第30話「ラストバトル(後)」

「なにをゴチャゴチャ言っている! ええい、鬼姫! なにをグズグズしておるっ! さっさとあやつらを木っ端微塵にしてしまえぃ!」


 苛立たしげな声が鬼王から上がる。それでも、由芽は手から魔法を放たない。

 再び、俺の頭に夢の声が響き始めた。


(……ん……たろーちゃん……。いま、閉鎖空間に穴を開けるから……そこからすぐに……みんなで逃げて……)


「それで……由芽はどうなるんだよ? まさか……ずっとこのまま閉鎖空間にいるっていうんじゃないだろうな?」


 そんなの、冗談じゃない。

 こんな粗暴な鬼しかいない世界に、由芽一人を置いていくだなんてできない。


(……でも……このままじゃ、みんな死んじゃう……殺されちゃう……そうなったら、みんな、鬼になっちゃう……)


「……それでも、由芽を独りぼっちでこんな世界に置いていくぐらいなら俺は死んだほうがましだ! 由芽をこんな世界に置きざりにして、安穏と学生生活を送るなんてできるかよっ!」


(たろーちゃん……)


「はっ! 奇遇だな、桃ノ瀬! 俺も、由芽嬢抜きの学園生活なんて考えられないな。由芽嬢のいない学園なんて、干上がった湖だ!」


 傷ついた猿谷も、いつものような軽口を叩きながら、鬼王のほうへ一歩踏み出す。


「い、犬子もっ!」


 そこで、犬子ちゃんが叫ぶ。


「犬子も……由芽さんと一緒に学校生活を送りたいです。もっとお話ししたり、もっともっと仲良くなりたいです!」


(でも、犬子ちゃん、私は……犬子ちゃんの村を……)


「由芽さんは悪くないです……! 悪いのは、悪い人や悪い鬼たちですっ!」

「そうですわ。鬼だからといって全てが私達の敵ではないんですのよ。それに、由芽さんはあの時身を挺して、あの地域の平和を取り戻したのです。見捨てて逃げるなんてことはできません」

「そうだ、由芽。お前が気に病むことなんてなに一つない!」


(…………)


 由芽の言葉が途切れる。そこで、鬼王は憤怒の形相になる。


「ええいっ! なにをやっておるのだ! お前がやらぬのならワシがこいつらを皆殺しにしてくれよう! まずはお前からだぁっ!」


 棍棒を構えた鬼王が、憤怒の形相で俺に向かってくる。まるで大型トラックがこちらに突っ込んでくるのを待ち構えるかのような気分だった。

 死ぬ。そう思った。だが。


「やあああああっ!」


 離れたところにいた伊呂波が猛然と突っ込んできて、横から鬼王に斬りかかった。 しかし、振り返った鬼王の棍棒で、思いっきり振り払われ、弾き飛ばされる。


「伊呂波っ!」


 背中で地面を激しく滑っていく伊呂波。制服はボロボロになり、ところどころに血が滲む。それでも、伊呂波は立ち上がった。


「……はぁっ、はぁっ……」


 荒い息を吐いて呼吸を整えると、伊呂波は由芽のほうを見た。


「ねえ……由芽姉ちゃんはいいのっ!? このまま……お兄ちゃんがやられちゃってもいいの!?」


 絶叫に近い、伊呂波の叫び。

 その声は、薄暗い閉鎖空間内に、ビリビリと響き渡る。


「このまま……好きな人が殺されるのを見ているだけなのっ!? ……そんなの、絶対に認めない! 本当にお兄ちゃんのことが好きなら……! うじうじしてないで、しっかりしてよ! そうじゃないと、私は認めない! お兄ちゃんの彼女だなんて、絶対に認めないんだからっ!」


 伊呂波の口から出たのは、予想外に恥ずかしい台詞だった。まさか、ここでそんなことを言うとは。由芽のほうを見てみると、あの青白かった操り人形そのものの顔に、徐々に生気が戻っていた。


 そして、瞳に光が戻るとともに、涙がポロポロと零れ始めた。


「あっ……そ、そんなのいやだよっ……。たろーちゃんが、大好きなたろーちゃんが死んじゃうなんて……やだっ、いやだよ、そんなの絶対に……いやぁ!」


 由芽も由芽で、かなり恥ずかしいことを口走っていた。

 って、俺ってこんなに愛されていたのか……!?


「ぬおあああああ! 許すまじ桃ノ瀬ぇぇぇ!」


 猿谷が憤死しそうな顔で、俺のことを睨みつけてくる。


「はわっ……すっごい……愛の言葉を聞いてしまいましたっ……」


 犬子ちゃんも顔を赤らめて、俺のことをチラチラと見てくる。


「ふぅ……ごちそうさまですわ」


 最後に、雉乃から白けた顔で、そんなことを言われた。


「ごるぁあああああああああああぁあああ! よくもわしの娘をたぶらかしてくれたなぁあ……!」


 鬼王は、それこそ今にも俺を殺しそうな血走った目で、睨みつけてきた。


「……まぁ、娘の恋を邪魔する親父ってのは、最悪だとは思うけどな」


 俺がポツリととそんなことを言うと、


「ぶち殺してやるわあああああああああああ!」


 棍棒を手に、鬼王が俺に殺到してきた。

 もう完全に俺を殺すまで止まらないだろう。


『馬鹿かお前は。挑発してどうする? 殺されるぞ?』


 桃切から呆れたような声が聞こえてくる。

 だが、まぁ、待て。


「よっ!」


 俺は上段から振り下ろされた殺意に満ちた棍棒を、桃切をひょいっと持ち上げて軽々と受け止めた。


「なっ!? 馬鹿なあっ!? わしの渾身の力を込めた棍棒を!?」

「……どうやら、俺の異能も完全覚醒したようだな」


 由芽が感情を発露した途端、俺の中で眠っていた異能の力が目覚めたらしい。

 膨大な力が四肢に漲り、相手の動きが、まるでスローモーションのように見える。


「……これが、桃太郎の力か」


 確かに、すごい。これなら、昔の記憶のように、数百の敵を相手にしても余裕だろう。油断さえしなければ。


「そいっ!」


 なおもギリギリと棍棒に力を入れていた鬼王を、軽く剣で振り払う。


「ぬおおっ!?」


 その動きだけで、しっかりと握られていたはずの棍棒が宙に舞った。


「さあ……来いよ」


 俺が挑発すると、鬼王の表情が怒りで醜悪なものに変わる。


「舐めるナァ! 小僧ォオオオオオオオッ!」


 自慢の筋肉を躍動させて、鬼王は俺に殴りかかってくる。


「よっ!」


 俺は軽く跳躍し、鬼王の頭に着地した。


「なっ! この、糞ガキがぁっ!」


 今度は、両手を伸ばして俺の足を掴もうとする。

 だが、残念。俺は再び跳躍して、地面に着地した。


「殺すっ! 絶対に殺してやるううううううううう!」


 地の底から響くような怒声を上げ、瞳を血走らせる鬼王。

 だが、お前には俺を殺すことなんて決してできない。


「娘の前で悪いけどな……。由芽を苦しませた代償はでかいからな!」


 俺を捕まえようと手を伸ばしてくる鬼王の脇をすり抜けて、後ろに回りこむ。

 そして、背中に思いっきり桃切を叩き込んだ。


 鉄に向かって、剣を振るうような感触といったところだろうか。

 とてつもなく、硬い。だが、いい手応えだ。


「ぐっ、あおおぉおおーーー!?」


 鬼王は前につんのめって、悲鳴をあげる。

 今まで、罪のない村人や朝廷側の兵士をさんざん殺してきたんだからな。


 なにより、幼い由芽に魔法を使わせて北の村の住民を虐殺した罪は重い。

 これぐらいで喚いてもらってちゃ、困る。


 もう、やろうと思えば、いつでも倒すことができる。

 それぐらい、覚醒した俺の力は跳ね上がっていた。さっきまではまるで歯が立たなかったのに、今では大人と子どもくらいの力の差があるだろう。


「由芽……どうする?」


 俺は由芽に向かって、訊ねる。もう俺達がやられた分は、返したも同然だ。

 鬼王の処遇は、由芽に聞いたほうがいい。これでも一応、実の親、なんだしな。


 由芽は土手を降りて俺のところへやってくると、唸り声を上げて俺のことを睨みつけている鬼王のことを見た。


「……お父さん」

「由芽ぇっ! 裏切るのかぁあ!?」


 手負いの鬼の咆哮は、凄まじいものがあった。

 ほんと、由芽とは似ても似つかない。


「……ごめんなさい、お父さん」


 由芽は首にかけていた勾玉を手にすると、軽く握り締める。


「きっとお母さんが待っているから……」

「ゆ、由芽ぇっ……待てえっ!」

「あの世で罪を償ってください。……さようなら」


 勾玉から光が拡がったかと思うと、鬼王の体が浄化されるように消えていった。

 そして――薄暗い閉鎖空間も、光によって、徐々に塗りかえられていった。

 それはまるで、曇天無風の薄暗い街に、再び陽が差すかのように。


 残っていた鬼も、兵士も、なにもかもがみな、光に包まれて消えていく。

 俺たち以外の全ての亡霊は、天に召されたようだった――。

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