1 (8)

 彼は従僕に連れられて廊下を歩いている。

(アンナをどうするか考えていなかったな……ここも安全とは言い難いし……)

 そんなことを考えている内に兵士の立つ、一際大きいドアの前に来た。従僕がノックする。


 リアンが中に入ると既にエリアス二世を含めて五人が長テーブルを囲み席についている。内リアンと面識がないのは一人だけである。リアンは安心する。少ない、とリアンは思う。

「よし。全員そろったね。……そう君を最後に呼んだのさ。主役だからね。では始めよう」

 部屋には不思議な緊張感がある。外の空気に似合わぬ緊張感である。集まったのは皆エリアス二世の直接の臣下の公爵達であるのに、それぞれが腹のさぐり合いをしているようだった。リアンはエリアス二世の対角に座る。

「皆、よく集まってくれた。リーエンツ公爵がいないのは知っての通りのことだ」


 ウィグネル王国の都フィルは、平野の中心に位置し、その周囲には有力な五人の公爵達が治める領地が存在している。

 そしてその公爵達の内四人は今リアンの周りにいる。唯一テベレ川の西に領地を持つ公爵であるカレス公爵は、現在は帝国の侵攻にセシル王子と共に対応しており、ここにはいない。


「じゃあリアンから。皆知っているかな?知らない者もいるようだ。彼はリアン。旅人だが今話したように、私の命を救った才覚ある青年だ。今回は我々の力になってくれる」

「今回皆様を集めたのは私です」

「そうなのか?エリアス」

 リアンと面識のない男だが、リアンはその風貌から名前を察した。王を呼び捨てる大男である。

「そうだね」

「今回の話には王国の存亡がかかっています」

 諸公がざわめく。

「本当か!?エリアス!」

 大男の声が響き、部屋は静かになる。

「彼の言うとおり、我々は現在危機に瀕している」

 リアンは安堵する。エリアス二世の直接の臣下である諸公を集めたこの場では、その実態は会議ではなく、王の裁定ですべてが決まる。エリアス二世さえ事態を正しく把握していれば良い。

「はい。バーゼルは既に帝国の占領下にあります」

「なんだって!?」

 縮れ毛に口髭を生やした男が目を広げて言う。

「イシュタル公爵、私はバーゼルからここ、フィルへ向かうのにあなたの所領を通りましたが、あなたの所も危ない」

「しかし帝国軍はメルカンに居るのでは!?」

 テベレ川の西部、例の戦乱多い地域はメルカンという。

「そうです。メルカンをねらう振りをして奇襲によってバーゼルを奪ったのです。おかげでメルカンどころかここも危うい」

「帝国軍の数はメルカンの西に六千、バーゼルには二万三千。主攻は北だ」

 エリアス二世が言い添える。ささやかな沈黙さえ場の緊張感を増す。リアンはその空気に満足する。

「お分かりの通り今回の侵攻は、以前から懸念されてきた帝国の東征であり、我々は全勢力をあげてこれを放逐しなければなりません」

 自然とリアンに視線が向いている。

「そこで、だ。後手に回った我々が何をすべきか……リアンはどう思う?」

 エリアス二世がリアンにうまく回してくれることに感謝しつつ、リアンは続けようとする。

「私は……」

「待て」

 口を出したのは例の大男であった。

「お前はなんだ?さっきからずっと仕切っているが、この国のことにまで口出しできるほど偉いのか?」

 リアンに敵意があるというよりは、純粋な困惑から来る発言であることが声のトーンから分かった。

「シュタイアー公爵……ですね?あなたの武勇はよく聞こえておりますよ」

 リアンは愛想良く、丁寧に対応する。


 大男の名はヘクターといった。彼の家は代々エリアス一世に仕え、その武勇で今なお名を知らしめている。そして、今ここにいるヘクターは、一家でも最も強いと評判であった。加えて彼は非常に若かった。他の公爵たちよりも一回りは年下であったのだが、その体格と態度、無骨な顔つきと切れ長の目は彼をそうとは感じさせなかった。


「第一俺はこいつのことをさっき初めて知った訳だが、お前らは知っていたのか?」

 他の面々とリアンは面識がある。

「信用できるのか?」

「……以前客として迎えましたが、非常に優秀な人間であることは間違い無いでしょう。頭の方もそうですが、腕の方も……ヘクター、あなたより強いかも知れませんよ?」

 アイゼン公爵が言う。

「本当か?」

 疑いながらもリアンに好奇心の目を向ける。

「私もそう思います。しかし、我々の命運を託すほど信用できるかといえば……」

 クラーツ公爵の言にエリアス二世が反論する。

「だが彼は私の命を救ってくれた。その身を呈してね。だからこの国も救ってくれるはずだ」

 この理屈にはリアンが苦笑いしてしまった。

(甘すぎるような気もするがな)

 四人の公爵たちは顔を見合わせる。分かってはいたが、リアンにはこの時間が無駄に思えてしょうがなかった。

「ひとまずは参考に聞いて頂ければ」

「……あなたが我々の絶対的な味方だと証明いただければ、聞きましょう」

 クラーツ公爵が「絶対的」の部分に力を込めて言う。彼はリアンの立場が流動的であることを知っており、リアンが帝国の誰かとつながっていることを恐れた。

「……」

 それはリアンには難しいことだった。

「それなら簡単だ」

 エリアス二世が声をあげる。

「何度も言ったが、私の命を救った、その身を呈して。なんならその場に居た者でも呼んで詳しく話させようか」



「先ずはイシュタル公爵領に兵を集めるべきでしょう」

 イシュタル公爵が激しく頷く。

「そこを抜かれればここまで目と鼻の先ですから。しかし、帝国軍のテベレ川東部の制圧はまだ先でしょう」

 バーゼルはテベレ川の西に、イシュタル公爵領と王都フィルは東側にある。

「それよりもメルカンを優先するでしょう。そしてこの間、帝国のテベレ川西部完全制圧までの間に、我々がどれだけ準備できるかに全てかかっています」

「準備?」

「現在の戦局は最悪です。多少の戦術的勝利ではこの状況は揺るぎません」

「とっとと兵を出してバーゼルとメルカンを取り返すんじゃあ駄目なのか」

「バーゼルには大量の兵士がいますし、メルカンを攻めているのはおそらく皇帝自身です。どちらにしても容易ではありませんし、長引けば我々が北と西から挟撃を受けます」

 テベレ川を挟んでバーゼルを東から攻めるのは難しいので、一度下流からテベレ川を渡り北上しなければならない。今の時期は川の水量が多く、渡河するのも大変である。

「ならどうする」

 ヘクターが腹立たしげに言う。

「アンドレアと教皇に救援を求めましょう」




「驚きましたよ。私は、あなたがセシル王子と仲がよいから、王に気に入られているとばかり」

 クラーツ公爵が言うのは、リアンが、西に向かったセシルを放置すると言ったことである。これにはエリアス二世も難色を示したがリアンが説得したのだった。


 メルカンで戦う王子をそのままにするのには幾つもの理由があった。第一に、救援に向かわせられる兵が今はいなかった。フィラハには所謂常備軍があったが、王子が率いていったのがまさにそれであった。それ以上の兵は、徴兵や傭兵に頼らざるを得ない。第二に、呼び戻してしまうと帝国軍のメルカン侵略が容易になり、リアンが重視した、準備の為の時間が圧倒的に少なくなるからである。王国の端々に存在する貴族たちも抵抗してはいるが、彼らは連係がとれず、そう時間もかからずに各個に潰されてしまう。そこで王子に彼らを統制させ、少しでも時間を稼がせる必要があった。第三にはセシル王子の優秀さと、メルカンにある城の堅牢さが上げられる。


「実際そうなのでは?」

「ご自身のことでしょうに……」

「私にとって都合が良すぎるのは確かでしょうね」

 彼は暗殺未遂事件のことを言っている。

「あなたがそこまでの策士なら、私も無闇に逆らいはしませんよ。では私はこちらですから」

「お疲れ様でした」

 廊下で分かれ、リアンは歩き続ける。やがて自室に着き、重い体をベッドに横たえると、自身の発言が正しかったのか考え始まってしまった。


 しばらく考えているとある一つの疑問が浮かんでくる。

(どうして俺は王国側についたんだ?)

 現状帝国側が圧倒的に優勢である。負け馬に乗る馬鹿もいない。

 この考えは彼の、努めて物事を客観視しようとする癖から出でたのであるが、主体としての彼は即座に反発した。

(いや!俺が止めねば誰が止める?あのクソ親父の愚行を!)

 リアンは戦争を予期していた。そしてその際に己がどうするのかも。その答えがこれである。

 ところがいざそうしてみると、この考え抜かれた末の決意にさえ彼は自信が持てなかった。


(しかし本気で皇帝は東征なんて考えているのか?いや現状はそうとしか考えられない。でもそんな事してどうする?その先に何がある?)

 彼は薄暗くなってきた部屋の、影の差すベッドの上で左手首を額に当てる。

(力で以て押さえつけてそれで平和になったとでも言うのか?それとも戦争自体が目的だとでもいうのか?だとすればそれこそ下らない!愚行だ!)

(本当にそうか?俺には理解出来ない何物かがあるのではないか?本当にそれは愚かなことなのか?俺がこちら側で戦うことは正しいことなのか?)

(ああ、あのとき、リード伯爵を見捨ててバーゼルから逃げ出したあのとき、俺はやはり残るべきだったのか?ラキア将軍なら俺のことをよく知っているし、俺の話も聞いてくれただろう。そうすればリード伯爵家の皆の身の安全も確保できたろうに!)

 彼は、バーゼルに攻め入るのがラキア将軍だと聞いたとき、同じことを考えた。しかしあの時は、ようやく全員の覚悟が定まった時であった。そのために、今更、自分が皇帝の息子だとかなんとか言い出すことが出来なかった。

(皇帝が何を考えているかは俺にも分からん。まともに話し合えるかどうかも。だがラキア将軍となら話せたはずだ……話し合って、どちらが正しいかよく考えてから立場を決めることも出来たはずだ……)

(そうだ……俺は決してエリアス二世の味方ではないのに……ああ!あの襲撃事件は本当にさ!)

 彼がエリアス二世らの前で論述をたれた人物と同一人物とは誰にも思えなかっただろう。それ程彼の纏う気配は沈鬱としていた。不安と後悔で満ちた世界には彼の居場所は無いように思われた。しかも、その不安も後悔も彼一人が勝手に生み出し抱え込んだものである。


(今更だな)



 とてつもない時間が流れたのに、外はまだ薄明るかった。静かな部屋にノックの音が響いたのはそんな頃であった。

「暗いですね……」

 部屋に踏み入ったアンナの第一声である。彼女は普段よりも華美なドレス姿であった。彼女とともに来た使用人たちが部屋に明かりを灯し、夕食を部屋に持ち入れる。

「まだ体調が優れないでしょうから夕食はここで……」

「わざわざすいません」

「い、いえ……」

「……」

「何か?」

 リアンが尋ねる。

「……私、晩餐に呼ばれているので行きますね?」

「ああ、今は有力諸公が集まっていますからね。うまくアピールすることです」

「アピール、ですか?」

「ええ。うまく行けば好い相手を紹介してくれるかもしれません」

「え?」

「……?」

「まあとにかく行ってくるといいでしょう」

 リアンが言う。

「はい……」

 アンナは行った。



(そうだ……今更だ。俺は戦わなければならぬという理由の為だけに戦わなければならない……)

 彼はなんとなく、帝国に居た頃を思い出した。あまりいい思い出など無かったが、ふと、

(ディアナは元気だろうか)

 そう思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

誰かに愛されたいと思うのはいけないことですか 津島 @aki_tsushima

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ