千草 6
さとが落ち着くのを待ってから、私たちは改めて向き合った。
上座に時隆。その右手に私。少し下がった後ろにさと。時隆の左手に亀忠、対する下座に富士田威之。
香河山から駆けて来た二人に白湯が運ばれてくる間に、時隆はさりげなく奈津姫の文をしまった。私の視線に気づき、僅かに頷いて見せる。
奈津姫の話は、二人だけの秘密だ。
そう言われた様な気がして、私はこほんとひとつ、空咳をした。
「香河山の情勢は如何だ?」
時隆が口を開く。
はい、と富士田が背筋を伸ばした。
「七生の軍勢は国境まで押し戻しました。其処で睨み合いが続いて居ります。香河山は殊光寺を本陣とし、戦の支度を進めております。が、武器も食糧も調達がままならず、兵も集まりませぬ。何しろ、主だった武将が悉く斬られ、残った者は、若く経験の浅い者ばかりで御座います故」
「左様で有ろうの」
時隆が顎を撫でて考え込む。
「七生は、本に戦に持ち込む積もりでしょうか」
亀忠が時隆に訊ねた。
「恐らく」
短い答えに、富士田が身を乗り出す。
「七生は我が国よりも、片瀬に戦を挑む積もりで居りましょう。此度の姫様の所業に、時隆様が噛んで居られる事は一目瞭然」
富士田にじろりと目線を送られ、私は目を丸くした。
「良い加減な事を申されるな!」
亀忠が声を荒げた。
「若が奈津姫様の婚儀を壊した、とでも?」
「如何にも。違うと仰せなら、御説明願いたい」
大きな体をずいっと前へ滑らせ、富士田は時隆に迫った。
「何故これ程迄迅速に、姫を香河山から連れ出されました?何某かのお約束が交わされて居たのでは御座いませぬか?時隆様、如何?」
富士田殿!と気色ばむ亀忠を抑えるように
「成程」
と、時隆は呑気な声を上げた。
「仮に左様で有れば、七生と香河山の縁組を拒み、姫を手にし、戦まで仕掛けられる。わしにとり願ってもない筋書きだ」
「若!」
亀忠が諌めるように声を上げる。それに構わず、時隆は
「なれば如何する?」
と、富士田へ笑って見せた。
「わしから姫を奪って逃げるか?姫を七生へ渡し、婚礼の続きでも行うか?」
「…いや、其れは」
「今と成れば、七生は香河山の国主を討ち、城に火をかけた仇だ。しかも姫を渡せと戦を起こす構えだ。このまま行けば、香河山は七生の属国と成るのだぞ」
ううむ、と富士田が唸った。
「事の起こりが如何であれ、片瀬と共に七生を倒すより香河山に道は無い。一国の武将で在るなら、過去を詮索するよりも、国の行く末に知恵を働かせるべきとわしは思う。その為に片瀬も共に在る。奈津姫を此処に匿ったは、その思いの表れだ。解って貰いたい」
静かに告げると、時隆は富士田へ改めて訊ねた。
「先ずは、今宵何が起きたのか聞かせてくれぬか。わしにも判らぬ事が多過ぎる」
は、と富士田は答え、白湯を一口啜った。押し殺した不満を飲み込むようにして、再び口を開く。
「某は、国境より城へ至る道中の警護を命じられて居りました。国境に大丸清重一行が到着する頃、城より急ぎの報せが入りました。婚儀は日延べする故、清重殿には一旦御引き取りを願え、と。奈津姫の体調が優れぬと御説明せよと」
うむと時隆は頷き、先を促した。
「その旨七生側に伝えましたが、無論、納得する由が御座いませぬ。なればせめて見舞いをさせよと申され、こちらの制止を振り切り、一気に城へと向かわれました。門前にて漸く追いつきましたが、兎に角姫に会わせよの一点張りで御座いました」
富士田は言葉を切り、また白湯を啜った。
「その騒ぎに、御館様自ら出て来られました。そして、姫は居らぬ暫く戻らぬ故、婚儀は日延べさせて頂くと申されました。城へ戻られるその背を、清重が刀を抜き、斬りつけました」
「背後からか」
時隆が鋭く訊ねる。頷く富士田に
「何と卑劣な」
亀忠が呻くように呟いた。
「その場で斬り合いが始まり、某は御館様を抱え、城の奥へと入りました。御方様にお預けし、戻った時には既に城内深く侵入されて居りました。清重は姫を探し回り、邪魔だてする者は共周りの奴らめが悉く斬り捨て…それが例え女子供で在っても、容赦は御座いませんでした」
私の後ろで、さとが声を殺し泣き始めた。
怖い思いをしたのだろうな。
私は小さく息をついた。
「見兼ねて、御館様が出て来られて仰ったのです。姫は自害したと、故に婚儀は叶わぬ、出て行けと。ならば亡骸を見せろと、清重は更に奥へと向かいました。しかし何処にも、姫の御姿は無かった。偽りを申すなと怒った清重は、御館様を更に斬り、縋る御方様も又斬り、城に火を放ち…成すすべも御座いませんでした」
こちらへ向けられた富士田の眼差しを、私は受け止めた。
「残った我らはいったん殊光寺へ引き、体勢を立て直した上、清重らと対し国境まで押しやったので御座います」
「清重一行は、多勢で有ったのか?」
時隆が訊ねた。
富士田はそちらへゆっくりと視線を戻し
「はい、数百は居たかと思われます」
と、慎重な口調で答えた。
「婿入りに、何故其れ程の兵が必要で有ったか、のう」
時隆が顎を撫でた。
「さあて」
富士田は太い腕を組んだ。
「清重殿への、父君の溺愛ぶりは知られるところ。我が子可愛さ故の、過剰な警護で有ったのでは?」
「香河山城は、手薄で在ったのか?」
「はい、大半は某の如く、国境や道中の警護に当たって居りました故」
「其れにしては、易々と城まで来させ過ぎて居るな」
独り言の様に呟き、まあ良いと頷いた。
「過ぎた事だ」
「某にも教えて頂けませぬか?」
富士田が時隆を、それから私を見て言った。
「姫様は自害されたと、確かに御館様は申されました。ですが目の前に、こうして御無事でいらっしゃる。しかも、時隆様と御一緒に。何時の間に城を抜けられました?如何様にして、時隆様と落ち会われました?」
「わ、わたくしも、」
さとがか細い声を上げた。
振り向くと、ひゅっと肩をすぼめて俯く。
言っていいのよと囁くと、はいと小刻みに数度頷いた。そして手をつき、頭をそこへこするようにしてから、口を開いた。
「知りとう御座います。わたくしは、姫さまに言われた通り、御越し山の御神木に、其の」
と、さとが私の肩に掛けられた着物を、目で示す。
「着物を捧げに参りました。訝しがるわたくしに、姫様は仰いました。今宵は月が出て居るから、髪をひと筋縫い込んだから、此れで生まれ変わる事が出来ると」
「髪…?」
私は着物を手に取り、裏に返して見た。そして気づく。
襟元に、長く黒い髪が一本、確かに縫い込まれていた。
覗き込む時隆に、着物を渡す。
手に取り、俯いた時隆の眼が僅かに揺れた。
「月夜に、髪を縫い込んだ着物。其れが神への報せ、か」
私にしか聞こえない声で呟く。
そして、次に顔を上げた時にはもう、強い意志を持つ眼差しに戻っていた。
「自害は偽りだ」
きっぱりと言い切る。
「現に、こうして姫は無事で居る。唯悦殿が何を思い自害と申されたか、今となっては誰にも判らぬ」
「大方、七生の木偶の坊殿に大切な姫君を差し上げるのが、惜しくなったのでは御座いませぬか」
亀忠が惚けた口調で言った。
「でくのぼう?」
首を傾げる私に、さとが
「七生の清重様、そう呼ばれておいでです。何でも、食する以外の他は、何一つ上手にお出来にならないとか」
小声で教えてくれる。
太った愚鈍そうな男の姿が目に浮かび、私はふるふると首を振った。
「わしは確かに、御越し山へ奈津姫を迎えに行った。其れは否定せぬ」
だが、と時隆の声に一段と力がこもる。
「姫の婚儀を打ち壊しに行った訳では無い。何らかの事で婚儀が取り止めとなり、清重共が狼藉を働いた。其れ故に救いを求めて来たのだと、わしは思っている。お主が」
と、時隆は富士田へ顎を振る。
「勘繰る様な事は無い」
言葉を切り、私に同意を求める視線を送って寄越す。
「え、ええそう。そうです」
私は、こくこくと頷いた。
富士田が片目を細めて、こちらを見る。それに意味なく笑いかけてみる。
が、時隆の言葉を信じたようには見えなかった。
「のう、富士田」
時隆が身を乗り出し、改めて富士田を見やる。
「七生は、神の国香河山に刃を向けた。抜かれた刀は、誰かが受け止めねばならぬ。この大義なき振る舞いを、見過ごす事も出来ぬ。左様で有ろう?」
「はい」
富士田が、ぎこちなく頭を下げた。
「しかも七生は、此方を討つと言っております。真、大義なき振る舞い。我らは、其れを反すのみで御座いますれば」
「唯悦殿の弔い合戦でも在る。逃げる訳には、行かぬな?」
「全く持って」
「片瀬も又、取る道はひとつだ」
渋い顔の亀忠に、時隆が視線を向けた。
「で有ろう、亀?」
「しかしながら若、先ずは御父上に諮ることが肝要かと、」
「東国が動くぞ、亀」
亀忠の言葉を、時隆が遮る。
「新しい時代が、来るのだ」
鳶色の眼が、きらりと光った。
「今こそ、片瀬と香河山が共に手を取り、七生を倒す時。心せよ」
時隆の凛とした声が、部屋を満たした。
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