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 客間には天蓋つきのベッドと小さな机と椅子が一対。部屋は広く、窓は大きくとられており、明るいが簡素である。リアンが寝かされたこの部屋は、以前リアンが使っていた部屋であり、再び彼にあてがわれた一室であった。


 目を覚ます。見覚えのある気のする天井に少し考えると、思い出して舌打ちをし、続けて大きく溜め息をつく。

(ああ……あの時あいつが……あいつもそうだ……いや、だが仕方のないことだ……そうだ結局は俺の問題だ……先手を打つ積もりがこのざまだ……のこともそうだがそれ以前に……)

 それをアンナが驚いた顔をして見ていた。

「……」

「……すいません」

 嫌なところを見られた。なんとなくバツが悪くて謝った。

「い、いや、気にしないでも……ああ。そうだ。リアン様が起きました!」

 ドアの外にいる何者かに声をかける。

「その……本当に気にしないで下さい。あの……普段ももっと、よそよそしくしなくていいのですよ」

「よそよそしい?」

 言い返したが、彼には自覚があった。リアンは人前では礼儀正しい言葉を使わないではいられなかったが、これは生来のものではない。生来はもっと、色々な人にあだ名を付けたり、下らない冗談を言ったり、更に言えばおしゃべりですらあった。彼は自覚していた。今の、丁寧で、寡黙な態度は、生来の、つまりは本来の彼を隠すためのものであった。

「もっとこう……自然に」

「自然に?」

 彼はまるで自然な自分を覚えていないという風である。

「リアン様って笑いませんよね」

「何の話だ?」

「男の人ってもっとこう……自分の好きな話ばかりして、それで勝手に笑って……人の気持ちも考えないで……リアン様にも何かそういうものは無いのですか」

(無い)

 リアンは溜め息をつくだけである。

「あ……ごめんなさい」

「……」

 (旅立ちの前後で随分と性格が変わった気がする……それともこれが自然な彼女なのか)

「俺がしゃべらん分お前がしゃべればいい」

 彼は船上でのことを思い出して言ったのだが、アンナにそれが分かったかどうかは不明である。

「え?」

 アンナは聞こえていたのに、つい聞き返してしまった。

 廊下が騒がしくなってきた。大勢近づいて来る。やがて扉を開けて入って来たのはエリアス二世であった。

「リアン!無事で良かったよ!君は私の命の恩人だ」

 アンナが、座っていた、部屋に一つしかない椅子を譲ろうとするのを押しとどめて続ける。

「本当に感謝しているよ。君がいなければ今頃私は死んでいたかもしれない」

「……私は何日寝ていましたか」

「二日だよ。襲撃が三日前。一昨日は一日中苦しそうだったが覚えていないか?」

 リアンは夢ともうつつとも判然としない程度に、苦しかったという事実だけは覚えていた。


 エリアス二世が真面目な顔になったのを見て、リアンはアンナに退出してもらおうとする。

「いや、構わないよ」

「しかし」

「昨日も一日中そこにいたくらいだからね。今更どかせやしないさ」

 アンナは顔を赤らめた。リアンも少し嬉しい気がした。本当のところは、アンナには顔見知りがいない、死体を見てしまったばかりだし、暗殺者がメイド服を着ていて、使用人も信用し難い。一人でいるのも当然怖いという理由で、他に居場所がなかっただけであった。しかし、端から見ればアンナがリアンを心配していたように見えたし、エリアス二世の言葉で、アンナも、ずっとリアンを心配して自分がそばにいたように思えてしまった。こういった場合、事実というのは何も意味をなさない。もっとも、アンナが心からリアンの心配をしていたのも事実だが。


 リアンは気を取り直して聞く。

「……下手人たちはどうなりました」

「一人は捕らえた。君が腕を折った方だ。でもすぐに自殺してしまった。君をそんな風にした方は逃走中だ」

「彼女らはいつからここに?」

「最近というほど最近でもない。時期的には帝国の使者だと見るべきだが、だとすればそれなりに前から仕込んであったことになる。君の意見が聞きたい」

「帝国の使者でしょう。間違いない」

「どうして言い切れる?」

「帝国の女は強いからです」

 リアンは吹き矢を構えた金髪の暗殺者を思い出していた。彼女は狙って、撃ったとリアンは確信していた。

「そんな理由か?」

 エリアス二世は拍子抜けした声を出す。

「まあそれは今は大した問題ではないでしょう」

「そうだな……」

 リアンは帝国の女が強いと言ったが、それは帝国の北方の特色である。もっとも、今の帝都は北寄りであるため間違いとも言えないが。


 聞けば、リアンの来訪、厳密にはその知らせた内容、に戦慄したエリアス二世が緊急でリアンとの謁見を仕立てたために、夜も近かったのに警備も薄く、そこを暗殺者に狙われた様である。これを知ったときリアンは自分のせいであると考えたが、

「いずれは訪れた危機だよ」

 と物腰の低い王はリアンに寧ろ感謝していた。


 王は先ほどから立ちっぱなしだが、そんなことは気にもとめずに話してゆく。

「セシルが出発してからまだ四日だ」

 セシルとは第一王子のことである。

「すぐに使いをして後を追わせるべきです。王子の向かった先にはおそらく皇帝がいます」

「なんだって!?」

「しかもテベレ川の上流がとられたのです。このままでは王子は西と北から挟撃を受けます」

「……今日の昼過ぎ、つまりこれからだが、軍議がある。病人を誘う積もりはなかったが……」

「必ず行きます」

「仕方がない。案内させるよ。それまでは安静にしているように。何か食事も持ってこさせよう」


「君には本当に感謝しているんだよ。なんたって命の恩人だからね……そんなになった君にまだ頼らなきゃいけないのはすごく心苦しいよ……」

「もう大丈夫ですから病人扱いしなでください。それに……私には他に何もできませんから……」

 エリアス二世やアンナがリアンを謙虚に思う一方で、リアンだけは、彼が他の分野では何の役にも立たないことを知っていた。



「気分は悪くありませんか?」

 エリアス二世が去り、アンナが上体を起こしたままのリアンに心配そうに声をかける。

「心配するほどではありませんよ」

「でも、まだ顔が青白いです」

「大丈夫ですから」

「……」


 やがてパンとスープが運ばれて来た。アンナはパンを千切りスープに浸しリアンの口元に運ぶ。

「結構ですから……」

「でも……」

 リアンは溜め息をついてアンナの指先からパンを食べた。アンナが捨てられる寸前の猫のような顔をしていたから。その後もリアンはアンナに甲斐甲斐しく世話されていた。


 食べ終えてからアンナが口を開く。

「あの……私、よく分かりませんでした」

「分かる必要ありません」

「でも……」

 彼は溜め息をつくのをこらえた。

「……帝国はウィグネル王国の最北と最西にほぼ同時に軍を向けていたのです。ただし、西の戦線では随分と前に宣戦布告をしたようです。おかげでバーゼルに向かわせられる兵は今のところありません」

 バーゼルで籠城し救援を待つことをしなかったのは結果的に正解であった。

「ええと……それで王子様は西へ?」

「ええ。第一王子は非常に優秀ですから。恐らく、西から来ている帝国軍の数はそれほどではないでしょう。だからこそ、王もいつもの小競り合いだと思って油断していた」


 テベレ川西部のウィグネル王国領では、帝国との争いが絶えない。今回王子を向かわせたのは、いつもと異なり宣戦布告があったからである。


 リアンが察するにアンナはよく理解していなさそうだった。

「帝国は以前からこの地を狙っていたのです。それが遂に侵略してきたというわけです」

「わ、分かっていたのですか?なら何か対策できたのではありませんか?」

 アンナも他人事ではない。責めるように言う。リアンは心苦しくなり、苦々しく言う。

「……少なくとも半年は後だと……思われていました。帝国の南西部で一種の内乱が起こっていましたから……鎮圧されるのが想像以上に早かったのです」


 この日はいい天気であった。少し肌寒い代わりに日差しが暖かい。吹く風もどことなく陽気である。草芽吹くけいちつの春の陽気がリアンのいる一室にも満ちていく。

「……無事でしょうか」

 アンナが両親のことを言う。彼女の目線が自然と上を向く。

「……バーゼルにいる帝国軍の将はラキア将軍というのですが……あれは愚かな将では無いのです。間違っても降参した都市を潰すようなことは無いでしょうから……」

「……ありがとうございます」

「……」

 アンナは本当に安心した様だ。彼はわざと、領民の命と引き換えに領主は……という可能性を伏せている。


「体調は良いのですよね?」

 彼は起こしていた上体を倒す。

「え!?」

「いや、体調が悪いわけではないですよ」

「なら……」

「昼寝するには好い天気だと思いませんか?」

「脅かさないでください」

 ふっ、と彼は笑う。

「横になったらいかがですか?」

 ベッドの奥に寄る。冗談の積もりであった。

「……」

 少し迷ったようにしてから、無言で横になる。

「え!?」

 これにはリアンが驚いて体を起こしてしまった。

「その……最近あまり眠れていなくて……」

 恥ずかしそうに言う。

(そうか……あれ以来ちゃんと休めていなかったのだろう。船旅も彼女には大変であっただろうし、その後も心労が絶えなかったのだ)

「……いいですか?」

「いいですよ」

 アンナは目を閉じたと思うと、すぐに眠ってしまった。



(状況を整理しなくては。会議でうまく言わねば。まともにやっても勝ち目は薄いというのに……)

 彼は昼寝と言ったがそんな積もりは毛頭無かった。脳内を様々な思考が駆け巡り、そもそも眠る事など不可能な状態だった。

(完全に失態だ。仕方なかったとは言えバーゼルをとられたのは痛い。おまけに二日も眠って……相当に拙いことになった)

 アンナの寝息が聞こえる。

 外からのんきな鳥のさえずりが聞こえる。

(ここから挽回ぜねばウィグネル王国そのものも危うい。最低でもアンドレアを味方につけて……)

「ん……」

「……」

 まったく彼の言ったとおり、最高の陽気だった。

 溜め息をついて、考えるのを少し止めてみた。

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