6.5−13 なんてことだっちゃ

 鋭敏さを増したセイルの尖り耳に、観客たちの輪から次々と驚愕の声が届く。


「な、なんだあの姿! 魚人ってわけじゃないよな?」

「フィーさん、あんた一体……」

「見たことない種族だ。どこの神サマかねえ」


 自分達の変貌ぶりにざわつく従業員たちだが、どうも竜人の詳細を知っている者はいないようだった。陸では知らぬ者のいない世界創生の伝説だが、東の果てにある海の底までは届かなかったのかもしれない、と呑気に思う。


 鱗に覆われた群青の尾を揺らし、竜人セイルは競技の最終対戦者を見据えた。


「女将さんよ。今まで当たってきたアンタの部下たちの中にも、ちっと手の数が多かったヤツがいたが――そいつはさすがに反則じゃねえのか?」


 豊かな身体を軽そうな運動着に押し込んだ美女、その背後からは九本の立派な黒尾が突き出ている。しかもその一本一本が競技のためのラケットを携えているのだから、さすがに竜人といえど口出しせずにはいられないというものだ。


 まるで別々の意志を持つ九本の腕を有する女将――みちるは、紅色の唇で三日月をかたどると言った。


「フッフフ! 何を仰いまする、竜の君。今我らの戦場に求められまするは、互いのすべての力と力をぶつけあう熱狂のみ。この試合にかぎり、あらゆる手段の行使を認めましょう」

「その言葉、間違いないんだろうな。狐女」


 セイルの翼を押し退けて歩み出たのは、白き鱗を持つ女――フィールーンだ。昂る魔力に灼かれ着物の裾は縮れていたが、その金と空色の瞳には気高い闘志が宿っている。


「魔法も使い放題というわけだ! 勝利は頂きだな」

「一応競技大会でございますゆえ、ラケットだけは手放さぬようお願いしまする」

「わかった」


 元気よく言ってラケットを構え直す竜人王女の後ろに立ち、セイルも小さな得物を握りしめた。折らぬように扱うための力加減もだんだんと掴めてきた頃合いだと自らを鼓舞したところで、胸の中に住まう賢者が苦笑する。


(おやおや。とんでもないことになってきたねえ)

「いつも通りだろが」

(そうかもね。まったく、君たちといると飽きないよ。まさに“ポラシャプーのスカプッテ”だ)

「いよいよ意味のひとカケラも分かんなくなってきやがった――なッ!」


 謎めいた竜語を合図に、セイルは球を相手陣へと打ち出した。審判を務める魚男が慌てたが、みちるの尾の一本が難なくその豪球を正確に捕らえる。観客たちの声援も乗り、そのまま最終戦は幕を開けた。





「なんという死闘だ……。両者、一歩も譲らんとは」

「いんじゃないの。球の応酬が続くかぎり、ギャラリーにも被害はないんだし」

「でもそれじゃ決着しないじゃない。お兄ちゃん、フィル、がんばってーっ!」

「あっしもそろそろ背中と尻尾がくっつきそうでやんすー! あ、そりゃいつもか」


 大勢の歓声の中に、そんな仲間たちの応援が混じる。しかしセイルはいつもの軽口を封印し、思い切り小さな得物を振るった。


「らァッ!!」

「なんの、まだまだ!」


 渾身の回転スピンをかけて放った一球だというのに、女将の尻尾は的確にその勢いを殺してみせる。それどころか数本の尾を器用に絡ませ、とてつもない重みを加えたものを打ち返してくるのだ。


「う――ぐッ!」

「フィル! 無理すんな」


 再び前衛を一任された竜人王女が、苦悶を混じらせた声を上げる。ラケットを握る手をもう一方の手で支えようやく球を返す姿にセイルは叫んだが、白黒の髪の向こうから凛とした声が返ってきた。


「平気だ! 腕を魔法で集中防御している」

「他のトコに当たったら痛えじゃねえか」

「当たらないように、する――うぁっ!?」


 みちるから放たれた球を捕らえた王女だが、ふんばりが足りなかったのか大きく身体が傾いた。ぎゅるると不吉な音を立ててラケットにめり込んでいる球を見、セイルは後衛の役目を忘れて飛び出す。


「危ねえッ!」

「セイル!?」


 悲鳴に似たどよめきが、波紋のように観客たちの間に広がる。強靭な鱗の上から激しい痛みを与えてきた球がようやく回転を止め、嘘のようにころりと床に転がった。


『おおっと、弾かれた球がセイル選手の肩を直撃ーっ! これはまさしく、手痛い失点ッ!』

「お兄ちゃん!」

「ひええ、旦那ァ!」


 ずきずきと痛む肩を押さえつつ、セイルは腕の中に匿った仲間を見下ろす。すっかり弾けてしまった魔法の残光が彩る彼女の肌はうっすらと上気しており、運動による汗も相まって妙に艶かしい。


 その細い身体を無意識に眺めていた己に気づき、新人湯師は黒髪頭を振った。


「掠ってねえな?」

「えっあっ、うん! すまない」

「女将の攻撃は異次元だ。どうしようもねえ球は捨てろ」

「しかし、このまま守るだけでは勝てないぞ!」

「そりゃそうだが……。 ん?」

「あっ!」


 瞬間、異形たちの瞳がまったく同じ光を浮かべる。互いの閃きを悟った男女は、ラケットで塞がっている手の代わりに長い尾でばしりと床を打った。


「「それだ!」」


 まるで女将の尾たちが作り出した分身体のように、同じ構えで相対者に向き直る。自分達の闘志が伝播したのだろう、運動場はさらに熱を増した声援に包まれた。 


「さあ、夜も更けてまいりましたし、ユノハナは明日も元気に通常営業でございまする。点数を競うなどと云う野暮な勝負は止めにしませんこと?」

「奇遇だな、女将。あたしたちも、まったく同じ提案をしようと思っていた」

「それは善きこと。では次の一本を獲った側が、栄えある優勝者――ですわねッ!」


 ガキン、とまるで鉄球を打ち出したかのような轟音が響き渡り、みちるが球を戦場へと送り出す。セイルは身構えつつ、竜人の魔力を小さな得物付近へと流し込んだ。当然、何の変哲もない木の板はすぐにミシミシと悲鳴を上げ始める。


「フィル、頼むぜ!」

「ああ!」


 ペア相手の頼もしい返事と、女将の球がこちらの陣地を抉って跳ねる音が重なる。硬い木の机に焦げ跡さえ残すその豪球はむしろ、小さな隕石と呼ぶ方が正しい。ラケットで正確に捕らえるか回避しなければ、大怪我は免れないだろう。


そう――であれば。


「俺たちゃ誰もが恐れる太古の大悪党、竜人サマだ。“守りの一手”なんつー戦い方は似合わねえ。そうだろ、竜人王女?」

「まったくだ! 鱗が凝って仕方ない」


 床を蹴り、フィールーンが白い翼を一度上下させる。それだけで天井付近にまで上昇した王女は、ラケットをびしりとセイルに向けた。その得物に魔法の輝きが灯るのを見、竜人の中で親友が驚いた声を上げる。


(まさか君たちは――!?)

「悪ィな、てめえも共犯だぜ賢者! 舟の見取り図くらい覚えてんだろ、被害の少ねえ角度教えろ」

(……ああもう! 今回も無茶をのたまうね、僕の木こりは!)


 凝縮されたセイルの魔力がラケットを砕く寸前、白い光が手と得物を包み込む。王女が誇る高精度の防御魔法だ。限界に近づいた集中力は時間の歩みさえ超越し、景色と音が妙にゆっくりと流れていく。その中に、熱い声援を送る仲間たちの姿もあった。


 おつまみを抱えた知恵竜と、口の周りを食べかすだらけにして驚いている商人。いつの間にか応援のための音出し道具を構えている騎士に、彼の浴衣の端をぎゅっと握って身を乗り出した妹――。


「な、なにやってんすか、お二人は!?」

「何って、セイちゃんがいつも戦斧にやってる攻撃力強化じゃない?」

「そのような膨大な魔力、あの小さなラケットでは……」

「わかったわ! それが弾けないように、フィルの魔法で包んでいるのね! つまり今あの二人は、最大威力の攻撃と防御を同時に展開しているんだわ」

『なんだかよくわかりませんがお仲間の方々、解説ありがとうございまする!』


 狼狽した実況の声が聴こえたところで、セイルの眼前に球が迫る。凶悪な回転を伴ったその攻撃をしっかりと視界の中央に据え、竜人は光の尾を引きながら大きく得物を振りかぶった。


「俺たちの戦い方は、“攻め滅ぼす”――そう相場が決まってんだ!」

(悪しき友よ。ネットのほぼ真下、二十五度を狙って)

「任せろ!」


 狙い違わず捕らえた球が纏うのは、ラケットと同じ光。言葉で伝えずとも意図を察してくれた竜人王女に感謝しつつ、セイルは凄まじい魔力を内包する得物を渾身の力を込めて振り抜いた。


「やれ! セイル!!」

「ッおらああああ!!」


 王女の声と共に、熱量を増した球が敵陣地へと打ち込まれる。高い位置から突き刺すように放ったその球は、賢者が指示した通りの地点目がけて一直線に墜ちた。


「球にも防護魔法を!? くっ――!」


 急いで前方に身を乗り出した女将だったが、彼女の手も背後から伸びた尻尾も球には一歩届かない。まるで泥に沈むかのように易々と球は机を射抜き、ついでに床を砕いて階下へと姿を消した。


『……。え、えーっと……はい、何もかも突き破りましたね。こりゃ、どういった判定になるんでしょうか――って、ん? 何でしょう、この地響きは』


 ゴゴゴゴ、と階下から不穏な音と気配が迫り上がってくる。空中に留まったままのセイルは、鱗が張りついた頬を掻きながら心中の友に尋ねた。


「おいテオ。お前が言った通りの場所に球を打ったと思うが……その先は一体どこなんだ」

(この運動場から客室や宿泊業務に関わる部屋を避けるルートを考えてみたんだ。部屋同士の隙間がちょうど花の茎みたいに続いていてね。最終的な到達地点も基本誰もいない区画だと言うし、命あるものには当たらないんじゃないかと思うけど)

「……。ちなみにそこは、何の部屋なんだ?」

(“湯水晶”室)


 刹那、のんびりと答えた親友の声とは違い滝のような轟音を伴った湯が噴き出す。悲鳴を上げた従業員と仲間たちが逃げ出すよりも早く、不思議な青色をした湯が彼らの足元をさらった。


「リン、エルシーッ! 掴まれ!」

「他の者はあたしの元へ! 風魔法で引き上げる」


 竜人たちは手分けして仲間を回収し、渦巻く湯の脅威から逃れる。従業員はすべて海の住人だと言うから溺れることはないだろうが、運動場のあちこちで錐揉きりもみになっている彼らには後で謝罪せねばなるまい、と竜人はひとりため息をついた。


「なんて……なんてことだっちゃ!」


 その大混乱の中、尻尾をイカダのようにして水流の上を滑っている女将だけが荒ぶった声で叫んでいた。


「この湯の色! 二百年かけても割れる気配のなこっつ“効果不明”の湯水晶だっちゃ! 竜人の魔力を含んだ球を受けて熟成が進んだっちゅうことかや!?」


 フィールーンに抱えられているタルトトが湯を吐き出しながら問う。


「ごほ、ごほ……お、女将さま。結局あっしら、盛大にちまったんじゃ……?」

「いえいえ、その逆にございまする! これで数百年ぶりに、新たな湯殿を造ることができる――つまり新規も馴染みのお客様も呼び込める、新目玉すぽっとの誕生!」


 旅籠の女主人は上機嫌に両手を広げ、高らかに笑った。



「ああ! ふたたびユノハナに黄金の花が咲き乱れる気配がプンプンしますわ〜ッ!」



***


あとがき的近況ノート(イラストつき+今回は語り以外のお知らせ多め):

https://kakuyomu.jp/users/fumitobun/news/16817330656692812200

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る