千草 4

「今宵は奈津の婚儀であった。縁組の相手は、七生の国を治める大丸家二男、清重だ」

「ななおのくに?」

「ああ。我ら片瀬と、香河山を挟み対峙する大国だ。間に香河山の国がなければ、当の昔に戦となっている。戦になれば、何方かが消え、何方かがこの東国を支配する。両国が並び立つ事はない。其の様な間柄だ」

苦く時隆が言う。

「香河山は、どちら味方なんですか?」

「何方でもない」

薄く笑った。

「香河山は、古来より続く歴史ある国だ。御越し山に降り立った女神が、麓に住む男と契り、間に生まれた姫が神守家の祖だ。この東国で知らぬ者は居らぬ」

私は口を小さく開けた。

神話が、この時代ではまだ息づいている。

そんな私の小さな感動に気づかず、時隆は話を続けた。

「片瀬や七生の、成り上がりの国が手を出せる相手ではない。何方かが香河山に手を出せば、もう何方かがそれを叩く。神の国を攻めるなど大義に劣る。香河山も、何方かに与するといった考えは持たぬ」

これも全く知らない話か、と時隆が眼で訊ねてくる。ええと頷き、先を促した。

「逆に香河山と結べば、片瀬、七生、両国にとり大いな力となる。相手国へ攻め込む足掛かりが得られる」

そうだろう、と思う。

小国とは言え、一国を挟んで大国が睨み合っているのだ。その危ういバランスは想像がつく。香河山と同盟を結び、相手側へ攻め込んだなら、それだけで勝機が見えてくるのだろう。

「そこで両国が欲したのが、奈津だ」

時隆が皮肉な笑みを浮かべた。

ああと私は気づく。

「手っ取り早い同盟が、結婚だったんですね」

「結婚?」

「あ、えーっと」

言葉を探し、縁組?と言い換える。

「縁組、如何にも」

伝わってくれた。

「だが、神守家には奈津しか居らぬ。家を継ぐ姫が、嫁に出る事は出来ぬ。当然、婿取りを考える」

「それで、七生の二男?」

「左様だ」

鳶色の眼が、私の顔を見つめたままで揺れた。

「わしは奈津を妻にしたかった。だが、羽沢家の嫡男が婿入りなど出来ぬ。奈津も国を捨てられぬ」

ひとつ息をつき、時隆は眼を閉じた。

「其処へ、七生から縁組が持ち込まれた。奈津の父君は、其れを受けた」

「奈津姫は…」

「苦しかったであろう」

時隆は呟いた。そして躊躇いながら、言葉を続けた。

「奈津は、わしを慕ってくれて居た。わしが愛しく思うている事も、良く解って居た。其れだけでは無い。この縁組が成れば、七生は必ずや片瀬へ攻め入る。香河山は七生に付かねばならぬ」

愛し合った者同士が、敵と味方に分かれる。それも、お互いに国を継ぐ立場で。

「この文で、奈津は、自ら命を断つ、と言うてきた」

え、と私は目を見開いた。

「しかしながら、香河山の神の力を借り、必ず生まれ変わり戻って来る、そう此処に記されておる」

時隆の両手を、奈津姫の手紙がさららと滑る。

生まれ変わりって、私のこと?神の力って、そんなことがあるんだろうか?

見開いたままの目で訊ねると、時隆は

「わしにも判らぬ。ただ、」

と、疲れたように俯いた。

「そなたは奈津に生き写しだ。声も、姿形も、奈津そのものだ」

「でも、」

「この世の全てを忘れ、赤子の様な心で戻って来ると、此処に記されておるのだ」

「でも、あたし、奈津姫ではないんです」

私は、小さく、けれどきっぱりと告げた。

その声に、時隆はあ、と夢から醒めたような顔をした。眼を見開き、私を凝視する。そしてふーっと息を吐き、肩を落とした。

済まぬ、と呟く。

「奈々子、であったか?」

「はい」

「そうか、奈々子か」

ふーっ。

またひとつ、大きく息を吐く。

「わしは奈津の文を読み、直ぐに香河山へ向かった」

手紙を畳みながら言った。

「奈津を死なす訳にはいかぬ。救えない迄も、奈津が戻って来るのであれば、迎えて守らねばならぬ。だがわしが着いた頃は既に、香河山の城は燃えていた。何事が起きたかと城へ入ったが、生きて居る者は誰もおらぬ。奈津の父君も、母君も、婚儀の為に登城して居ったであろう武将らも、皆息絶えておった」

「奈津姫も…?」

「城が燃え落ちる迄の間、わしは奈津を探した。だが、亡骸は見つからなかった」

「お城に火を付けたのは…?」

うむと時隆が頷く。

「恐らく、七生だ。奈津を探し回った挙句の腹いせであろう」

奈津姫の文が、私との間にかさりと置かれた。

「奈津は、こうと決めたら止めぬ姫だ。わしに告げた通りに自死したであろう。奈津に死なれた父君は、どうにか為されようとしたであろうが」

「どうにも出来ない、ですよ、ね」

「ああ。如何にしても婚儀は出来ぬ、だが七生は承服せぬ。然もこの婚儀に、七生はかなりの兵を連れ香河山に入った形跡が有る。他に何事か企みが有ったのやも知れぬ」

「企み?」

「うむ。その企みが香河山に知れたかと七生が勘繰ったか。今となっては判らぬが」

時隆は深く腕を組んだ。

「七生の婿殿は兵を連れ、留め置きされて居た国境から一気に城へ押し入っておる。間で遮られる事なく」

「香河山の抵抗がなかった、ということ?」

「ああ。そして躊躇いもなく場内で刀を抜き、火を放った」

瞼に、一瞬で立ち上がった火柱が浮かんだ。頬を焼いた熱風がよみがえった。

「奈津の自害は、香河山にも予想外の事態だ、混乱したであろう事は解る。その隙を突かれた事は否めぬ」

「はい」

「其れも目出度い婚儀の夜だ。城に居た者は丸腰に近い。常より警護の兵も少ない。だが、余りにも容易くやられ過ぎだ」

時隆の国より長い歴史を持つ国。神の血を引く一族が治める国。

それが、たった一晩で滅んだ、この夜。

ちりりと、部屋を照らす炎がまた揺れた。

「其れでも、奈津だけは生まれ変わり何処ぞに居るかも知れぬ。わしは御越し山へ上った。其処でそなたを見つけた。教えてくれ、何故そなたは御山に居た?奈津でなければ、そなたは何者なのだ?」

「あたしは、」

私は目を伏せ、奥歯を噛み締めた。

「そなたは?」

時隆が、勇気づけるように更に訊ねる。

信じてもらえるだろうか。

解ってくれるだろうか。

顔を上げ、切れ長のその眼を見返す。

「あたしは、この時代の人間ではありません。ここから500年くらい先の未来に、居ました」

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