第2話 不憫すぎる教師


『お主……さすがに不憫すぎるじゃろう』


 そんな声で、俺は目を覚ました。


 いや、本当のところはどうなのだろう。どこまでもまっくらで、明かりもなにもない場所。少なくとも、自宅や病院ではないみたいだ。


『すこし記憶の混濁があるか……お主、自分のことが誰かわかるか?』


 目の前にぼんやりとした光が浮かび上がったかと思うと、その中からやたらと長いひげを蓄えたおじいさんが現れる。


 というか、本当にひげ長いな。毛先が床につく程度、ではなく、足元でヘビがとぐろを巻いているみたいになっている。


 それだけあったら邪魔だろう……って、そうじゃなくて、今は自分のことだ。


「えっと、俺の名前は渋木薫しぶきかおる。二十七歳独身。職業は『一応』教師」


「ふむ。では、お主が気を失う直前のことは?」


「えっと……ああ、そうそう。確か……」


 そうして、俺は目の前のおじいさんにこれまでの経緯を説明し始めた。


 


 説明が重複するが、俺の名前は渋木薫。二十七歳独身で、職業は……一応は教師。とある『偏差値が低めの生徒』たちが集まる私立高校で教員をしている……いや、していたかな。


 一応、とおじいさんに説明をしたのは、俺が非正規雇用の教師だからである。


 もちろん、雇用形態がなんであれ、教師は教師である。そうあって欲しいと個人的には思っている。正規で雇われている職員と同じ仕事をして、同じ時間に帰っている。正規の職員以上に真面目にやっているという自負もある。


 だが、どうしてもある種の『差』は感じてしまう。給料や福利厚生もだし、学校内での扱いもいいものとは言えない。特に、ウチの職場はそれが顕著だった。


 生徒からは『臨時のくせに』となめられ、同僚からは『指導』という名のいじめ――おっと、これ関係の話はもうよしておこう。話し出すと止まらなくなってしまうから。


 まあ、そんなこんなで、働き始めて五年目の春、不遇の教師生活に耐えてきた俺にさらなる不幸が降りかかる。


 最初に言っておくが、これはあるド田舎の高校で起きた本当の話だ。


 授業を終え、職員室での雑務からようやく解放され、帰宅しようと駐車場へ向かうと、俺の車がグラウンド内を走っているではないか。


 どうやら生徒がカギを壊したらしく、それで遊んでいるらしい。


 もちろん俺は止めるべく立ちはだかるわけだが、その瞬間、ハンドル操作を誤ったせいで車が暴走。


 その拍子で俺は車のボンネットに乗り上げる形となり、その後、暴走の末に、敷地内に建てられたやたら頑丈なつくりの校長の像と車との間に挟まれて――。


「――で、気づいたらここです」


「うん。記憶は問題なく整理されておるようじゃな。では、私から、お前の『その後』を説明してやろう」


 おじいさんの話によると、俺はあの事故で死んでしまったらしい。おじいさんが明言を避けるほどなので、おそらくは即死。遺体もひどいものだったろう。


 事故があってからそこそこ時間も経ってしまっているようで、顛末についても教えてやろうかと言われたが、今更知ってもどうすることもできないので、訊かないことにした。


 まあ、おじいさんの憐れみの目から見て、大体のことは察することができるのだが。


 だからこそ、俺はこの場にいるのだろう。


 ちなみに、話しによれば、このおじいさん、『一応』神様らしい。


 普段、神が人間に対して何かをしてあげることはないとのこと。


 だが、たまには下界を観察しようと降りてきたとき、あまりにも残念な俺の死にざまを見て、これはひどいと気まぐれに魂を拾ってあげたのだとか。


 拾われなかったときのことは、やはり訊かないことにした。


 とにかく、俺の今後の処遇は、ひげのおじいさん次第ということだ。


「ということで、お主には二つの選択肢を与えてやろう。このまま死ぬか、それとも生きるか」


「……あの、俺ってもう死んでるんですよね? 生き返ることって、できるんですか?」


「ああ。お主の世界とは別次元の、だがな」


 異世界、になるのだろうか。さすがに元居た世界には戻れないようだ。まあ、戻る気もないが。


「お主が前の世界で叶えられなかった生活、あるじゃろう? 新しい地でそれを叶える気はないか?」


 教師になった俺が、生前、校長の銅像に潰される直前まで願っていた淡い夢。


 それは、教師としてまっとうな生活を送ること。


 楽な生活とか、十分な収入を得て贅沢な生活を送りたいわけではない。


 しっかりと人の話を聞いてくれる真面目な子供たちと向き合って、授業をして、立派に巣だっていくのを見守ってあげたい。


 職場では、結局そういうことはあまりできなかった気がする。俺が受け持ったクラスは大抵荒れていて、それどころではなかったからだ。


 教科書を片手に板書し、内容を説明する。疑問点がある、と生徒から手が上がる。詳しく説明する。

 

 放課後、わからない箇所があるので教えてほしいと生徒が職員室にきたので、わかるまでじっくりと教えて――。


 そんな穏やかで真っ当な教師生活。


「……もちろん、このまま浄化されるのもいいだろう。せっかく私が拾ったのだ、いい場所へ連れて行ってやる。だが、もし、お主に未練が残っているのだとしたら――」


 そうして、俺は神に誘われるまま、異世界へ行くことを希望した。


 次はうまくいくといいが。もちろん、そのために頑張るつもりだ。

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