第5話 階段

八百屋に買い物に行ってきて、両手に重いかごをぶらさげて家の階段を上がる。たった12段の階段なのに、このごろは息が上がる。そして決まって両親の住んでいた家のことを思う。

 両親は一度も愚痴を言うことはなかった。あのとんでもない階段の家に住んでいて、ただの一度も。

 娘に反対されて建ててしまったことで、きっと意地があったのだろう。

それとも 決まって「でも眺めがいいでしょう、あの山を見てごらんよ。」と私が文句を言うたびに返した言葉は、心からのものだったのだろうか。

 どうしてあんなとこに家建てたんだろう、なぜ引っ越したのだろうと、もう何百回も頭に巡っていることを性懲りもなくまた思う。

 熱海の階段は,我が家のような12,3段の普通の階段とはわけが違う。

マンションなら4、5階くらいだろうか、階段を上らないと家に入れなかった。

 湘南の便利のいい家に住んでいたのに、なんで山に越さないといけないのよとさんざん反対したのに、土地を買い、家を建てた両親は、70歳を越えてまたあらたな楽しみを求めたのかどうだったのか、老人の生で 人の言うことは全く耳をかさなかった。

 他県に住んでいた私は、すっかり建ち上がってから転居の手伝いに行って、そのあまりにひどい高さに驚愕した。

 「どうすんのよ!こんな高いとこに家を作って、これから若くなっていくわけじゃないのよ!」 もう建ってしまった後、今さら何を言っても仕方ないのに、容赦ない言葉を両親にあびせてしまった。 なんてひどい娘だったろう。これからの両親の不便な生活を心配したとはいえ、当時なにより娘の優しい言葉が一番嬉しかっただろうに。

  転居のあくる日に、外階段の工事をする業者が来た。

 伊豆箱根鉄道不動産は 土地も売りつけた会社。

 両親はいいカモだったに違いない。近隣にもっと良い条件の土地があったのに、売れないだろう土地を最初に売りつけたのに違いない。

 私は腹が立ってたまらなかった。 業者に 「年寄りに こんな土地を売りつけて、毎日階段上り下りして暮らしていくこと考えなかったのですか!?これから工事する階段はできるだけ負担のないよう作ってくださるように!。」ときつい調子で訴えた。 

 その後父は、 「R子に叱られたよ、こんなとこに家建てて」と人に会うごとに笑っていたそうだ。

 父は、リタイアした直後に胃がんがわかり胃を摘出した。術後しばらくして実家に行き、すっかりやせ細ってしまった父は、別人のようだった。

 それが回復したと思ったら次はこの新築騒ぎだった。

どだい70歳で新築しようというのが無理だったんじゃないかな。

なんら家を変わる必要性などなかったのに。よい環境の良い家に住んでたのに。

魔が差したのだろうか、死を直視して人生観が変わったのか、母が熱海が好きだったからか、ともかくまんまと伊豆箱根鉄道の口車に乗ってしまった。

バブルの真っただ中 不動産業界が暗躍した時代だった。

70歳越えた両親を言いくるめるのなんて容易かったのだろう。

 父はその家で12年暮らし亡くなった。心筋梗塞だった。

そのまま家で通夜をした。足が悪くてね と弔問に上がってこれない方もいた。

葬儀は懇意にしていたお寺でしていただいたが、下まで降りるのが難儀だった。

 お棺を担いで葬儀社の男たちが四苦八苦しながら時間をかけて階段を下りてくるのを多くの方々が見上げてくれていた。

 その3年後に、 母はその階段の下で頭を打って倒れていて病院に運ばれたがそのまま亡くなった。

運びきれなかったので、再度階段を下りて車に残っている買い物袋を取りに戻る。

今日はお米を買ってしまった。たった12段の階段でもお米の重さは堪える。両親はあのとんでもない階段を(何段あったのか数えておけばよかった)やはり買い物袋をさげてのぼったのだろう。

同じ年代になってなおさらあの階段の家に越していった両親のバイタリティに驚嘆すると同時に、たぶん階段にしんどい思いをしていただろう両親の身になって寄り添って声掛けできる優しい娘ではなかった自分にものすごく腹が立つ。

後悔先に立たず。階段を上り下りするたびに、両親を思う。


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