千草 10
遅い夕飯と共に、時隆の供回りの一人が姿を見せた。
お越し山で一度会っている。
端正な顔に均整の取れた体を持つその男を
「山田正親だ。少々口が過ぎるが、信頼の出来る男だ」
と、時隆が紹介した。
「口が過ぎるとは!」
あいた!と、正親は大げさに額を叩き、天井を仰ぐ。
「口下手な時隆様の代わりに某が、と思うての事で御座いますのに!」
「代わりにしては、俺の思う所と違う言葉が出て来るよの。無駄にぽんぽんと」
「無駄と仰せか!」
顔をしかめる正親に、亀忠が珍しく笑い声を上げる。
「確かに、正親の口は無駄だ」
「おいおい、亀殿まで言うか」
「姫、正親の言葉は半分だけ聞けば良いぞ」
時隆のダメ押しに、正親は床に倒れ込んだ。
聞けば、亀忠を初めとする供回り達は、時隆と子供の頃からの付き合いだと言う。
「古来より、片瀬には武将の子らが学ぶ寺がある。わしがその学び舎へ入る時分、父が主だった武将の子らを集め、共に学ばせる事とした。其れが亀や正親、供回りの面々なのだ」
「食も寝起きも共にし、まるで兄、弟の様に過ごして参りました」
正親がにこにこと笑いながら言う。
食事と共に運ばれた酒に、すっかり頬を赤く染めている。その向かいで志乃介は、皆の会話に耳を傾けながら、静かに箸をすすめている。
「この正親を、そなたに付ける」
「私に?」
「ああ。判らぬ事が有れば、何でも聞くが良い」
わしが信ずる者をそなたの傍に置く。
先ほどの時隆の言葉を思い返し
「よろしくお願いします」
と、正親に頭を下げた。
箸を下ろした正親が、慌てて両手をつく。
「此方こそ、お願い申し上げます」
頭を下げる。
「亀や供回り達は、わしと同じ様に信頼して良い。そなたの事も、ある程度話して居る」
「ある程度って」
どの程度?
首を傾げ、時隆を見つめる。
正親と違い、時隆に酔いは見られない。さっきから、頻繁に杯を重ねているのに。
「先程、そなたに話した程度、だ。志乃介殿にも、此処への道中で話をした。これまでの事は殆ど覚えて居らぬ、赤子に接する様にしてくれ、とな」
顔つきは真面目だが、その眼が笑っていた。
「赤ちゃんじゃありませんけど」
わざとむっとした顔を作り、時隆へ手を伸ばす。何だ?と目を見開くのに
「お酒。私にもください」
と更に手を突き出した。
「飲めるのか?」
「飲めます」
面白いと時隆は笑い、手にしていた杯をくいっと飲み干した。空にしたそれを、私へ寄越す。無骨な徳利を取り上げ、中のお酒を注いでくれる。
「頂きます」
杯を両手で持ち、一口含んだ。
白くとろっとしたお酒は、日本酒の味がした。
こくりと飲み込む。米の滓が口に残る。すこしざらりとしている。けれど仄かな甘みのある、美味しいお酒だった。
「どうだ?」
「うん、美味しい」
にこりとして見せると、時隆がそうかと大きな声で言った。
「姫は酒が飲めるか」
嬉しそうに、また徳利を差し出す。とろっと注ぐ。
それを眺めていた亀忠が、やれやれと首を振るのが見えた。そして、全く口にしていなかった酒を口元へ運び、ちびりと飲んだ。
その様子に、正親が朗らかな笑い声を上げた。
「今宵は亀殿も酒を飲まれるかあ」
徳利を持ち亀忠の隣に移ると、はいはいと、嬉しそうにお酌を始める。
「煩いな、一人でやるわ」
ぶつぶつ言いながらも、亀忠も楽しそうだ。
静かに私を見ていた志乃介が
「父から聞いていた姫様とは、御様子が違いますなあ…」
ぽつりと呟いた。
「左様だ、此れ迄の姫とは違う」
それに時隆が答えた。
「志乃介、姫は生まれ変わったものと思え。昨日に囚われるな。この姫を新たな主として、心して仕えよ」
そして、私の手から杯を取り上げて続けた。
「そなたは香河山の姫だ」
喉を晒し、杯に残っていた酒を一息に飲み干す。
「そなたが生きる国は香河山より他に無い。成れば、その己の国を安らかにしたいと思わぬか」
「それは思うけど」
だからって、刀を手にして七生とやり合える訳じゃない。まして、他の誰かに殺し合いを命じるなんて、出来る訳ないじゃないか。
この場では口に出来ない思いを、視線に込めて時隆を見返す。
けれど、そんな私を気に留めず、時隆は話し続けた。
「わしは決めた」
杯に新たな酒を注ぎ、差し出してくる。
「香河山を、此のまま滅ぼす訳には行かぬ。神国としての香河山は、神守家は、この東国の民の心の支えでも在る。必要なのだ。其れに」
時隆の眼が、不意にぎらりと光った。
「これは七生を叩く、願ってもない機会だ」
差し出されたままの杯を、ほらと促され受け取った。そしてそのまま、時隆から目が離せなくなった。
その眼がぎらりぎらりと、強く激しいものを放ち続けていたから。
時隆は、私をまるで睨むように見て言った。
「この先、香河山と七生は弔い合戦となる。そなたの存在が、大きな意味を持つ」
「私?」
と言うより、奈津姫が、だよね?
口に出せないその問いに、時隆はそうだと頷くことで答えた。
「奈津姫が香河山の旗印と成る。香河山国主、神守唯悦公の忘れ形見が、打倒七生国を唱えれば民は自ら戦に赴く。それを片瀬国が導く」
「そうして片瀬が、七生を制服するの?」
皮肉を込めて訊ねた。
「如何にも」
時隆が、不満か?と視線で訊ねる。いいえ。肩をすくめて首を振って見せた。
この男はサムライなのだ、と改めて知る。
どれほど私に、いや奈津姫の生まれ変わりに優しくても、しょせん血に飢えた侍なのだ。
「戦はわしがする。そなたは、此処でそうして、無事で居てくれれば良い」
向こうで、志乃介が大きく頷いた。
「敵を殺すも、味方が死ぬも、そなたに咎は無い。有るとすれば、其れはわしだ。謗られるも恨まれるも、全てわしが引き受ける」
志乃介がまた、大きく頷く。二度、三度と。自分も居ると訴えるように。
「わしがそなたを守る。そなたの国を守って見せる。だから」
時隆の肩から、つっと力が抜けた。項垂れるようにして、声を落とす。
「笑ってくれ、もう泣かないでくれ」
そう呟くと、そのままくたっと突っ伏してしまった。
「と、時隆⁉︎」
「時隆様っ⁉︎」
慌ててにじり寄った私と志乃介に、正親が呑気な声を上げた。
「御心配は要りませぬ」
振り向くと、赤い顔でにこにこと笑っている。
「いつもの事で御座いますれば」
「い、いつも、こうなの?」
訊き返すと正親は頷き、その横で亀忠がぼそっと言う。
「若は酒を召されても、お顔には出ませぬ。ですが、直ぐに酔われる」
「酔うと先程の様に熱く語られ、そして」
正親がふふっと笑った。
「こうして、突然に眠ってしまわれる」
「寝てるの、これ?」
突っ伏したままの時隆を見る。
よくもまあ、こんな姿勢で眠れるもんだ。
腕を投げ出し、土下座のような姿勢で固まっている時隆を、私も這いつくばるようにして覗き込んでみる。
「ほんとだ、寝てる」
「でしょう」
よっこらしょと亀忠が立ち上がり、こちらへ歩いて来た。
「これだから、私は酒が飲めぬのです。若の後始末をせねば成りませぬから」
言いながら時隆の両脇に、背後から腕を入れる。そのまま抱き起こし、正親に隣への戸を開けさせた。そこにはちゃんと、布団が一組敷かれていた。
亀忠は慣れた様子で、時隆の両脇に腕を入れたまま、ずりずりと後ろ向きで引きずって行く。無事に布団へたどり着くと、主を丁寧にくるみ、何事もなかったように戻って来た。
戸を丁寧に閉めて、淡々としている。
口をぽかんと開けたままの私と志乃介の傍へ、正親がやって来た。手には、徳利を握っている。
「では、これ以降は無礼講という事で」
私たちに杯を持たせると、はいはいどうぞと酒を注いだ。
「私にもくれ」
そこへ亀忠も加わった。
あはい、と空いていた杯を渡したら、意外にも素直に受け取った。
「其れでは」
正親の音頭で、それぞれくいっとお酒をあおる。
一国の姫が、若いサムライ達と夜更けに酒を酌み交わす…?いいのか、これ?
頭の片隅でちらりと思ったけれど、考えることがもう面倒だった。
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