香河山 2

ほんの一瞬、ぼんやりしていたのかもしれない。

炎とは別の明かりが、ひとつ、ふたつと動いていることに気づいた。丘の中腹だ。

携帯のライトのような、突き伸びる光ではない。辺りを柔らかく染める、灯り。

それが、段々とこちらへ上がってくるようだ。

「人…?」

灯りを手にした人が、動いている?

私は迷った。

誰かと話をしたい。話を聞きたい。一人の自分が、心細くてたまらない。

けれど、上がって来るのがどういう人か判らない。下では、あんな大火事が起きているのだ。あの建物に、押し入って放火した盗賊かもしれない。

とりあえず、隠れて様子を見よう。

そう決めるまでの間にも、小さな灯りは近づいて来ていた。数も増えていた。

五、六個の拳大の灯りが、ゆらゆらと上がって来る。かしゃかしゃと金属がぶつかる音がする。密やかに交わす声も聞こえてきた。

下から見つけにくいように、私は一層身を屈めた。体の向きを変え、大クヌギへと戻る。

もう少しで、太い幹の向こうに隠れられる。

そう思ったとき。

ひらり。

頭上で白いものが舞った。

何?と確かめる間もなく、それが頭に降ってきた。

慌てて手をやると、さらりと繊細な手触りがした。

薄い柔らかな布。

着物?さっき枝にぶら下がっていた?

なんで今!

頭からそれを引きはがし、クヌギの陰に飛び込もうとした。その時。

「奈津姫か?」

背後から、鋭い男の声がした。

見つかった。

ため息をつき、両手を頭の上まで挙げる。立ち上がる。右手には、着物らしき布を握ったままだ。

ホールドアップ、あなたに抵抗する気はありません。体でそう示してから、ゆるゆると振り返った。

そこに。

「え、」

そこに、サムライが、いた。

松明を掲げた男が五、六人。こちらを凝視しているだけ、が数人。それらを従えるように、中心に立つ男が一人。

頭の中が真っ白になった。

みな、長い髪を後ろで無造作に縛っている。袴を穿き、手には刀を握り、足元は藁でできた草履を履いている。

どこか野武士めいた印象を受けるのは、やはり火付盗賊だからなのか。時代劇好きの私は、思わず心の中で鬼平を呼んだ。

そして、その火付盗賊の中で目を惹く、中心に立つ男。

揺らぐ松明の火が、大きな目に映っている。周りの男たちより、頭ひとつ抜きん出ているけれど、身長は百七十センチくらいだろうか。手足が長く、頭が小さく、すらりとして見える。

浅黒い肌に、高い鷲鼻。薄く横に広い口。それを覆う口髭。

猛禽類。

一言でその男を表すなら、そうなる。

鋭い眼差しに気圧されながらも、目を放せない。なぜか、意識ごとそちらへ持って行かれてしまう。

男もまた、眼を逸らさなかった。私の中に何かを探すような、探るような眼差しを向け続けている。

その眼が、今僅かに細められた。

「姫、ではないのか?」

確かめるように言いながら、近づいて来る。

「ちょ、ちょっと待っ!」

私は手を降ろし横に振り、後ずさった。

男の右手には、大振りの刀が握られている。松明のオレンジに染められたように、光を放っている。

「違います、私は、上守奈々子といいます、姫ではありません!」

必死なあまり、最後は悲鳴のようになった。

男は、眉間に深く皺を寄せた。歩みは止めない。大股で近づいて来る。

「や、あの、だから」

斬らないで!

逃れるため後ろに下がり続けていたら、突然、右足がずるっと滑った。

「わ、」

広場の縁から踵が落ちた。そう気づいた時にはもう、体勢を立て直せなくなっていた。

「わ、わっ」

後ろに倒れる私の左腕を、男が掴んだ。

ぐいっ。

そのまま引っ張られた私は、男の腕の中に収まってしまった。

「大事ないか?」

低い声が耳元でした。口髭が、耳たぶをくすぐる。

はいと答え、私は身を離した。

「ありがとう、ございます」

上目遣いに男を見ると、その眼は私の右手に向けられていた。手には、落ちてきた着物を握ったままだ。

男は刀を腰に挿した鞘にしまい、私から着物を取り上げた。

「これは?」

眼差しを着物へ落としたまま、訊く。再び顔を上げ、私を覗き込む。

「何故そなたが持っておる?」

「上から、降ってきたので」

おどおどと答え、私は男の鳶色の眼を見返した。

「そのまま、持っていただけ、です」

男が頭上を振り仰いだ。

大クヌギの葉がさわりと鳴った。ように聞こえた。

「左様か、此れが香河山の神木か」

男は私に視線を戻してから、ひとつ頷いた。

「では、やはりそなたなのだな」

納得すると、私の腕を掴んだまま歩き出す。

「兎に角、共に来て貰う」

強く引かれ、抵抗する間もなく歩かされる。私の胸に、お腹に、不安が込み上げる。

「いや、あのあ、あなた誰ですか?」

尋ねた声が震えた。

「私を知っているんですか?」

「時隆だ」

男は、足を止めずに答える。

「羽沢太郎時隆。片瀬の国守護、羽沢家の嫡男だ」

ときたか?かたせのくにしゅご?はざわけ?

「…火付盗賊じゃないんだ」

少し安心したけれど、ますます混乱する。

片瀬の国ってどこだ?

守護は、国を治めた人の役職、だけど鎌倉だか室町だか幕府があった頃の話、だよね?

片瀬と言えば江ノ島だけど、ここからは結構遠い。

そう、ここは私が生まれ育った場所だ。県の中央部に、昔からある素朴で小さな町だ。

昔から。

古くから。

その言葉が、どこかにちくりと刺さった。

昔から、古くから、ある。変わらずにある。

何かが引っ掛かる。小さな棘となって残る。

首を傾げる私に構わず、時隆と名乗った男は

「左様だ」

と答えた。答えながらも、私の腕を掴み歩く。

無言で待っていた男たちの輪に加わる。

松明を持つ一人が、灯りを高く掲げた。

私の顔を、姿を、確かめているようだ。

「成る程」

「確かに」

と唸るような声が漏れる。それぞれに顎をさすったり、腕を組み直したりしている。

居たたまれない心地がした。

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