第6話 子牛の気持ち

 ある晴れた昼下がり男爵領へと続く道。公爵家の馬車がゴトゴト、新米男爵を乗せて行く。可哀想な新米男爵、連れられて行くよ。悲しそうな瞳で窓の向こうに広がる何もない風景を見ているよ。


 そんな売られて行く子牛の気持ちをこれでもかと痛感しながら、俺はこれから住むことになる屋敷へとたどり着いた。

 屋敷、とは良く言ったものだ。見た感じ、その辺りにある民家を二回りほど大きくしただけである。パッと見、大きな牛舎である。ドナドナの曲が流れてきても、何の違和感もない。

 木造家屋に茅葺きの屋根。いつか写真で見たような、古いヨーロッパの田園風景が良く似合う牛舎、ならぬ、家だった。そんな趣のある家が周囲に点在していた。

 俺はそんなのどかな風景に心を打たれた。それらは如実に「スローライフへようこそ!」と語っていた。まさか俺物語は冒険譚じゃなくて、スローライフ物だったなんて! これはこれで良いんじゃないか? 牧場で牛や馬や羊や鶏を飼いながら、畑で大量のカブを育て、女の子にプレゼントしまくって好感度を高めるんだ。うは、夢が広がりんぐ!


「しゅごい……!」

「新しくこの地に着任されるイーストン男爵様ですね。私はこの辺りを管理させていただいておりましたバジーリオ・ドミツィアーノ・フィネスキと申します。ああ、これでようやく肩の荷を下ろすことができます」


 とても嬉しそうに、とてもいい顔で言うバジーリオ・ドミツィアーノ・フィネスキ。長いのでバジーリオと呼ぶことにする。それにしてもミドルネームを持っているとは。もしかしてレアな人物なのではなかろうか。まさか、Dの意志と何か関係が……?

 どうやらバジーリオは俺が着任するまでの間この辺りを治めていた人物らしい。別に俺はそのまま治めてもらっても構わんのだよ?

 どうかね、バジーリオ君。悪い話ではないと思うのだが?


「到着して早々で申し訳ないのですが、実務の引き継ぎをお願いします。こちらに全ての資料を用意しております」


 アッハイ。辞める気満々なのね。でもそこはどこかのブラック企業みたいに「引き継ぎ無しじゃなくて良かった~」と喜ぶべきなのかも知れない。しかし、一言いっておかなければならない。


「すぐに引き継ぎをしよう。しかし、私はここに来てから日が浅い。何かと相談することになると思うが、構わないかね?」


 どこぞの社長のように極めて傲慢に言った。バジーリオのような真面目で責任感がありそうな人物はおそらく権力者には滅法弱いだろう。知らんけど。


「そ、それはもちろんですとも。イーストン男爵様」


 手を揉みながらバジーリオが答えた。勝ったな。

 そんなわけで引き継ぎ用の資料を見せてもらったのだが、これがもう、ほんのちょびっとだった。うん、言わずとも分かるよ。この辺りには何もない。畑さえ耕しておけばいいのだ。


「それじゃ、バジーリオ君、この領地を案内してもらってもいいかね?」

「ハッ! もちろんです」


 敬礼して答えた。実に良い返事だ。地図で大体の領地を見せてもらったが、百聞は一見に如かず。実際に見せてもらった方がいいだろう。


 バジーリオ、セバス、俺を乗せた馬車はゴトゴトとボコボコとした道を進んで行く。雨が降ったらそこら中水たまりだらけになるだろうな。どげんかせんといかん。


 チラホラと畑仕事をしている人達がいるが、その顔はどこか暗い顔をしていた。もしかして、やる気皆無の新米男爵が着任したことにみんな気がついてる!? 「あ、察し」ってなってる!? 田舎の情報の伝達スピードはシャレにならんらしいから、そうなってても仕方がないか。


「領民達がやけに暗い顔をしておりますが、何かあったのですかな?」


 セバスがバジーリオに問いかけた。ビクリとバジーリオが黄色いネズミ型の魔物に十万ボルトを浴びたかのように反応した。一体何をやらかしたんだ、コイツ……。


「実は……ここのところ、この辺りで雨が降っておらず、皆、水不足を心配しているのです。本来この季節ならもっと上流域で雨が降っていても良いはずなのですがここ最近は……ほら、あの川を見て下さい」


 バジーリオが指差した先には、底が見えそうなほどに水位を下げた川がゼエゼエと息切れするかのように流れている。ギリギリなんだぜ、俺達も! とこちらを指差しながら言っている声が川から聞こえた気がした。


「これはまずいな。これからの時期はもう雨は見込めないのか?」

「はい。来年の春まではほとんど雨は見込めないでしょう」


 こりゃ、干上がるのが先だな。どげんとせんといかん。


「それじゃダムを……は近くに山がないから無理か。それなら、ため池を作ったらどうだ?」


 何言ってんだ、コイツ、という目で二人がこちらを見てきた。そりゃそうか。この世界に「ダム」なんて代物はないだろうからね。


「お言葉ですがデューク様、どうやってそのため池に水を溜めるおつもりですか?」

「いやいやイーストン男爵様、それ以前に、ため池を掘るなどいくら人手がいると思っているのですか。畑仕事を放棄することはできません。領民達はギリギリの生活をしているのですよ」


 領民達が「ギリギリなんだぜ、俺達も!」とこちらに指を指している風景が目に浮かんだ。二人が鬼を見るかのような顔でこちらを見ている。俺から言わせると、二人の顔の方が鬼のように見えるのだが……。


「ああ、そんなことか。二人とも実につまらないことを心配するんだな。そんなもの、この私の魔法にかかればチョチョイのチョイだよ」


 俺は顔の前で指をチッチッチと三回振った。これまで誰にも、いや、ついこの間、街で子爵令嬢に見せた以外には誰にも見せていないが、俺は魔法が得意なのだよ。

 目の前の二人はさらに怪訝そうな顔をしたが、その視線を俺は右から左にさらりと受け流した。

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