6−33 よろしく頼む

 大きな困難を乗り越えたあとの、穏やかな空気。それぞれ負傷しつつも見慣れた面々が揃っている光景はフィールーンにとって、この上なく幸せなものだった。


「皆さんが無事で……本当によかった」


 王女はひとり微笑み、赤土の上で互いに話し込んでいる仲間たちを静かに観察して回る。


「知恵竜、貴様のう! 良い歳こいて、まーたクセのある若者を弟子なんぞにしおって! 昔、石ころほしさに我のねぐらを吹き飛ばしただけでは飽き足らず、今度は世界をも裂くつもりではなかろうの!?」


 甲高い糾弾の声。ゆうにヒトの背丈を超えるその紅き巨鳥は、火山の護り手であるという不死鳥ファレーアに違いなかった。伝説に近いその存在を前に飄々と肩をすくめているのは、こちらも名高き幻の存在――そして今は自分の師である竜、アーガントリウスだ。


「まーまー。そんなに火の勢い増すと、カラカラになってまた死んじゃうよ? ヒナになったら火竜たちの世話にならなきゃなんないんだから、カッカしないの。それに一応、世界を救おうとしてるんでご心配なく」

「ふん、信用できるものか。集落中の酒を集めて今すぐ洞穴へ来い。呑むぞ」

「あーやっぱそうなんのね。こりゃ三日三晩かかるか」


 このふたりには因縁があるようだ。しかしそれもきっと、悪い種類のものではない。そう直感したフィールーンは、こちらに気づいて機嫌良く手を振る師匠に会釈を返し、ざりざりとした赤土の上を歩きはじめる。


「あの使用人の影響は、もう残ってないのね?」

「ああ、かけらもな。おそらくもう、竜人には成れまい」


 皆の中央で座り込んでいるのは親友であるエルシーと、今回の騒動の中心人物であった騎士リクスンだ。まださほど詳しく把握していないが、絶望的な負傷状態だった側付を今回も彼女が救ってくれたらしい。


 礼を伝えねばとは思うのだが、王女の足は自然と歩みを止めた。竜人に成らずとも、自分は只人よりも良い耳を持っている。


「お兄ちゃんにバッサリ斬られてたわよね? 大丈夫なの」

「ああ、セイルは自信を持っていたようだが実際、なかなか痛かったぞ。奴の戦斧が、俺のものではない魔力をすべて押し流したような……そんな感覚だった」

「セイル、ね。ふん、仲良くなっちゃって。呑気なものだわ」

「何を怒っているのだ、君は?」

「知らないッ!」


 ぷいっと顔を背けたままの癒やし手を見上げ、リクスンは困ったように眉を寄せている。フィールーンの目が、だんだんと朱に染まっていく少女の白い耳を捉えた。


「ねえ、あの……あなたと落ちている時のこと、なんだけど」

「?」


 彼女にしては珍しくぼそぼそとした声で落とされたその問いに、リクスンは血で汚れた金髪頭を傾がせて答えた。


「意識を取り戻したのはもう、地上に近くなってからでな……。落下中のことはまったく記憶にないのだ。すまない」

「そ、そう。当然よね。なら良いのよ」

「何かあったのか?」

「いいえ、何でも。ひとり言よ」


 ね、と言ったエルシーは、彼女の頭に乗っている小さな火精霊に軽く触れた。師匠が彼女に付けていた連絡用の魔法獣だろう。平素のものより少し大型に見えるのは、火山の魔力をたっぷり吸い込んだおかげなのだろうか――魔法使いの弟子としてそんなことを考えていると、商人の弾んだ声が耳を打った。


「知恵竜さま。次はどこを目指すんでやんす?」

「うわー、こんなに色々あったのにもう次の話? 若いっていいねえ」


 不死鳥の絡みを振り切ったらしいアーガントリウスとタルトトが場の中央で話をしている。心中の賢者と話していた木こり青年も含め、仲間たちが年長者へと注目を送った。フィールーンもその輪の端に立つ。


「そうだねえ。ここからはちょっと遠いトコロにあんだけど、薬の状態安定のためにぜひとも入れておきたいモノがあんのよ」

「ほっほぉ! 今度はどんな珍しい素材なんでやんす?」

「珍しいっていうか面倒、かな。入手するためには、精霊たちの許可が必要でさ」


 アーガントリウスが遠くを見るような目になり、小さくため息を落とす。これからの長距離移動を憂いたのだろうと思った王女だったが、何やら違う気配があることにも勘づいた。


「許可って……アガトさま、精霊さんとお話できるんでやんすか?」

「いんや、全然? でもその場所は、精霊たちの総本山とも言われる秘境――“神秘郷ヴェール・レム”だ」


 師の言葉を大人しく待つべきだと思いつつ、フィールーンの身体は勝手に一歩踏み出し、右手はまっすぐに天へと挙がった。指名を受ける前に、早くも興奮した声が喉からほとばしる。


「あらゆる人語を解し容易く操るという、精霊たちの上位統括者――すなわち“妖精”が住まう場所のことですね、先生!」

「大正解よ、弟子ちゃん。ただ、間違ってもあいつらの前でそんな風に讃えないでね。ただでも尖って刺さりそうな鼻がさらに伸びていくのはいただけない」


 何かを思い出したのだろう、知恵竜はまた深いため息を落とした。反対にフィールーンの心は軽やかに上昇する。


「渦巻く濃厚な魔力により天候や季節さえ日ごとに移ろうこともあるという、まさに絵巻物の世界! 美しい妖精をひと目見ようと入り込んだ旅人たちはどんな熟練者であれ迷いの路に取り込まれ、やがて草木のひとつに成り果てるという――わあ、楽しみですっ!」

「楽しい要素が見つからないっすけど!?」


 早くも怯えて尻尾を萎縮させているタルトトに熱い視線を送り、フィールーンは早口でまくし立てた。


「でも、とても素敵な場所と言われているんですよ! 神秘郷の手前には、妖精を信仰する者たちが集まって築いた賑やかな町もあるんです」

「ああ、そうそう。あそこは良い町だよ。妖精王にこっちから使者も出さないといけないし、一旦その町には逗留することになりそう」

「それはありがたい。装備一式が燃えてしまいましたので」

「自分も燃えかけたリンちゃんはもちろん、長旅で結構みんな服がくたびれてきたもんねえ。いっそ全員変えるってのは?」


 提案者がまとう魔法の衣服には煤ひとつ付着してはいなかったが、たしかに彼の言うとおりだった。城から旅を共にしてきた服の裾が焦げてちぢれているのを見下ろし、フィールーンは苦笑する。


「行ってみるまでどんな季節になってるかわかんないから、場合によってはそこで防寒具も調達しとかなきゃね。ここ数十年は常春だったと聞くけど」


 春が数十年続くだけでも、好奇心旺盛な王女にとっては胸躍る事象である。あらゆる書物で語り種になっている妖精の美しさを思い描いていると、黙っていた木こりが話題を現実に即したものへと引き戻した。


「お前が話せば、薬の材料は簡単に入手できるのか」

「妖精はみんな“ステキ”な性格の持ち主で、とくにその王とはいつもなかなか話が進まないんだけどさ。さすがに今度は楽勝っしょ。なんたってこっちには精霊たちが大好きな存在――“精霊の隣人マナフィリアン”ちゃんがいんだからね!」


 上機嫌で腕を広げてみせた知恵竜の言葉に、返答はない。そういえばこの話題ならばすぐに声を上げそうな仲間がずっと無言であることに気づき、フィールーンは師が向けた視線を追った。


「……」

「エルシーさん?」


 ぼんやりとした少女の表情には見覚えがある。バネディットの屋敷で癒しの力を行使したあとにも見せた顔だ。フィールーンの胸に不安の波が打ち寄せ、思わず大きな声で呼びかける。


「エルシーさん! 大丈夫ですか?」


 大きな瞳がぱちりと瞬き、少女の端正な顔が自分たち仲間を見回す。


「えっ? あ、ああ、大丈夫よ。ごめんなさい、少し疲れがきちゃって」

「当然でやんすよ。いけねえや、あっしとしたことがこんな場所で急いた話をしちまって。リクスンさまの怪我もあるし、早く火竜たちの里に戻りやしょう」

「いいのよタルトちゃん。次の旅の話だったわよね。どこなの?」

「妖精たちがいる神秘郷っすよ!」

「!」

「王さまとも会うかもしれねえって話でやんす! ドキドキっすね」


 少女の白い肩が、わずかに震えた気がした。その震えが伝播したような掠れ声が続く。


「そう……。グリュンヴェルムのもとへ行くのね」

「ええっ? それ王様のお名前っすか!? さっすが、すげえ豪奢でやんす。失礼しねえように、練習しとかなけりゃ」


 どの書物でも『妖精王』という名で登場する彼らの王の名をはじめて耳にし、フィールーンは頭の中にある羊皮紙に筆を走らせた。普段から精霊と懇意にしているエルシーはたしかに、頼りになる交渉人となるだろう。


 しかし――。


「あ、あの……エルシーさん」

「フィル」


 いつの間にか真横に移動してきていたアーガントリウスが、静かに自分の言葉を遮る。長い指を唇に当て、小さく首を横に振った。


「俺っちたちは。きっと今も、見られている」

「せ、先生……!」

「少し様子を見よう。こちらからも探りを入れる」


 紫色の瞳が意味ありげにきらりと光るのを見上げ、フィールーンはぎこちなくうなずいた。自分のこの言い知れぬ不安が的外れなものでないなら、妖精たちの神秘郷への訪問は楽しい旅の一幕にはならないかもしれない。


「……」


 不安の種を胸の奥深くに押しやり、柔らかく埋め立てる。フィールーンはひとつ息を吸い込み、談笑をはじめた仲間たちを見回した。


「……気合を入れれば、もう一回くらい成れるんじゃないのか。竜人に」

「なんだ貴様、その期待に満ちた目は。絶対にやらんぞ、俺は」

「やめときなよ。リンちゃんの場合が特殊だっただけだって。やっぱ普通の半端竜人なら、セイちゃんに斬られると死んじゃうと思うし」

「テオは“ヌラーゾンかぶりのホプロドドン”の可能性もあると言ってる」

「あー、なるほどね。一理あるかも。ここでやってみる?」

「不吉な予感しかしないのですが!?」


 本気で身を仰け反らせた臣下を囲む、仲間たちの輪。堪えきれなくなった商人が吹き出したのを起点として、あたたかな笑い声が広がっていく。そんな仲間たちに感化されたのか、最後に少し申し訳なさを含みつつ破顔したのは当の騎士だ。


「皆、世話をかけたな。これからもぜひ――よろしく頼む!」


 傷だらけの顔の中で、珍しく白い歯が覗く。これまでフィールーンが目にしたことのない屈託のない笑顔を浮かべている側付を見つめ、王女は胸の前できゅっと拳を作った。


“はやく真実を、見つけて……そして、その瞳から光が消え去ると、いい”


 氷に覆われていく強敵の、最期の姿が頭に蘇る。たしかにこれからの旅にも常に、自分が知らない困難や絶望がついて回るだろう。それでもたしかに今、愛する仲間たちが無事な姿で眼前に揃い、笑っている。


 だから、怯えている暇はない。


「たとえ何が待ち受けていても――絶対に私が、皆さんを」



 拳に力を込め、続く覚悟の言葉を呑み込む。王女は曇天の隙間から覗く空と同じ色の瞳を輝かせ、仲間の元へと戻っていった。



***

あとがき的近況ノート(イラストつき):

https://kakuyomu.jp/users/fumitobun/news/16817330651146764497

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