6−32 許しません
ヒト姿となったセイルが不死鳥ファレーアと共に地表へと戻った時には、仲間たちがすでに集結を果たしていた。
「わあああん! よかった、リクスンさま……よかったでやんす〜っ!!」
商人タルトトの甲高い声は、どうやら嬉しい悲鳴であるらしい。木こりがひとり疲れ切った顔で安堵の息を落とすと同時、足裏が硬い地面を踏む。少しよろけたものの、身体を支えられるほどには魔力が戻ってきたようだ。
「お兄ちゃん! ファレーアさん」
「セイル」
同時にこちらへ振り向いたのは妹と、彼女に座らされている様子の騎士だ。「えっ、な、名前」と目を丸くしている商人のとなりには、眠っているフィールーンを抱き上げているアーガントリウスの姿もある。全員が大きな怪我もなく、元気そうだ。
「でも、本当にヒトに戻れたんでやんすか? それに、お怪我の具合は」
丁度自分が発しようとした問いが飛んだので、セイルも黙って皆の中央に座す騎士を見た。そこではじめて目を丸くする。一部の火傷や裂傷を残すのみまでに回復した自身の上半身を点検している騎士――彼には間違いなく、健全な2本の腕がついていた。
「お前、その腕……」
「貴様の妹に救われたのだ。ずいぶん酷い有様だったらしいが」
「酷いというより、ボロッと――」
(セイル。いいんじゃないかな、過ぎたことは)
エルシーの治癒はたしかに優れた力だが、それほど大きな欠損を治したと聞いたのは初めてだ。セイルはちらと妹の横顔を盗み見るが、普段と変わった様子はない。彼女は注意深くリクスンの身体を検分しながら言った。
「大きな外傷は治癒したけど、まだまだ火傷が残ってるわ。それに魔力を通す道筋がめちゃくちゃに傷ついてる。あとで反動が来るから覚悟して。数日は寝たきりになるわよ」
「う……」
「きっと熱も出るわ。しっかりとした寝床を確保しなくちゃ」
ぴしゃりと言われリクスンは表情を強張らせたが、反論はしないようだった。妹のどこか硬すぎる口調に、セイルは首を傾げる。
「あいつら、落下の最中でも喧嘩したのか」
(ふふっ。逆だと思うけどねえ)
「?」
賢者の意味深な返答はひとまず無視することにし、セイルはいまだ興奮したようにぶんぶん尻尾を振っている商人に目を向ける。
「知恵竜さまが置いていってくださった魔法獣で、時折連絡は貰ってやしたがね。もうあっし、心配で心配で……。でも薬のことも放っておけねえしで、尻尾が萎れるような思いをしやしたよ」
「ごめんねえ、タルちゃん。んであの後の経過、どうなった?」
「へ、へいっ!」
荷のひとつを枕にフィールーンを横たえていた知恵竜の元へ、タルトトがおずおずと進み出る。上着の物入れからそっと取り出したのは、洒落た形の小瓶だ。
「言われた色になってると思いやすが、どうです?」
「いいね、完璧。この火山で進められるのはここまでだよ。お疲れ様」
「ふぃーっ! よ、よかったぁ」
汗をぬぐう仕草をし、商人は大きく息を吐いた。アーガントリウスの手にある小瓶の中には、とろりとした真珠色の液体が詰められている。セイルは蒼い眉を寄せ、素直な所感を漏らした。
「マズそうだ」
「当たり前でしょ、途中なんだから。ていうかたぶん出来上がっても美味しくはないし。お願いだからつまみ食いしないでよ、セイちゃん」
「しない」
胡乱げにこちらを一瞥し、知恵竜は長い袖の中に小瓶を仕舞った。その紫の瞳は次に、帰還を果たしたばかりの騎士へと向けられる。
「そういやお前の新しい剣、ここに来るまでの間に地面に刺さってるのが見えたよ。割れ目なんかに落ちなくて良かったねえ」
「感謝します、知恵竜殿。あとで回収に――」
「なぬぅ!? 我が授けた宝剣を、もう手放したとな! なんたる狼藉者じゃ!」
一行から少し離れた場所でこちらを見ていた不死鳥ファレーアが嘴を怒らせて言うと、あたりの岩肌が一気に熱を帯びた。額に手を当てため息をついたアーガントリウスが口を開くよりも早く、目を輝かせた商人が進み出る。
「あなたさまが、この火山の主たる名高き不死鳥さまでやんすね! お噂はかねがね、この三角耳にも届いてやすよ」
「なんじゃ、リス坊主」
「あっしらの世界じゃ、あなたさまの羽根一枚で人生が変わったっていう話もあるくらいで。それに加え、武具の蒐集家としても一流だって」
「……ほほーう。一番小さなお主が唯一、マトモな話が出来るようじゃな」
「へへっ、光栄でやんす。ささ、あちらの大岩にお掛けになって。よければふかーいお話をさせてくだせえよ」
タルトトについていそいそと場を離れる不死鳥を見送り、アーガントリウスは残された若者たちを見回した。
「さーて、うるさい鳥もいなくなったことだし。こっちも最後の締めといこうかねえ」
「う、うるさいって……。ファレーアさんにもお礼しないといけないわよ。たくさん助けてもらったんだから」
「あとで火竜たちの酒をたんと持っていくよ。それより今は、我らが麗しき王女から“労いの言葉”を頂戴しなくちゃね」
「!」
この宣言に顔を跳ね上げたのはリクスンだった。セイルの目から見ても明らかなほどの狼狽を浮かべている。
「ひ、姫様は……その、お疲れなのでは」
「何ヒヨってんの」
「お前が眠らせたのか、アガト」
「そ。本人が疲れてたってのもあるけど、ちょっとだけ魔力に干渉させてもらったのよ。もしかしたら、この子には見せられない展開になんじゃないかと思ってさ。ま、嬉しいことに俺っちの杞憂だったみたいね」
セイルにそう説明しつつ、大魔法使いは弟子の傍らに膝をついた。褐色の細い手を彼女の額にかざすと、七色の光がふわりと舞い踊る。ぎくりと身を強張らせた騎士に爽やかな笑みをひとつ送り、楽しそうに告げた。
「そんじゃいっちょ、胸を打つに相応しい目覚めの言葉を頼むわ。騎士サマ」
「ち、ちょっと待ってください、アガト殿! 心の準備が――」
怪我人とは思えない速度で騎士が駆け寄ってくると同時、彼の主君が空色の瞳をうっすらと開ける。
「姫様……お、お怪我は」
「――リクスン・ライトグレン」
となりで膝をついている臣下を一瞥し放たれたその声は、恐ろしく静かなものだった。セイルは思わず目を見開く。妹も同じ表情だ。
「怒っています。私」
「は、はい姫さ――まッ!?
さらに驚くべきことが起こった。大国の王女は瞬時に細い手を伸ばし、面食らった側付騎士の額目がけて
「オルヴァさんの魔術に侵されていることを、黙っていましたね」
「申し訳、ありま……うッ!」
「皆さんから――私から危険を遠ざけるため、ひとりで試練に向かいましたね」
「ひ、姫様っ、痛っ、話を――」
「そしてあまつさえ竜人に成るなんて。一瞬とはいえ、ヒトの境界を踏み越えたのですよ。それがどんなに危険な行為か……貴方は、主のこれまでの暴走ぶりを見てはこなかったのですか」
「それは」
「リン」
容赦ない攻撃を繰り出していた色白の指が、ぴたりと猛攻を止める。赤くなった額の下で愕然とした表情をして固まっているリクスンを見、彼の主君は震える声で続けた。
「私は……私は、貴方が側付であることに感謝しています。昔も今も……この瞬間もです!」
「!」
空色の瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。
「約束したじゃないですか。“この命尽きるまで貴女と共に”って! なのに、いなくなるなんて――勝手に消える覚悟をしてしまうなんて。そんなの絶対、許しませんっ!!」
「姫様……」
耐えきれなくなったのか、そこで王女は本格的に泣き出してしまった。急いでエルシーが近寄りその背を撫でるが、肝心の臣下は今までにないくらいの放心状態で硬直している。
「あれま。さっき俺っちがタルちゃんに説明したこと、聴いてたんだ。眠りの魔法をこれほど受け流してたなんて、我が弟子ながら末恐ろしいこと」
「笑えないぞ、アガト。どうすんだ、あれ」
「大丈夫よ。ゴブリュードの王女は本来、これくらい激しいものなんだから」
呑気に微笑む知恵竜にとりあえずうなずきを返し、セイルは腕組みをして主従の成り行きを見守った。
「フィールーン様ッ!」
荒れた地面に衝突しそうな勢いで、がばっと金髪頭が振り下ろされる。先ほどまで死にかけていたことなど忘れたかのように謝罪の姿勢をとったままの騎士は、ふたつ向こうの火山にまで響きそうな大声で言った。
「この度の失態、まことに申し訳ありませんでした!! そ、その……お許しがいただけるならば、今後はいっそう」
「許すも何もないですっ!! 今からは絶対、隠しごとは無しですから! いいですね!?」
「は――はい! この身に誓って」
唐突な決着にセイルが驚いていると、王女がすくっと立ち上がる。そのままこちらへ歩いてきたかと思うと、自分の広い背の後ろにすっぽりと隠れてしまった。
「おい。どうした」
「……セイルさん」
わずかに頭だけで振り向いたセイルに、王女は消え入りそうな声で言う。
「私の騎士を救ってくださって……ありがとうございました」
言葉の最後はまた震えていた。額らしき固い感触がこつんと背にぶつかり、小さく鼻をすする音が続く。セイルはひとつ息を落とし、曇天の空を見上げた。
「知らん。――記憶にないからな」
***
あとがき的近況ノート:
https://kakuyomu.jp/users/fumitobun/news/16817330651074591256
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