香河山 3

「若っ」

人垣の向こうから声がした。

その声に男たちが振り返り、すっと左右に分かれる。時隆が、声の方へ顔を向ける。

丘の下から、まだ幼さの残る男が駆け上がって来た。息を切らし、男たちの間を通り抜け、時隆の前で足を止めた。膝をつき

「申し上げます」

言いながら軽く頭を下げ、言葉を続ける。

「香河山方は体勢を立て直し、七生方を国境まで押し戻して居ります。双方、片平の先にて対峙。今宵の戦は、一先ず終結したものと見受けられます」

「左様か。ご苦労であった」

頷き、時隆が私の肩にふわりと着物を掛けた。それに気づき、跪いたままな若者が目を見開く。

「香河山の姫君…」

「如何にも」

時隆が片頬だけで笑った。その凄みのある笑いに、違いますと言う気が失せた。

「七生は、姫の引き渡しを求めてくるであろうな」

「おそらく」

松明を掲げた一人が、細い目を私に向けた。

「七生があれ程探し回っておったのも、姫君は生きて居られると確信しての事でしょう。何処かで、我らの動きを悟られたやも知れませぬ」

「うむ」

時隆は顎をさすり、私を見た。

「香河山には報せておくか」

「それが宜しいかと存じます」

重々しく答えた細目の隣から、ひょろりとした男が口を挟む。

「以後は香河山と足並みを揃えねばなりませぬ。姫君はその為の大切な札。我らがお守りしているとなれば、香河山も勝手は出来なくなりましょう」

「であるな」

時隆は私を見下ろしたままだ。そうして、少しの間のあとで細目の男に告げた。

「智充、香河山へ使いを出せ。姫は無事我らが見つけた、御身は片瀬にてお預かりする、一旦千草城へお連れする、とな」

「は」

ともみつ、と呼ばれた細目男が、端に立って居た体格の良い男へ声を掛ける。

「信堅、直ぐに片平へ参れ」

「はいっ」

身を翻そうとするのぶかたという若者を、時隆が呼び止める。

「信堅、しかと伝えよ。奈津姫は七生に決して渡さぬ、この時隆の命に代えてでもお守りすると」

「承知致しました!」

松明をひとつ受け取ると、信堅は駆け出して行った。

広い背中が闇に呑まれて行く。それを時隆が見送る。男たちも見送っている。

ゆらゆらと揺れるオレンジの炎が、辺りを幻想的に照らす。皆の目尻の際に、鼻に口に、その動きに不思議な陰影が生まれては消える。美しく、妖しく。

私は、それをただ眺めていた。

まるで映画の中じゃないか。

そうか、これは夢なのかも知れない。

実は、私はまだ病院のベッドで眠っているのだ。意識が戻っていないのだ。生きることが余りに辛いからこんな非現実的な夢を見て、心のバランスを保っているのだ。

それとも。

私は本当はもう死んでいて、彷徨う魂が幻を見ているのかも。

そうだ、きっと。

などと自分に言い聞かせている私を、その男の声が引き戻した。

「若、急ぎましょう」

智充がこちらへ向き直る。跪いていた若者が、立ち上がる。

「七生の残党が未だ居るやも知れませぬ。一刻も早く千草へ戻るが肝要と存じます」

「うむ。姫、行くぞ」

時隆の手が、背中に回される。その手に体が押される。仕方なく歩き出しながら、私は時隆の横顔を見上げた。

「あの、私、この状況がまったく解らないんですけど…」

「後で話す。今は此処を落ちるのが先だ」

鋭く答えた時隆の頬に、精悍な影が浮かぶ。

歩き出した私と時隆を、男たちが囲んだ。刀を手にしている。もう一方の手で松明を掲げ、足元を照らしてくれる者もいる。

時隆を、時隆が姫と呼ぶ私を、守るようにして男たちも歩き出す。

いいの?

一緒に歩き出した自分に、訊いてしまう。

大丈夫なの?

返事は、もちろんない。この先に何があるのか、全く判らない。怖い。

けれど、私は知りたかった。私に何が起きているのかを。

この男たちは知っている。少なくとも、時隆は解っている。

私に何が起こったのか。その理由は何なのか。

ならば付いて行くしかない。

私は腹を括った。

単に、コスプレ集団に出会っただけかも知れないし。


時隆に連れられて下ったのは、火事とは逆の側だった。搦め手と言う城の裏口に出る、筋道だと教えてくれる。

「お城はどこにあるんですか?」

尋ねたら、時隆は大きな眼をさらに大きくし、軽く仰け反った。

「燃えていたが、見ておらぬのか」

「あれお城だったの?」

私も仰け反ってしまった。

それにしては小さかった。天守閣も石垣もなかった。

と、思ったところで気づいた。

そういった大規模なお城は、比較的新しい時代に建てられた筈。戦国時代の初めは、まだ天守閣は作られていなかった。

と、学校で習った気がする。

改めて、時隆や周りの男たちを見回す。

髷ではなく、ただ髪を引っ詰めにして結われた髪。

そして、片瀬の国。

郷土史の授業でも、習わなかった国名だ。歴史に名を残せなかった小国。あるいは、年表には載らないほどの短期間で、興亡した国と考えられないか。

「あの、ここは」

隣を寄り添うようにして歩く時隆に、思い切って訊いてみる。

「じゃなくて、今は、何年ですか?」

今それを訊くか?

そう言いたげな顔をしてから、時隆は小さく首を傾げた。少し考えてから

「幾年か前に、年号が応仁から文明に変わったと聞いたが」

と答えた。

「おうにん?」

応仁の乱の、あの応仁?

「ああ」

時隆は事もなげに頷く。

「あ、あの、幕府とか将軍とかは?」

「どうであろう」

眉間に皺を寄せている。

「西国では、将軍家を巻き込む大戦が長く続いた。将軍家が、今如何かは良く判らぬ。その以前より、東国は争い続きですっかり荒れてしまっておるしな。皆、己の国の存亡で手一杯だ」

ここは、では、室町時代末期くらいなのだろうか。

戦国時代の幕開けとなった応仁の乱。それが、ようやく終わった時代。戦国大名の台頭を前に、各地で武士団が争いを繰り広げ、領土を奪い合った時代。

なのか?

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