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 まえがき


 我らが主人公リアン=ルートヴィヒは決して誰かに好かれる性格でもなければ見ていて面白い性格でもない。ではなぜそんな男を主人公にしたのかと問われるとそれは本作を読んでいただければ分かるとしか答えようがない。

 ところが本作に目を通してみるとこれがやや冗長に思われるかもしれない。しかしこれらはみな後半に繋がる必要な設定であって不要な要素は可能な限り排しているつもりであるからお許し願いたい。

 言ってしまえば一章はプロローグのようなものであるのだがこれを端折ってしまうと今度は二章以降が厚みに欠けてしまう。(タイトルの括弧直前の値が章である)

 私としても序盤の冗長な序章の後には素晴らしく面白い展開が待っているから是非最後まで読んで欲しい言いたいところだが、如何せん私自身が私の実力を知らぬから何とも言えない。ただこれだけは言わせて欲しい、私も詰まらない物語など御免だ。何番煎じかも分からない使い古された設定も。

 ズレた知識や欠けた思考が文章全体を損ない得ることを私は知っている。ファンタジーだからの一言で逃げることもできるのだが私はこれはあまり好きではない。この点に関しては是非読者方の知識をお借りしたい。ここはそう言う場なのだから。

 これで前置きは全てである。こんなもの不要だと言う意見には全く賛成だがどうしても言わずには置けなかったのだから仕方がない。むしろこの駄文のせいで読むのを止めた者がいたとしてもそれもまあ仕方のないことだ。


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「ああ。ありがとう」

 男は市に居た。早春の晴天下、市場は人であふれ各々に商品を買い求めていた。


 市にはありとあらゆる物が並んでいた。生きた獣を扱う店から加工肉、パンにスープ、得体の知れない揚げ物、炒め物、木の食器から銅鍋。そこへ行けば必需品から何に使うか分からないまじないの道具までそろう。

 バーゼルの市場はいつも人でごった返していた。露天で商売をする人。ひと一人入る籠を担いで歩く旅人。遠くからやってきたのであろう肌の黒い人。一人の者。集団の者。数歩先の地面も見えぬ群である。

 人々の喧騒から逃れ上を向くと標高の高い山々がそびえ立っているのが望まれる。澄んだ色の山肌のさらに上部には雪化粧をしており、雲一つ無い空と溶け合うようでありながら、その陰影が山岳を険しくし、存在感にあふれさせる。

 山脈を望む右手には大らかな川が流れている。バーゼルは山の麓というよりは平野の端に位置するために、川幅は広く流れは緩やかである。春の雪解け水によって川は水をたっぷりと含んでおり、大きな荷物を乗せた船の往来は活発である。男はこの川はあの山脈から流れ来るのだろうと考えている。


 彼は今し方手にした鴨の串を食べながら退屈そうに市場の隅に佇んでいる。男の背丈は中ほどであり、筋肉質だがすらりとした体に聡明そうな顔を載せていた。


「リアン様!今すぐお戻りください!」

 一人の兵士が駆け寄り言った。私兵の一人である。姿格好も兵士然としており帯剣もしているが、市場では誰一人見向きもしない。

「何だ」

 リアンと呼ばれた男がぶっきらぼうに言い放つ。

「領主様が探しております。緊急だそうです」

「そうか」

 言い終わらぬ内に歩き出す。

 二人は人混みの中、足を踏み鳴らす音だけを立て、領主の住む屋敷に向かって歩く。


 バーゼルは城塞都市であった。東に川を背にし、残りの三方を薄いが高い壁に囲まれている都市である。未だかつて壁が役に立ったことは数える限りしかない。それでも、ここに住む人々は城壁に感謝し、安らぎを覚え、生きている。壁を容易に破壊できる兵器のない時代では、壁の高さが、そのまま、人を守る城の強さであった。


 やがて兵士の男が沈黙に耐えかね口を開いた。

「領主様はたいそう慌てておられましたが、何のご用でございましょうか」

 口調が整っているあたり流石は領主直々の私兵といえる。

「さあな。……別に改まる必要はない」

 兵士のあばた面を一瞥し言う。男は社交的に求められない限りにおいて無表情であった。兵士も初めはこの男に冷たい印象を受けたが、今ではそうでは無いことを知っている。

「しかし客のあなたには無礼のないようにと」

「ただの居候だ」

 即座に返す。

「しかし聡明な上に我々の誰よりもお強いではありませんか」

 尊敬の念がこもっているのがリアンには分かった。

「……」


 やがて都市の中心に在る大きな建物の前に着き門番の兵士と客人を連れてきた兵士とが会釈すると、装飾があしらわれた木の扉が開かれ、

「リアン様をお連れしました!」

 と声が上がった。


 広い玄関に足を踏み入れると目前には階段が広がっているが、その右手にある応接間から一帯の領主であるバーゼル伯爵リードが顔を現した。バーゼル卿治める都市バーゼルは東西交易の重要な拠点であり、東から西から、つまりは世界中から、ものが集まった。


「こちらへ」

 赤毛で口に髭を蓄えた高齢の伯爵が手招きする。人を使わないあたりに、伯爵のある種商人的ともとれる倹約気質が伺えた。

「何事ですか、バーゼル卿」

「うむ。まあかけてくれ」

 そう言いつつも余裕の無い伯爵の様子に彼は若干の不安を覚えた。

「何事ですか」

 椅子に掛け、問い直す。

「西が攻めて来た」

 この慌てた言い方の意味を解すには時間を要した。

「本当ですか、ついこの間まで帝国の西では戦火が上がっていたはずですが」

「確かだ。ここまであと四日の位置に東進する軍隊を見つけた」

「四日!?数は」

 敵兵数を聞いたのである。

「二万から三万」

(これは無理だ)

 彼は、伯爵が玄関近くで彼を待つほどの焦りを抱えていたことに得心がいった。

「彼らの言い分は?」

「無い。心当たりも。そもそもまともな言い分があるかどうか……」

「何故ここまで気づかなかったんです」

「巧妙に隠していたのだ。人の流れも物の流れも」

「……本当にここへ?」

「……」

 矢継ぎ早の問答の末、下を向く伯の重苦しい沈黙によって彼はようやく事態の重さを理解した。

(この状況、本気で帝国は東征する積もりらしい)

 唐突な侵攻の話であったのにも関わらず、この発想は決して突然ではなかった。現皇帝は野心家と専らの噂であったし、西が治まれば今度は東と囁かれていた。何よりもリアン自身が帝国が仕掛けてくるならまずここだろうと考えていた。


 バーゼルが交易拠点であったのは西の帝国と東のウィグネル王国との境にあり、かつ南へ流れるテベレ川の上流であったからであり、つまりは軍事上であってもここが要地であることに変わりはなかった。また、北東には山脈が広がり、東征の拠点にするには十分すぎる程であった。


 この時彼が理解した"事態の重さ"とは帝国が本気で東征に乗り出すことであったが、伯爵にとって事態が逼迫しているのは、あくまでも自領に帝国が攻め込もうとしているためである。


「貴方の知恵を借りる時が来た」

 伯爵が重々しく言う。リアンは所謂食客である。有事の際には主人の力となり、抱える主もそれを期待するものであった。彼はどう言うか悩んだ末に、

「無理です」

 と素直に言った。

「無理か」

 絶望したように反復する。

「つまりは戦うだけ無意味ということです」

 彼は伯爵の様子を見て言い換えることにした。

「身の振り方を考えねばなりません」

「降伏しろと言うのだな」

 バーゼル伯は馬鹿ではない。

「交渉するのです」

「うまくゆくだろうか」

「必ず」

 本心からそう思っていたのでは無かったが、伯爵の為にはそう言わざるを得なかった。その後二人は降伏条件の話に移ったが、伯爵の気の抜けた様子のために議論は遅々として進まなかった。


「本当に降参するしかないだろうか」

 伯爵がこんなことを言い出した。リアンは伯爵の気持ちが分からないでもなかった。

「籠城し救援を待てばよいではないか?あれだけの数といえど……」

「バーゼルは久しく平和だったがために時代に取り残されてしまったのですよ」

「何?」

「大砲をご存じでしょう」

「あ?ああ。ここにもあるぞ」

「使ったことは?」

「試したことはあるが」

「ならおわかりでしょう。大砲があれば籠城など無意味です。一日もあればあんな城壁など打ち崩されます」

「まさか!そんなわけない」

「実際にこの目で見ました。……最新式の城は壁が厚く低いのです」

「……」

「帝国西部での内乱があまりに早く終わったのも、帝国内で大砲の生産と改良がなされているためでしょう」

「時代が変わったのです。城攻めには防手の数倍の兵力が必要とされる時代は終わりました。薄く高い壁などもはや脆いとしか言いようがありません。今は攻め手が優勢に立つ時代なのです」

「しかしその時代も城の改良によって直ぐに変わるでしょう。実際に、争いの多い南方では大砲によって崩されず、死角のない形状の城壁を備えた要塞も出来つつあります」

「ここは平和過ぎたのです。故に危機感もなく……言っても仕方のないことですが」

「ともかく、我々に戦うすべはありません」

 伯は諦めたように俯いていた。

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