。訊いておきたいことがあるんだよね」
「承知いたしました」
さとが身軽に立ち上がる。
「お部屋にお越し願えないか、伺って参りましょう」
少しお待ちをと言い残し、さとは綺麗な足捌きで出て行った。
あの立ち居振る舞いってやつを、私も身につけないといけないな。
背中を見送りながら、私は息をついた。
正座して足が痺れて上手く立ち上がれなくてひっくり返る。しかもお城で、時隆の父親の前で。
そんな場面を想像してしまい、私はううと首を振った。
夕餉の膳が下げられた頃、さとが志乃介を連れて戻って来た。
片瀬城から戻り、そのまま時隆達と広間で酒を飲んでいたと言う。頃合いを見計らい、さとが声をかけて連れ出したようだ。
「申し訳御座いませぬ、帰参の御挨拶もせずに」
しきりに頭を下げる志乃介に、気にしないでと、私は円座を勧めた。
「では、私はお湯を頂いて参ります」
さとが、気を使って出て行く。
「時隆様たちは?」
訊ねると、まだ飲んでおいでですと言う。
「また潰れちゃうんじゃない?」
おどける私に、志乃介はいえと固い口調で答えた。
「お城では、思う様な手応えが得られなかった御様子。供回りの方々と、今後を話し合って居られます。あれでは、中々酔う事も叶いますまい」
「戦に、お父様は反対なの?」
「御反対で在られるのは、御重臣の面々で御座います。援軍に消極的な意見が、多数を占める様で」
「そう」
無理はない。
この戦は香河山と七生の戦いだ。片瀬は、高見の見物で良いはずなのだ。香河山と七生、どちらか残った方が敵となるのか味方となるのか。それを見極めてからでいい。兵を出すのは、それからでも間に合う。
「久顕様は、機を逃さず七生を叩くべきと、考えて居られる御様子でしたが」
「お父様の意見だけで、兵は出せないでしょう」
「はい」
膝に手をつき項垂れる。
そして意を決したように、志乃介は口を開いた。
「明日の、姫様の、お願い次第かと思われます」
「私?」
思わず身を引いた。
「明日、主だった御家臣方を片瀬城に集め、姫様の御目通りをお願いしようと、その場で援軍の要請を姫様自らして頂こうと、時隆様は考えて居られます」
志乃介が、伺うように下から見てくる。
「私も、其れを望んで居ります」
「戦に反対のおじさま達の前で、兵を出して下さいって、私が頼むの?」
「御意っ」
志乃介が、板間にぶつかる勢いで頭を下げた。
「其れより他に御座いませぬ!」
はーっ。
わたしはため息をつき、言った。
「訊きたいことが、あるのだけど」
「は」
「時隆様から、大体のことは聞いているわ。香河山が由緒正しき国で、それを治める、しかも神の血を引く神守家を途絶えさせる訳にはいかない、と言うことは良く解りました。解った上で、あなたに確かめたいのだけど」
「は、何なりと」
志乃介は背筋を伸ばし、座り直した。
「香河山の兵だけでは、本当に七生に勝てないの?」
「勝てませぬ。集められる兵、武具、兵糧、其の全てに於いて大きな差が有ります」
「そんなに?」
はいと志乃介が重たく頷く。
「七生は、上質の焼物を出す窯と、大川沿いに栄えた船場を幾つも有する商いの国です。武では片瀬に劣りますが、富に物を言わせ、兵を雇い武具を買い揃え、大国と呼ばれる程に成りました。我らのみで、勝てる相手では在りませぬ」
なるほど。
「じゃあ、七生と戦をするためには、どうしても片瀬の援軍が必要なのね」
「はい」
でも、と私は口元を引き締める。
「時隆様だって、ただ私への同情だけで兵を出す訳じゃないわ。香河山を滅ぼせない思惑もあるでしょうし、戦の後のことも考えている」
「はい。時隆様のみであれば、姫様への想いが左様させて居ると、受け止められもしましょうが。其処に国が絡んで来ますれば」
「そうよ、時隆様はただの男じゃない。羽沢家の長男よ」
「ええ。時隆様は、何れ片瀬国を治める方。御自分の国の、行く末を見据えての御決断で御座いましょう。ですが、」
志乃介の声音に、力がこもった。
「例え時隆様が我等を利用し、ただ七生を潰す大義にしたいが為の出兵で在っても、我等には、片瀬の力が必要なのです」
「七生に勝てたとしても、片瀬は香河山に介入してくる。香河山を支配する大国が、片瀬にただ変わるだけかも知れない。それでもいいの?」
あえて意地悪な質問をした。
けれど、志乃介の表情は変わらなかった。
「其れでも、香河山を保てます。逆に片瀬の後ろ盾が有れば、寧ろ国の安寧に繋がります」
其れに、と志乃介は拳を握った。膝に置かれた両手が白くなる。力が込められてゆく。
「私は、兎に角、七生を討ちたいのです。お館様と奥方様を斬り、城を焼き、更に姫様を嫁に寄越せと言う。何れだけの物を、我等より奪うつもりで居るのかっ」
「…そうだよね」
志乃介を見ていられず、私は目を伏せた。
「親の仇だものね、七生は」
姫にとって。志乃介にとって。
「七生に、好きにさせる訳には参りませぬ」
私は頷いた。
「ねえ、香河山には、どれくらいのサムライが残っているの?」
「兵を率いる程の武将は、数名しか居りませぬ」
「富士田とか?」
「はい。他に菅山良憲様が、香河山の総大将として、国元に残って居られます」
すがやまよしのり、ね。
「そのみんなが、あなたと同じ考えなの?つまり、片瀬に利用されてでも援軍を頼んで、七生を討ちたいって、そう思っているの?」
「御意」
「私に、香河山を治めて欲しいって?」
「全くもって」
ふうん。
考え込む私に、志乃介が小声で訊ねた。
「姫様は、まだ、時隆様を慕って居られるのでしょう?」
え、と私は目を見開いた。
わしに惚れたか。
川辺での時隆の声がよみがえる。
「え、いや、まあ…」
どうしよう、ここは否定しない方がいいのだろうか。
もじもじと照れるふりをして、とりあえず答えをはぐらかそうと試みる。
「私如きが、申す事では有りませぬが」
はぐらかされずに、志乃介はためらいながらも続けた。
「御館様亡き今、香河山を統べる方は姫様しか居られませぬ。逆に申せば、お好きに出来る御立場で御座います」
身を乗り出し、一言、一言を大切に口にする。
「御家の事情から遂げられなかった想いも、今ならば叶います。時隆様も同じ御気持ちの筈。御二人で、香河山国を御治めに為る事も出来ましょう」
志乃介が私の、いや奈津姫の幸せを、心から願っていることが伝わってくる。
でもね、と私は言った。
「時隆様は、この国を継ぐ長男でしょう?そんな簡単には行かないわよ」
「左様で御座いましょうか。二国が並び立ち、其々を治める御二人が夫婦で在る。其れだけの事で御座います。不都合は無かろうかと思いますが」
うーん。
何と答えていいか判らず、私は黙り込んだ。
とにかく、志乃介の考えは解った。香河山の行く末を思う、国のサムライ達の存在も。
そして、奈津姫がやらなければならないことも。
はあ。
私は深くため息をついた。
テレビで観たような、広間を埋め尽くすサムライたちを思い浮かべてみる。
そんなおじさま達を前にして、何を、どう言えばいいのだろう?奈津姫じゃない私が。
果たして上手く行くのだろうか?
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