千草 2
時隆と同じくらいの身長。だけれど、肩も腰もがっしりと張っている。それだけでなく、顎まで四角に張っている。細い目と鼻筋、薄く冷たそうな唇。茶色がかった髪を、無造作に結っている。
「お帰りなさいませ」
時隆に慇懃に頭を下げてから、私を横目でじろりと見る。それに、時隆が頷いた。
「香河山の国、神守家の奈津姫だ」
さらに私を見て、目の前のサムライを目線で指す。
「千草城城主、市ヶ谷亀忠だ」
亀忠は無言で私に頭を下げた。
「こんばんは」
私は、わざと無防備に頭を下げた。
警戒心丸出しの亀忠に、実は奈津姫ではないんです、と説明するのは億劫だ。どうにでもなれとばかりに、にっこり笑いかけてみる。
奈津姫とは、香河山国のお姫様。燃えていたあの建物は、かの国のお城。そしてどうやら、私はお姫様の身代わりとなっているらしい。
タイムスリップしたついでに、入れ替わってしまったのか。それとも、単にそっくりだから間違われてしまったのか。
判らないけれど、長時間、馬に揺られた体は強張っているし、いい加減疲れて眠いしで、どうでも良くなってしまっている。
とりあえず休みたい。横になりたい。
できれば、その前にシャワーを浴びたい。
無理だろうけど。
車寄、と呼ぶらしい玄関から建物へ入ると、そこで待っていた年配の男が、私と時隆に桶を差し出した。
着物の後ろの裾を、帯の背中まで上げて留めている。白いレギンスみたいなものを履いて、藁の草履で、やはり髪は無造作にひとつに結ばれている。
桶の中には、たっぷりと水が入っている。
何?ときょろきょろしていると、時隆が上り口に腰を下ろし、草履を脱いだ。桶に素足を入れて洗い出す。
なるほど、確かに泥だらけだもの。
納得して、私も真似をする。
冷たい水に浸すと、疲れ切った足からたくさんの何かが流れ出ていくようだった。
はーっ。
思わず息を吐き出し、肩の力が抜ける。
指の間まで、丁寧に洗った。
渡された手ぬぐいで水気を拭えば、シャワーはなくても、さっぱりとした。
「ありがとうございます」
言いながら、男が差し出した手に手ぬぐいを返すと、その目が見開かれた。
「いいや、お礼なぞ…!」
勿体ないともごもご言い、困ったように背を向けてしまった。
え。
戸惑い固まる私に、時隆が立ち上がりながら声を掛けてくる。
「参るぞ」
「あ、はい」
背中を向けたままの男に頭を下げて、私も後に続いた。
板張りの廊下を歩き、柱の角を曲がり、また歩きして、私は奥へ通された。
ここまで一緒だったサムライたちは、途中でどこかに入ってしまった。部下は別の部屋を充てがわれるようだ。
先導する亀忠が、ようやくひとつの戸を開ける。その場に跪き促され、私は時隆の後に続いて部屋へ入った。
簡素な板張りの部屋だ。
床の間に段違いの棚が組まれ、一輪、紫陽花が活けてある。色彩と言えば、その淡い紫色くらいだ。
障子はすべて開け放たれて、篝火の匂いが漂っている。
部屋に灯されたいくつかの炎と、外からの灯りとで、室内は穏やかな明るさで満たされていた。
床の間を背に、時隆が胡座をかいて座る。促され、その脇に私が、向かいに亀忠が座った。
「香河山の様子は如何で御座いますか?」
亀忠が切り出す。
うむと頷き、時隆はちらりと私を見た。
「神守唯悦殿、奥方、共に亡くなられた模様だ。主だった重臣も皆斬られ、城は燃え落ちた。難を逃れた若い武将が幾人か、兵を率いて七生と対峙しておる」
「では、この姫君が、」
亀忠が、細くつり上がった目を私にむけ、また戻した。
「ああ。唯一、香河山の国を統べる身、という事だ」
「その御身を、若がお引き受けになられると?」
「無論だ」
「七生と戦になりまするぞ」
「初めからそう申しておる。早馬で伝えた筈だが?」
「兵を集めろとの仰せは伺っております。ですが、父君への御相談もなく、お決めになる事ではございませぬぞ」
亀忠の押し殺した声に、怒りが滲む。
そしてどうやらその怒りは、私に向けたものだったらしい。
「奈津姫様、何故、今更、若へ文など寄越されましたか?」
睨みつけるように、視線をぶつけてくる。
「え」
助けを求めるように、時隆を見た。
「奈津は何も覚えておらぬ」
苦い笑いを浮かべ、時隆が代わりに答えてくれた。
「わしの事さえ判らぬのだ。何を申しても無駄だ」
「覚えておられぬ?若の事を?」
亀忠の細い目が見開かれる。
「それでは、余りに」
「良いのだ」
亀忠の言葉を、時隆が遮った。
「わしが決めた事だ」
言い、私を見る。その眼差しは、私を通り抜けるように遠くなる。
「奈津の想いがどうであれ、わしが守ると決めたのだ。ならば、闘うだけだ」
やれやれ。
亀忠が首を振る。
「父上には後ほど文を書く。早馬を出してくれ」
「は」
「信賢が戻れば報せよ。香河山の本陣へ使いに出しておる。それから」
「は」
「少し外せ。奈津と二人で話がしたい」
ふっ、と亀忠が頬を皮肉に歪ませた。
「畏まりました」
低く言い、静かに部屋を出て行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます